♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■唯一の道筋 -2 / 大嶋重徳

2017年05月18日 | Weblog
2017/4/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
さて今度の4月16日はイースターと呼ばれる大切な日です。そこで今月はキリスト教信仰の中心であるイエス・キリストの十字架と復活についてお話ししたいと思います。

 イエス様はその人生の中で完全に神のことばに従い抜かれました。このイエス様の生き方が神の目に適い、この地上に神の前に出る道筋が開いたのです。

 しかし問題は私たち人間の中にある罪です。幾らイエス様が完全に神のことばを守り行えたとしても、私たちの犯してきた罪の問題を神様は神の正しさのゆえになかったことにはできません。私たちはこの罪を持ったまま神様の前に出ることはできないのです。

 旧約聖書において、神殿で祭司たちは神に近づくために動物のいけにえが神殿で捧げられる必要がありました。神殿の聖所では幕が仕切られ、至聖所と呼ばれる所がありました。その至聖所には年に一度、民の罪の赦しのためのいけにえを捧げるために大祭司ひとりだけが入ることができたのです。その際、大祭司はその聖所に入る前にまず自分の罪の赦しのためのいけにえを捧げなければなりませんでした。なぜなら大祭司自身の罪の問題があったからです。そこで大祭司は傷のない雄牛の頭の上に全体重をかけて手を置きます。自分の罪を雄牛に背負ってもらうのです。その雄牛の血が流され、その後、炎で焼き尽くされ、そこで自分の罪を背負った牛の死と共に自分の罪は完全に死にます。そして流された血によって自分の罪が洗われるのです。そうしないと神殿の幕の向こう側に大祭司は入ることができませんでした。そして続いて大祭司は民の罪のためのいけにえを捧げたのです。大祭司は民の罪が洗いざらい清められるために毎年毎年動物のいけにえを捧げなければなりませんでした。

 その旧約聖書のいけにえを不十分だと新約聖書では語ります。なぜなら毎年行われるそのいけにえの光景を見る度に自分の罪で赦しが完全に行われていないことを知り、自分を責め、罪の呵責から抜け出ることが人にはできなかったからです。

 私たちには完全な罪の赦しが必要です。そのためにイエス様が完全な罪の裁きを身代わりに背負う神の子羊として十字架にかかられました。この十字架の身代わりの死によって私たちの罪は十字架の上で滅ぼされ、そして完全に赦されるのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.4.13放送でのお話しより )

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