♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■がっかりしないで

2008年07月21日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 最初にですね、聖書の一番最後にありますヨハネの黙示録の3章に書かれてありますことば、私の大好きなことばの一つなんですけれども、まず御紹介したいと思いますね。
 「見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。」(黙示録 3章8節 口語訳)ということばなんですねえ。

 で、誰も閉じることができない可能性の門と言いましょうかねえ、そういう門をあなたの前に開いておきましたよという。それは、あなたにはすごい力があるとか人が羨(うらや)むような何か能力があるということではなくって、「なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず」というこのことば(なん)ですねえ。

 で、私たちは、「私にはこれしか力がない。能力はこれしかない。持ち合わせはこれしかない。」というようなことでですね、時には諦めてしまう。人と比べて、「これじゃあもう話にならない、勝負にならない、だからもうやめちゃう」というふうなことになりがちですけれども、そうではなくって、「これしかない。少ししかない。」でもそれにもかかわらず精一杯その人の与えられた範囲の中で力を尽くして行くということについて神様はそれを評価してくださる。その時に、その人の前に考えても見なかったような可能性の門が開かれていくってことはあり得るんだということですねえ。

 あの聖書の中で有名なパンの奇跡(マタイ14章15節以下、マルコ6章35節以下、ルカ9章12節以下)というのでも、五千人も、いやもしかしたら一万人もいたかもしれないというような人々に、どうやって食物を分けようかという、みんなで困っていた時に、一人の男の子が自分の持っている五つのパンと二匹の魚とをイエス様の所に提供した訳ですね。で、弟子たちも、こんなに大勢いるのにこれっぱっかりのパン、何の役にも立たないというふうに当然思ったに違いないんですけれども、イエス様はそれを手にして、祝福して、そしてそれを分けてあげた。分けてあげる度にその手元のパンが増えていったということでしょうか。ともかくですね、「なんだ、これっぱっかり、しようがないじゃない」というのではなくって、イエス様はそれを手にして祝福して人々の祝福のために分けてあげたという。

 私たちは小さいこれしかないと思えるようなものであっても、主の御手にあるならば最大に生かされる、そう信じていきたい。そう思いますね。

 ( PBA制作「世の光」2008.7.21放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ
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