♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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■解決の糸口はここに ~十字架による罪の赦し / 羽鳥頼和

2017年05月20日 | Weblog
2017/4/15放送


 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
今週はイースター・スペシャルをお届けしています。今日は、「解決の糸口はここに ~十字架による罪の赦し」というタイトルでお話しします。

 誰にも解決を必要としていることがあると思います。聖書は全ての人が抱えている問題が罪であることを教えています。聖書は言います。「罪から来る報酬は死です。」(ローマ 6章23節) 「 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない。」(ローマ 3章23節参照)

 この罪の問題を解決してくれるのがキリストの十字架です。しかしキリストが十字架で死なれたのは今から2000年以上前のことです。どうしてそんな大昔の出来事が人の罪を赦すことができるのでしょうか。新約聖書のマルコの福音書は十字架の時の二つの出来事を記すことによってキリストの十字架がすべての人の罪を赦すことを教えています。

 一つ目の出来事は、キリストが十字架で死なれた時に神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたということです。この幕とは神殿の一番奥の神がおられる至聖所という所と一般の聖所とを分ける幕のことです。この幕を通って入るのは神に選ばれ、身を清めた大祭司だけであり、それも年に一度神に定められた時でなければ入ることができませんでした。その幕がキリストが死んだときに裂けたということは、キリストの十字架の死によってすべての人が罪赦されて神と共にいることができるようになったことを教えています。

 もう一つは、キリストの死刑執行の現場の指揮官であったローマの百人隊長の言ったことばです。彼はキリストが十字架で死ぬのを見て、「この方はまことに神の子であった。」(マルコ 15章39節)と言ったのです。死刑を執行する立場の人がキリストは無罪であることを認めました。いや、犯罪人どころか精錬潔白な人物であり神の人であることを認めたのです。すべての人の身代わりとなるためには、普通の人では無理です。まったく罪のない、神であるキリストでなければ全ての人の罪を負って身代わりとなることはできなかったのです。こうしてキリストの十字架によって罪が赦され、死の問題が解決され、神との関係を回復する救いの道が用意されたのです。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2017.4.15放送でのお話より )
 
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