♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 -自由への励まし- 14 / 大嶋重徳

2017年06月08日 | Weblog
2017/6/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。十戒を始めとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく自由へと導くためのことばなのです。

 十戒第二戒には、「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」(出エジプト記 20章4節)とあります。

 自由に生きることを阻もうとする存在とは具体的にいったいどのような存在なのでしょうか。歴史的に偶像礼拝との戦いとは異教との戦いと言うことと共に、宗教を統治のために利用しようとする国家との戦いという側面がありました。

 旧約聖書においてイスラエルにおける偶像礼拝の戦いは、絶えず周辺諸国の拝む神をイスラエルの民に拝ませようとする政治的な支配と絡んでいました。なぜなら国家権力にとって宗教による統治は国家に従う国民を作りやすく、考えることをさせない国民を作ることができるからです。国家権力において都合の良い偶像の提示は、価値基準を権力が定めることができ、何が本当に大切なことなのかは国家が提供し、その問いを考えさせることを阻めるからです。また神存在を認めない共産主義国家においても、指導者の神格化が統治のために利用され、独裁政治を行うことにもなりました。現代も中東、ヨーロッパにおいて、若者たちのいのちが神の名のゆえに戦争やテロに駆り立てられています。

 しかし私たちが十戒の第二戒の自覚をはっきりとする時、私たちは国家権力が偶像によって支配することを監視し、管理監督する使命に立たされます。ここで私は、教会が政治運動をやるべきだとは言っていません。イエスを主と告白することを妨げようとする事態が起こった時に、キリスト者はそこにある偶像礼拝の問題を鋭く見抜き、十戒の語る自由への戦いをすることが起こり得るのだと言うことなのです。日本でも大切にされている政教分離の原則とは、宗教が政治にかかわらないのではなく、政治が宗教に介入し宗教を統制し利用することをさせない、教会の自律性を守ることを指しているのです。この教会の自律性を守る戦いのことを教会は、信教の自由を守る戦い、として表現してきました。この国の今の状況はいかがでしょうか。私たちには、神様に自由に生きるために、目を開いておかないといけない戦いがあるのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.6.8放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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