
面白かったです、『THE NEXT』。
個人的には『THE FIRST』以上に楽しめたと言ってもいいくらいです。
もう1回くらい観に行ってもいいと思ってます。
もちろん、すでに語り尽くされてるんでしょうが、突っ込みどころというか、困惑してしまった部分があったのも事実です。大学の付属高校があんなに荒れてるのかよ、とか笑(しかもライダーシリーズでは有名な“城南大”ですし)、包帯女の事件の方はショッカーとまったく関係ねーのかよ、とかですね。エンディング後の最後のシーンの解釈もこれに関係すると思います。
でも、あらためて考えてみたら気になるのはそれくらいかもしれません。
黄川田さん演ずる本郷のキャラが前作とは若干変わってるのも許容できましたし、琴美を置き去りにしてバイクで逃走するかのように見えるシーンも、陽動というか、敵をおびき寄せて琴美から離そうとしたのかなあとか解釈できますしね。
で、おそらくもっとも賛否両論巻き起こした(?)のは、ホラー要素についてだったと思うのですが、これはわたしは全然アリだと思います。全肯定。
というのは、特撮作品あるいは変身ヒーローものにおける根本的な問題、本質的契機(大袈裟)とでもいうべきものがここにあるとわたしは思っておりまして、『FIRST』での恋愛ドラマとの結合と、『NEXT』でのホラーとの結合は、その意味で正しく「特撮的」だと思うからです。
これはホラーが好きとか不得意だとかいうこととはまったく関係ありません。
というか、わたし自身ホラーは苦手です。結構チキン野郎なので。
だから『NEXT』を観ている最中も、ドキがムネムネしっ放しでした。目を背けたくなるのを必死に我慢しながら観てた、というのが正直なところです。でも、これって作品に引き込まれていたってことの証でもありますよね。実際、飽きさせない作りになってたと思います。
(それにしても、blogで『THE NEXT』を観に行った方の感想を読んでいると「ホラーは苦手」と語っている人がめちゃめちゃ多かった気がします。おそらく20エントリくらい見て、16、7つくらいはそうだったような。特撮好きの人ってホラー嫌いなのでしょうか?)
ともあれ、『仮面ライダー』はそもそも旧1号編に見られるような怪奇性を持ってたわけで、だからホラーと結合することは正しく、また伝統的なんだ、と考えることもできます(初期アマゾン、初期スカイライダーもそうなんですよね)。実際、これは説得的な解釈、見解だと思います。
ただ、わたしはそれですべてではないんじゃないかと考えておりまして、というのは、基本的に特撮作品ってのは突拍子もない空想の物語なわけで、そんな作品が好意をもって受け入れられる(アクチュアリティを持つ、同時代性を有する、人気を獲得する…等と言い換えられると思いますが)には、何らかの仕組み、システム、からくりが必要になるんじゃないかと考えています。
で、この「からくり」が、おそらく恋愛ドラマとかホラーとかホームドラマとか学園ものとかとの接合を要求するんじゃないかと思ったりしているわけなのです。
じゃ、その「からくり」とは何なんだ、という話になるわけですが、いまそれを必死に言語化し、論文にしようとしている石肉なのです笑。
ってわけで論理的かつ実証的にここで述べることはまだできないのですが、乱暴を承知で一言で言ってしまえば、矛盾や逆説を強引に内包させ、かつそれを何となく納得させてしまう特撮の両義的性質と、その両義性を支えるさまざまな仕組み、メディアの機能(いろいろ考えられます)にキモがあるような気がします。
バッタ人間という矛盾。カメバズーカという矛盾。シザースジャガーという矛盾。
以上は即物的な例ですが、少し抽象的な善悪の矛盾とか、正義と暴力の矛盾とかもありえます。
特撮とはさまざまなレベル、位相において矛盾と逆説に満ち満ちている、それはまったく異なるものを想像力によって架橋し合一させるからである、そしてだからこそ特撮は面白い…、と考えてみたいなと思うわけです。
もっとも、平成シリーズ以降、素朴な矛盾は説明されなければならないというモードができあがってます。これは世界観設定などによって矛盾や逆説を少しでもなくそうとする試みですね。
でも、そのようにして説明されたとき、矛盾は別に解消されたわけではなくて、単に「説明された」だけなんじゃないかと思います。そもそも、矛盾がいやならそんな設定は徹底的に排すればいいわけですし。でもそうはならない。できない。
それは矛盾や逆説こそがこの上なく魅惑的だからなんじゃないでしょうか。
