♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■唯一の道筋 -3 / 大嶋重徳

2017年04月20日 | Weblog
2017/4/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
今週の4月16日はイースターと呼ばれる大切な日でした。そこでキリスト教信仰の中心であるイエス・キリストの十字架と復活についてお話ししたいと思います。

 イエス様の十字架の死によって、かつて旧約聖書の時代に行なっていた祭司の捧げた罪のためのいけにえはもうしなくてもよくなった、と聖書は語ります。なぜならイエス様が大祭司として私たちのもとに来てくださり、ご自分を神の前で捧げるいけにえとして十字架の上で死んでくださったからです。この大祭司であるイエス様こそ唯一罪を犯すことのなかった、父なる神の前に出ることができる唯一の完全な大祭司です。私たちが神様の前に出ようとしても、誰かの罪を身代わりに背負うとしても、私たち人間には自分の罪があり、その罪の裁きを負わなければなりません。しかしイエス様だけは自分の罪が無いお方であるからこそ、他人の罪を背負うこともできる方でした。その方が大祭司として自分のいのちを捧げられた。それは私たちが神の前に出て、私たちが神様の元に戻って行くことができるためにです。イエス様は傷の無い子牛と同じように十字架で血を流されました。かつて祭司は子牛に手を置いて全体重をかけて自分の罪を子牛に載せたように、私たちの罪の全体重をイエス様は受け止めてくださって、イエス様は十字架で死んでくださったです。そして十字架の上で最後に「完了した。」(ヨハネ 19章30節)と言われました。「すべて完了したよ。あなたの罪を父なる神は赦されたよ。あなたの罪の赦しは完了した。」とおっしゃってくださったのです。

 十字架で死なれた時に、当時のエルサレム神殿の幕が真っ二つに上から下に裂けました。上から下に「真二つに裂けた」(ルカ福音書 23章45節)というのは、神がご自身で引き裂かれたことを意味しています。そして今や私たちはイエス様を通していつでもどこででも私たちは父なる神様のもとに近づくことができるようになったのです。日本であってもあなたのあの部屋であっても、気兼ねなく、思う存分、大胆にイエス様のそばに行くことができるようになりました。このイエス様によって神に近づいていくとき、神様は「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」(ヘブル 10章17節)と言われるのです。ここに私たちの救いがイエス様でなければならない理由があるのです。

  ( PBA制作「世の光」2017.4.20放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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