ローゼンメイデンをゴスロリの萌えアニメと思って鑑賞すると、たぶん失望を味わう。
ここで描かれるのはヒネた秀才の不登校児がどのように、少しずつ現実に戻ろうと心を開くか、という過程を・・・などと書くと非常に道徳的で堅苦しい作品のようだが、人形に振り回されるネクラなガキというコミカルな部分がそのような印象を抑えるのに成功している。
例えばこれが、ラブコメのように「救い主」が人間なら、視聴者は「自分もあんなかわいい子がいれば努力するのに」というように作品世界を羨望して視聴者の現実への復帰は断たれてしまうのだが、この物語が秀逸なのは、敢えて人形であることを強調して、現実への復帰を「本人次第」と放置する姿勢ではなかろうか。
(もちろん人形でも宇宙人でも二次元ならところかまず恋してしまうような重症の人間には無意味だろうが・・・)
もちろん、人形たちの愛憎劇からジュンが現実社会への復帰や人間としての優しさを学ぶ契機も生まれるが、それでも「自分を救うのは自分」というコンセプトは、いわゆる安易な「非日常アニメ」が多いなかで特筆すべき点だと思う。
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ウィキペディアよりあらすじ
引きこもりの日々を過ごす少年・桜田ジュン。彼はネット通販で買った商品を、期限ギリギリでクーリングオフしてスリルを楽しむという、鬱屈した性格の少年であった。
ある日、彼は怪しげなダイレクトメールを受け取る。そこに書かれた、「まきますか まきませんか」との問いに、軽い気持ちで応えてしまう。すると翌日、薔薇の装飾金具の付いた重厚な革製の鞄が送り付けられて来た(アニメでは、ジュンの部屋に本人も気付かないうちに忽然と現れた)。
鞄を開けると、中にはまるで生きているかのように精巧に作られたアンティークドール(少女人形)が収まっていた。興味半分にジュンが螺子を巻くと、人形は目覚め、「ローゼンメイデン第5ドール真紅」と名乗り、ジュンに対して、自分と契約して下僕(アニメでは家来)となる事を要求する。
最初こそ真紅の尊大な態度に反発したジュンだったが、突如窓ガラスを割って侵入してきた人形に命を狙われ、訳も分からぬうちに真紅と止む無く契約を交わしてしまう。こうして、真紅に関わる事により薔薇乙女達の争いに巻き込まれてしまったジュンは、様々なドール達やその関係者達との出会いを通じて、その心を成長させていく事になる。
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男として他人に受け入れられないアニメを何故、そんなに見るのかと言われそうだが、見始めたのに深い理由はない。
今回は言い訳を入れさせてもらう。
今回、新たにアニメを見るに当たっての選考基準は以下の通り
・ネット上に英語版があること
・ロボットアニメじゃないこと
・格闘アニメじゃないこと
どうも私は所謂「男の子作品」が大の苦手であるらしい。
思い起こせば幼少の頃、読んでいたマンガ雑誌はジャンプではなく、りぼん。
マンガは「ドラゴンボール」「北斗の拳」じゃなく、「ちびまるこちゃん」「お父さんは心配性」・・・と妹が欲しかったという姉の趣味そのままに育ってしまった。
私はガンダムとか北斗の拳とかスラムダンクとかドラゴンボールとかワンピースとか「男の子」が絶対見て育つべき作品に対する造詣がほとんどない(読んでも忘れる)。
ちなみにゲームはテトリスとソリティアしかできないので、RPGの知識も皆無である。
・・・というわけで消去法的に男臭さが薄い作品を選ぶことになる。
以上、言い訳。
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