♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■明日のことは明日が心配します

2004年11月27日 | Weblog
 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。
 さ、今日の世の光は、皆様からお寄せいただく「心に残る聖書の言葉」の御紹介です。

 東京都にお住まいの友沢悦子さんは、新約聖書マタイの福音書6章34節のことばをお寄せくださいました。イエス・キリストのおことばです。
「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 」

 これはもう50年も前のことなのですが、それでも今も心の底にはっきりと残っている当時の学校の寄宿舎生活の姿です。たまたま舎監の先生の言われたことばが聖書の中のこの一節のことばだったのですが、その頃の私は、このことばが聖書の中のことばだったのだという事は思いもかけませんでした。それから幾年月経って教会に通うようになって、このことばが聖書に載っていると知って驚きました。その当時日本ではキリスト教は大変な弾圧を受けて苦しい中にありました。それですから、先生がどんな気持ちでどんな覚悟でこのことばを私たちに教えてくださったかと思います。先生は少し疲れたという感じで深い秋の日の終礼の席に座っていた私の顔をじいっと見てこのことばを語ってくださいました。クリスチャンでもない私の心の奥底までこのことばが響き渡り、しばらく頭を上げることができませんでした。その頃は食べるものも着るものもない、戦争はいつ終わるかと分りませんでした。私は聖書のことばの中には力がある、いのちがあるということを思い出しました。また同じく聖書の中にあるもう一つのことばを思い出しました。「あなたがたの思い煩いを一切、神にゆだねなさい。神があなたがたの事を心配してくださるからです。」第一ペテロの5章の7節のことばです。

 友沢悦子さんの心に残る聖書のことば。
「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 」マタイの福音書6章34節のことばです。
 それでは、また聞いてください。

( PBA制作「世の光」11/27放送でのお話しより )

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今日のお話し、いかがでした?
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。また、近くの教会も紹介してくれますので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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