東京は愛せど、なんにもない

たとえあなたがたの思想が敗北しても、あなたがたの思想の誠実が勝利を得なければならない (ツァラトゥストラ)

「ローゼンメイデン トロイメント」(アニメ第二期)

2008年02月17日 | 感想
「これは名作。第一期をはるかに超えて面白い」が書き出しになる予定だったのだが、最後の二話が消化不良気味で不満。

主に、ジュンと真紅を通して人間の成長を描いたのが第一期なら、
ローゼンメイデンたちの対立や葛藤と言った微に入り細に入る心理描写が巧みなのが第二期だ。

ただ、10話までは間違いなく良作。
それとオープニングとエンディングがカッコ良過ぎ。これはすごい。


ここからネタバレを含む感想を書こうと思ったのだが、一応、未完っぽいラストだったので、完結してから書こうと思う。

「金融政策の話」(黒田晁生)

2008年02月16日 | 感想
今年三冊目。

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中央銀行のパンフレット(と言われるのを著者は嫌がるだろうが)としてよくできている。
経済学部卒なら金融の授業の復習になってよいのでは。
下手に日銀が出した本を読むよりもこっちの方が取っ掛かり安い。
著者自身の中央銀行像・論が前面に出ているので、それを追っていけばよいからだ。

読み飛ばしたものの、それは詰まらないからではなくて既知のことが多かったから。
たまにはこういう本で復習しておかないと鈍ってしまう。

姉とケンカした―バカは死んでも治らない

2008年02月13日 | 日常
今回は完全なグチになってしまう。
今回は「やればできる子」の資源を有効に活用することがいかに難しいか、を肉親で体感することになってしまった。

ただでさえ沈みかけの我が家は、もう、たった一人のインテリをも生み出すことなく崩壊していく。

そこには私しかいない。私がなんとかしなければ・・・





姉は来年で30である。
社会人一年目、もう世間様と同じ生き方はできない。
姉の仕事はマクドナルド的に残業だらけで転職できるようなスキルは身につかない単純労働だ。

早く松山から離れたい姉の夢は一生遊んで暮らせるようにハッピーリタイアメント。

せめて彼女の得意分野で生きる手立てを弟として支援しようかと考えたのだが、最近、東池袋再生計画を見事に失敗した私は、「他人に関与しても本人にやる気がなけりゃ仕方ない」と思いなおし、そのまま放置しておいた。

今日、そのとき送ったメールに対して姉から電話があったので、前述のように別に姉の人生に干渉する気はないので勝手にパートでもして松山で一生を終えるように言ったのだが、姉がやたら険のある口調で、「あんたに迷惑はかけてない」を連呼するので、言いたくなかったのだが、私も久しぶりに激高して、


姉が私の3つ上なのにも関わらず就職も結婚もせずにいたために、私の人生が大きく損なわれたこと、彼女の留年・留学のせいで実家の家計を一人で支えざるを得なくなり、私の人生に多大な迷惑がかかったことにつけくわえ「なんいいよんぞお前ふざけんなよしねやまじでくそが」と言い放ち、電話終了。


彼女は自らの就職が遅れたことや、私が実家の家計を支え続けた心労で精神病になったこと(それだけが原因じゃないけど)に関しては、引け目を強く感じているらしくどんなことでケンカになってもこれらの発言で彼女は黙り込んでしまう。


・・・しかし、これでは電話する以前より状況としては悪化してしまったではないか。
私としては姉に彼女の得意な化学や中国語で旧帝大に入り直してもらって、しかるべきスキルを身につけてこれからの人生をよりよい方向に進んでもらうのが最善と考えていた。
とはいえ、それを押し付けるのは敢えてやめて、どうせ会社をさっさと辞めてまた大学でも行きなおすだろうからそれを見守るのが次善だと考えた。

しかし、今日の電話でますます彼女は意固地になって会社を辞めないだろうし、そうすればますます彼女の人生の新しいやり直しがずれ込むことになる。

我が家は生活保護スレスレの時期があったほど困窮している家庭だ。
彼女が30過ぎても道楽でノビノビ暮らしていくような蓄えはない。
決断は早い方がいいと思うのだが・・・

また私は失望してしまった。


姉に東池袋―大阪外大と早大。
人間は大学できまらないというのは認めるが、本来それなりの脳力がある人間がどうしてかアンポンタンなことしか言わなくなると私は淋しさを覚える。

また、ニコニコでも見るか。

「確率的発想法」(小島寛之)

2008年02月03日 | 感想
今年二冊目。

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大阪府池田市石橋。
私の「ありえた未来」はそこにある。
この地の大学受験が浪人も末期になった私の頭に過ぎった。



