どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

この前のNHKFMの三昧は面白かったな

2017-03-25 01:05:48 | 日記

 

今日はまあいいやといった日だった。計画通りに時間が進んでいたのだが、なぜか辻褄が合わなくなった。だからどうでもいいやと諦めた。

 

 

この前のNHKFMの三昧特集は「失恋ソング」だった。色々な意見が出ていたが、ゲストの脳学者と社会言語学者の意見がすごかった。

で、この学者さんを調べたのが、NHKのサイトに記載がなかった。ツイッターのログを調べれば出てくると思うが、どちらにしても私の記憶の精度が甘いので、これからの記述は思い込みとかそういったものになる。なので下手すれば彼らが言っていないことを書いてしまうかもしれないので、逆に調べない方がいいだろうと思おう。むしろここからは私の考えだと思っていただければ。

 

 

まず脳学者としては、恋愛とは人を繁殖行動に導くためにあるシステムで、そのために脳は多幸感を与えるように動く。そう、脳が脳を騙すような状態だ。簡単に言えばそれだけなのだが、実際にはちょっといいなと思ったところから、デートなりを積み上げてゆき多幸感を増してゆく必要があるのだが、そのプロセスは人それぞれ。一目惚れもあれば3年越しもある。

失恋とはその多幸感を一気に失うこととなる。

 

 

社会言語学者は、これに対して時代による区分があるという。この辺りの話は家事をしながらだったからうろ覚えだが、失恋ソングは昔は男歌が多かった。ムード歌謡や演歌とかだな。そしてシンガーソングライターの時代になって女性の失恋ソングが出てくるが、共通するのはなんで別れたのかどちらが悪いのかというのがわからずメソメソする。だが多幸感の喪失だから男女差が出てくる。

男は今でもお前のことは忘れらないぜ、とメソメソ言いながらカッコつけたがる。やっぱりお前はいい女だったとか、別れ際は綺麗にしてやるとかだ。それでいて、別れた女とよりを戻したいという曲やよりを戻した曲がある。

女は、カッコつけない。直接的に「恨む」し「なかった」ことにする。

で、これは男女差ということになる。ちょっと別な人の意見が入っているな。

 

 

わかれうたで最近の特徴は、別れがポジティブになっているということだ。確かにそうだ。「あなたとの月日は楽しかったし、無駄ではなかった」そう言った歌は女歌にはあったが、男歌にも出ている。「あなたのおかげで成長できた」となれば何か意趣返しの感もあるが、ポジティブすぎるほどだ。特にアイドルグループでは、メソメソは個人的なものなので、難しいようだ。

理由はSNS等でコミュニケーションが緻密になりすぎた結果、メソメソできなくなったということだ。緻密なコミュニティの中では恋愛から失恋はコミュニティにとて自明のものだが、それがさらに問題になる。みんなわかっているからメソメソされるとコミュニティが崩壊しそうになるのだ。だから早く立ち直るように要求されるわけだ。

距離が近くなりすぎた結果なのだ。

 

 

その点我々の時代は長閑だった。対面でないとコミュニケーションではない。手紙はなかなかに難しい。そして電話すら持てない時代だった。それが携帯になりすれ違いドラマがなくなり、SNSで遅延上等のリアルタイムコミュニケーションになった。

恋愛の構築性が緻密になりすぎた結果、失恋が重くなりすぎたとも言えるだろう。

だからこそさっさと見切らないといけないのだ。

 

 

まあだから、もう恋なんてできないんだろうなと思う。今の緻密な空間に耐えられないと思う。

 

 

人生はわかれうただよ。どう抗ってもね。


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