♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■愛は絶えることはない / 関根弘興

2012年08月27日 | Weblog
2012/8/27放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 人が生きていくということはどういうことでしょう。もしあなたの人生から愛ということを全く奪い去ってしまったら果たして生きていけるでしょうか。誰をも愛さず誰からも愛されずには人は生きていくことができません。

 でもこの愛ということばは時々安っぽい響きに聞こえることがありますね。それは条件をつけて愛ということを使う時があるからです。たとえばあなたが美しいから愛しましょう。お金があるから愛しましょう。自分の言う事を聞いてくれるから愛しましょう、と言った具合にすべてを条件づけで決めていくわけです。

 そうなると美しさが色褪(あ)せたら、お金がなくなったら、少しでも反抗的な態度をとったら、もう愛されないということになりますよね。それは本当の愛の姿ではありません。聖書で語る愛の姿ではないんです。

 私たちにとって最も必要なことは、人格として愛されることです。まことの愛は相手を生かそうとします。そして相手の人格を受け入れ存在そのものを肯定していくんです。それはあなたをかけがえのない存在として見つめていくということでもあるわけです。

 新約聖書第一コリント13章13節には、「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」と書かれています。またこのことばの少し前には、「愛は決して絶えることがありません。」(第一コリント13章8節)と書かれているんです。

 聖書が私たちに教えていることは、あなたの人格そのものを愛するお方がいらっしゃる、それは天地を創造された神様ご自身だと教えているんです。そしてその姿はイエス・キリストがお話した放蕩息子のお父さんの姿のようです。

 財産を湯水のように使い果たし、挙げ句の果てには家畜の餌で飢えをしのぐほどやつれたこの放蕩息子。放蕩三昧したこの息子はふと我に帰り自分の愚かさを認めて父親のもとに帰っていくんです。その時父親はどうしたでしょう。この息子を見つけると走りより、抱き寄せて指輪をはめさせて、大喜びで家に迎えたのです。何の条件もつけず、自分の惨めさを悔いて帰ってきた息子の人格をそのまま受け入れたんですね。それは息子にとっては新しい人生の始まり本当の生きるという事の始まりになっていったはずです。

 「愛は決して絶えることがありません。」(第一コリント13章8節) 神様のあなたへの愛は絶えることはないんです。

(PBA制作「世の光」2012.8.27放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

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