本書は、前回紹介した「使える!~」とは異なり、万人に薦められるような内容とは言いづらい。
というのも、本書のメインテーマに繋がるのは、ナイトの不確実性を元にベンサム、JSミル、ピグーそしてロールズへと結びつけていく過程であり、これはさすがにミクロ経済学の初歩を知らない人間には厳しいのではないだろうか。

では、本書のメインテーマとは何か。
それは「ありえた未来」である。

私があの時、阪大に進んでいたら、姉と同居していたら、実家が資産家だったら、身体障害者に生まれていたら、モザンビークに生まれていたら・・・
これらの「ありえた未来」とともに、過去の過誤を想定し、自らの運・不運を思うことは、同時に世界の「不平等」について考えることに繋がる。

本書の政治的立場には同意しないが、「ありえた未来」にたいする数理経済学的視野、そして人類の厚生に関するわかりやすい入門書としては非常に良くできている。

「ローゼンメイデン」(アニメ第一期)

2008年02月02日 | 感想
ローゼンメイデンをゴスロリの萌えアニメと思って鑑賞すると、たぶん失望を味わう。

ここで描かれるのはヒネた秀才の不登校児がどのように、少しずつ現実に戻ろうと心を開くか、という過程を・・・などと書くと非常に道徳的で堅苦しい作品のようだが、人形に振り回されるネクラなガキというコミカルな部分がそのような印象を抑えるのに成功している。

例えばこれが、ラブコメのように「救い主」が人間なら、視聴者は「自分もあんなかわいい子がいれば努力するのに」というように作品世界を羨望して視聴者の現実への復帰は断たれてしまうのだが、この物語が秀逸なのは、敢えて人形であることを強調して、現実への復帰を「本人次第」と放置する姿勢ではなかろうか。
(もちろん人形でも宇宙人でも二次元ならところかまず恋してしまうような重症の人間には無意味だろうが・・・)

もちろん、人形たちの愛憎劇からジュンが現実社会への復帰や人間としての優しさを学ぶ契機も生まれるが、それでも「自分を救うのは自分」というコンセプトは、いわゆる安易な「非日常アニメ」が多いなかで特筆すべき点だと思う。


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ウィキペディアよりあらすじ

引きこもりの日々を過ごす少年・桜田ジュン。彼はネット通販で買った商品を、期限ギリギリでクーリングオフしてスリルを楽しむという、鬱屈した性格の少年であった。

ある日、彼は怪しげなダイレクトメールを受け取る。そこに書かれた、「まきますか まきませんか」との問いに、軽い気持ちで応えてしまう。すると翌日、薔薇の装飾金具の付いた重厚な革製の鞄が送り付けられて来た(アニメでは、ジュンの部屋に本人も気付かないうちに忽然と現れた)。

鞄を開けると、中にはまるで生きているかのように精巧に作られたアンティークドール(少女人形)が収まっていた。興味半分にジュンが螺子を巻くと、人形は目覚め、「ローゼンメイデン第5ドール真紅」と名乗り、ジュンに対して、自分と契約して下僕(アニメでは家来)となる事を要求する。

最初こそ真紅の尊大な態度に反発したジュンだったが、突如窓ガラスを割って侵入してきた人形に命を狙われ、訳も分からぬうちに真紅と止む無く契約を交わしてしまう。こうして、真紅に関わる事により薔薇乙女達の争いに巻き込まれてしまったジュンは、様々なドール達やその関係者達との出会いを通じて、その心を成長させていく事になる。


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男として他人に受け入れられないアニメを何故、そんなに見るのかと言われそうだが、見始めたのに深い理由はない。
今回は言い訳を入れさせてもらう。

今回、新たにアニメを見るに当たっての選考基準は以下の通り

・ネット上に英語版があること
・ロボットアニメじゃないこと
・格闘アニメじゃないこと

どうも私は所謂「男の子作品」が大の苦手であるらしい。
思い起こせば幼少の頃、読んでいたマンガ雑誌はジャンプではなく、りぼん。
マンガは「ドラゴンボール」「北斗の拳」じゃなく、「ちびまるこちゃん」「お父さんは心配性」・・・と妹が欲しかったという姉の趣味そのままに育ってしまった。

私はガンダムとか北斗の拳とかスラムダンクとかドラゴンボールとかワンピースとか「男の子」が絶対見て育つべき作品に対する造詣がほとんどない(読んでも忘れる)。
ちなみにゲームはテトリスとソリティアしかできないので、RPGの知識も皆無である。

・・・というわけで消去法的に男臭さが薄い作品を選ぶことになる。

以上、言い訳。

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