♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して65年の
「世の光」を文字で 

■万物を造った主/福井 誠

2017年04月20日 | Weblog
2017/3/16放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「砂漠を主の園のようにする」です。それではイザヤ章44章24節から読んでみましょう。
 「あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。『わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。』」

 今日の箇所は聖書学者の間でもいろいろと議論のあるところですねえ。というのもイザヤ書は、その内容から大きくいくつかに区分されるのですが、この45章含む40章以降はどうもイザヤが生きていた時代よりもちょっと後のことを語っているようなのです。果たしてそんなに遠い将来のことを、しかも具体的にイザヤはどうして語り得たのだろうか、と疑問が投げかけられているのですねえ。

 私自身はこの箇所はイザヤが神に遠い未来の秘密を解き明かされた、つまり預言的な内容なのだと理解していて、大事にしたいのはここで語られているメッセージの内容です。「あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。『わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。』」

 神は、明らかにご自身を天地の救い主として示していますね。つまり、造られる者ではなく造った者だと言うのです。

 確かに神という存在を考えたときに、神が人間を造られることがあっても、その逆、人間が神を造り出すことはできないものでしょう。イザヤが言うように、どんなにナタを使い、金槌を使い、カンナで削り美しい形に仕上げても、それが人間を救い人間の未来を動かす力を持つ神になることはありません。しかし人間は神を手でこしらえ、商売繁盛、無病息災、家内安全を期待しますね。もはや人はそういう原始的迷信的な信仰から解放されなくてはなりませんね。むしろ、神がおられるとしたら、その方は造られることのない方、むしろ私たちをお造りになった方として認めていきたいものです。

 私たちが神をどのような方として認識するのか、それは私たちの人生を左右します。まことの神を恐れ信じる者でありたいものです。

(PBA制作「世の光」2017.3.16放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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