♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■涙の谷も泉に

2007年11月26日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。

 えー、今月はですねえ「幸い」シリーズのようにしてお話しをしてきたんですけれども、旧約聖書の詩篇の84篇という所に、「なんと幸いなことでしょう」ということが3回繰り返されているんですねえ(4、5、12節)。

 で、「なんと幸いなことでしょう」と言ったらもう何かこう何をしてもハッピーないいことばかりが続く、そういうような情景が普通なら考えられることなんですけれども、ここを見ますとですねえ、その「なんと幸いなことでしょう」というのは必ずしもいいことばっかりあって順調にすべてが進んでいっているからというふうなことではなくって、こういうことばがそのあとに続いているんですねえ。「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。」(6節)ということばが続いていくんですねえ。

 で、谷っていうのは低い所ですよねえ。で、神様はその泉というのを谷のそういう低い所に湧きあがらせてくださる。つまり人間はこう高ぶったような思いの時でなくって、ああ私っていうのは本当にダメな人間だなあと思わせられたり、そして自分自身が神様の前に頭を低くさせられるそういう所に泉を湧き起こしてくださる。

 谷というのは日の当たらない、何となく暗い所ですよねえ。私たちの人生にちっとも日が当たらないなあなんて思ったりするようなことがあるかもしれませんけれども、神様は日が当たって人々からちやほやされるようなそういう場所では必ずしもなくて日が当たらないと思われるような暗いと思われるそういう所に泉を湧きあがらせてくださる。

 この所では、その悲しみや苦しみや悩みを象徴するような意味で「涙の谷」って言われているんですねえ。私たちの人生には本当に涙の谷を通るようなことがある訳ですねえ。でも神様は、「なんと幸いなことでしょう」というのは、そのままでは終わらせない、そういう谷にこそ泉を湧きあがらせてくださるのだと。そしてその泉は私たち自身の心を生かし、それだけではなくって、その所から泉は湧き出て他の人々を潤し慰めていくというような所へ変えてくださる。

 私たちは「なんと幸いなことでしょう」、本当は悲しい筈の「涙の谷」も神様によって泉の湧く所に変えてくださる。

 そういう意味で私たちは幸いな日々を歩むことができるってことなんですねえ。
 
 ( PBA制作「世の光」2007.11.26放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合わせは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ
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