朝、君の写真を見ると幸せな気分になれる、と言われた。
いい気分だった。
自分のやってきたことは無駄じゃなかった。
回顧展だから仕方ないが、今回の展示は1940~60年代の第一線で活躍していた時の作品が主だった。
銀塩写真はぞくぞくするほど美しい。そしてもちろん展示された写真は最高に美しく、格好いい。NYの空気まで展示されているような写真展だった。
再評価された時に、今こんな感じの写真を撮っていると流された写真は、四角くく切り取られただけのどこだかわからないただのNYの風景だったが、変わることのないソール・ライターの目を通したNYだった。
手にしたカメラがデジタルになり、現像しなくてもよくなったので、それこそ瞬きするように撮っていたようだ。
旅行者や居住者がスマホで撮っても、簡単に絵になってしまう街が、なぜソール・ライターが撮るとソール・ライターのNYになるのだろう。
人が歩き回って切り取った街の写真は、ただそれだけのものだけど、ソール・ライターが撮るとソールライターのNYになる。
それは撮りたい世界にdiveしているから。きっと今頃魂はNYの街にダイブして、溶け込んでしまっているんだろう。
無駄じゃないと言い切れる人生。
自分に意味のある物しか撮らない、 命令も指示も受け入れない。
そう貫いた生き方は、これが本当に自由に生きるということと、いい気分だと、写真の向こうからあの刺すような目で見つめ返しているようだ。