個人的には『THE FIRST』以上に楽しめたと言ってもいいくらいです。
もう1回くらい観に行ってもいいと思ってます。
もちろん、すでに語り尽くされてるんでしょうが、突っ込みどころというか、困惑してしまった部分があったのも事実です。大学の付属高校があんなに荒れてるのかよ、とか笑(しかもライダーシリーズでは有名な“城南大”ですし)、包帯女の事件の方はショッカーとまったく関係ねーのかよ、とかですね。エンディング後の最後のシーンの解釈もこれに関係すると思います。
でも、あらためて考えてみたら気になるのはそれくらいかもしれません。
黄川田さん演ずる本郷のキャラが前作とは若干変わってるのも許容できましたし、琴美を置き去りにしてバイクで逃走するかのように見えるシーンも、陽動というか、敵をおびき寄せて琴美から離そうとしたのかなあとか解釈できますしね。
で、おそらくもっとも賛否両論巻き起こした(?)のは、ホラー要素についてだったと思うのですが、これはわたしは全然アリだと思います。全肯定。
というのは、特撮作品あるいは変身ヒーローものにおける根本的な問題、本質的契機(大袈裟)とでもいうべきものがここにあるとわたしは思っておりまして、『FIRST』での恋愛ドラマとの結合と、『NEXT』でのホラーとの結合は、その意味で正しく「特撮的」だと思うからです。
これはホラーが好きとか不得意だとかいうこととはまったく関係ありません。
というか、わたし自身ホラーは苦手です。結構チキン野郎なので。
だから『NEXT』を観ている最中も、ドキがムネムネしっ放しでした。目を背けたくなるのを必死に我慢しながら観てた、というのが正直なところです。でも、これって作品に引き込まれていたってことの証でもありますよね。実際、飽きさせない作りになってたと思います。
(それにしても、blogで『THE NEXT』を観に行った方の感想を読んでいると「ホラーは苦手」と語っている人がめちゃめちゃ多かった気がします。おそらく20エントリくらい見て、16、7つくらいはそうだったような。特撮好きの人ってホラー嫌いなのでしょうか?)
ともあれ、『仮面ライダー』はそもそも旧1号編に見られるような怪奇性を持ってたわけで、だからホラーと結合することは正しく、また伝統的なんだ、と考えることもできます(初期アマゾン、初期スカイライダーもそうなんですよね)。実際、これは説得的な解釈、見解だと思います。
ただ、わたしはそれですべてではないんじゃないかと考えておりまして、というのは、基本的に特撮作品ってのは突拍子もない空想の物語なわけで、そんな作品が好意をもって受け入れられる(アクチュアリティを持つ、同時代性を有する、人気を獲得する…等と言い換えられると思いますが)には、何らかの仕組み、システム、からくりが必要になるんじゃないかと考えています。
で、この「からくり」が、おそらく恋愛ドラマとかホラーとかホームドラマとか学園ものとかとの接合を要求するんじゃないかと思ったりしているわけなのです。
じゃ、その「からくり」とは何なんだ、という話になるわけですが、いまそれを必死に言語化し、論文にしようとしている石肉なのです笑。
ってわけで論理的かつ実証的にここで述べることはまだできないのですが、乱暴を承知で一言で言ってしまえば、矛盾や逆説を強引に内包させ、かつそれを何となく納得させてしまう特撮の両義的性質と、その両義性を支えるさまざまな仕組み、メディアの機能(いろいろ考えられます)にキモがあるような気がします。
バッタ人間という矛盾。カメバズーカという矛盾。シザースジャガーという矛盾。
以上は即物的な例ですが、少し抽象的な善悪の矛盾とか、正義と暴力の矛盾とかもありえます。
特撮とはさまざまなレベル、位相において矛盾と逆説に満ち満ちている、それはまったく異なるものを想像力によって架橋し合一させるからである、そしてだからこそ特撮は面白い…、と考えてみたいなと思うわけです。
もっとも、平成シリーズ以降、素朴な矛盾は説明されなければならないというモードができあがってます。これは世界観設定などによって矛盾や逆説を少しでもなくそうとする試みですね。
でも、そのようにして説明されたとき、矛盾は別に解消されたわけではなくて、単に「説明された」だけなんじゃないかと思います。そもそも、矛盾がいやならそんな設定は徹底的に排すればいいわけですし。でもそうはならない。できない。
それは矛盾や逆説こそがこの上なく魅惑的だからなんじゃないでしょうか。










