i-Ratの斜目線

何気ない日常の事から時事問題や歴史の事などを眺めていきたいと思います。

国譲りから神武天皇(3)

2017-07-12 22:47:46 | 日記

基本的前提事項(1)
「日本書紀」は「編年体」で書かれた歴史書である。

国譲りから神武天皇(1)(2)の拙い文章で私が言いたかったことは
出雲の政権から国譲りを受けた新しい政権について
日本書紀は故意に隠蔽しているのではないかということです。

それは「神武東征」説話でも同じです。
神武天皇は現在の宮崎県から出発しています。
その時、神武天皇の立場はどのようなものだったのでしょう?
父のウガヤフキアエズノミコトは出発地となった地域のどのような立場だったのでしょう?
少なくとも、九州や中国地方を含む広い地域の支配者ではなさそうです。
天孫降臨とはどのような出来事だったのでしょう?
葦原中国の統治者になるためでは?

このブログの考え方は、主流派の考え方とは異なります。
日本書紀の記述が編年体で書かれているという前提に立って
日本書紀の記述を追っていくと「国譲りから神武東征」までの内容がしっくりこないため
私なりに推論したものです。

神武天皇は、出発するときどのくらいの人数で出発したのでしょう?
出発した地は、放棄したのでしょうか?
誰かがのこってその地を受け継いだのでしょうか?
出発した地は、独立国なのか? それとも大きなな国の一部なのか?
大きな国の一部だとしたら、その国の支配する範囲は? 首都は?
日本書紀には明記されていません。

出発後なぜ北九州方面に立ち寄ったのでしょうか?
大和地方を目指すならば、大きな寄り道です。
岡山県あたりまでは、抵抗にあうことなく進んでいます。
この辺りまでは大きな国の支配地域なのでしょうか?

私としては、少なくとも九州と中国地方を統治する大きな国があったと考えています。
九州と中国地方を統治する大きな国があったと仮定して「神武東征」を推論してみます。

基本的前提事項(2)
少なくとも九州と中国地方を統治する大きな国が「神武東征」当時にあった。

基本的前提事項(2)をもとに
ウガヤフキアエズノミコトの立場を考えてみましょう。
ウガヤフキアエズノミコトは大きな国の統治者だったのでしょうか?
そのように考えられる記述はありません。
地方の軍事・行政官的な立場と考えることが妥当ではないでしょうか?
そう考えると、「神武東征」の出発地が宮崎県であることの理由の説明は
難しくありません。ニニギノミコトからウガヤフキアエズノミコトまでの間に
大きな国の政府から宮崎県の一地方を統治するように命令されたと考えることができます。
そして、神武天皇は、自分の住む宮崎県から出発した。

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