沖縄・伝統文化

沖縄の伝統行事や伝統芸能・民俗芸能などを紹介するブログです。
掲載されている文章、画像等の無断流用は固くお断りします。

東風平町・豊年祭

2005-09-18 17:33:40 | 行事
旧暦8月15日の夜、沖縄県内各地では地域に伝わる豊年祭が行われます。東風平町の場合、昼間は唐人行列や棒術などが行われた後、夕方になると村芝居の舞台が始まります。

画像は東風平町字東風平の村芝居の舞台、幕開けに演じられる定番の演目、長者の大主です。福禄寿の象徴である村一番の長寿の老人が大勢の子や孫を引き連れて歌や踊りを楽しむという設定になっています。

子供たちによる花笠踊りですが、基本もそれなりにしっかりしていて、かわいい踊りをみせてくれました。

ここの舞台の演目は実に多彩で、画像のようにお芝居(仲直りサンラー小)さえ演じられていました。いつも夫婦げんかをしては実家に逃げ帰る母親に困り果てたサンラー小(ぐわぁー)は、仲直りの一計を思いつきます。大きな魚を背負った姿で母親と偶然行き会ったふりをして、あさっては父親の結婚式だとうそをいいます。実家へ逃げ帰った母親が、実はいつも後悔していることを知っていたからです。こうして、なんとかとりなしてくれと頼み込む母親に魚を背負わせて、父親の元へ連れて帰る場面です。

踊りの後には、大きな団扇と稲穂を持ったミルク様も登場しました。ここのミルク様は単独ではなく、相方が一緒に踊ります。また、驚くほど踊りや芝居のレベルが高く、とても素人芸能とは思えないほどのでき映えです。それだけでなく、伴奏の地謡も生演奏の楽団付きでした。町内には、いくつかの琉舞道場や三線道場があることから、舞踊などの伝統芸能も盛んなのでしょう。


東風平町・大和人、唐人行列

2005-09-18 16:23:04 | 行事
旧暦八月十五日は、沖縄県内各地で地域に伝わる豊年祭が行われます。この日の昼過ぎ、那覇市に近い東風平町へ出かけました。

東風平町字富盛へやってきたとき、運良く伝統行事の大和人行列と唐人行列の道ジュネー(練り歩き)を見ることができました。画像は大和人行列、大名行列を模したもののようで、「下に~、下に~」といいながら行進します。行列後ろでは、小姓風の供の者が踊っています。

いつ頃始まったのかは不明なようですが、毎年八月豊年祭の日に披露されているとのことです。

唐人行列は、中国語らしきセリフがあるのですが、現在ではその意味も失われてしまっているということです。鉦持ちと大きな涼傘持ちにも特徴がありますが、先頭の鉦持ちが「オォー」と大音声をあげるところも独特です。

行進の途中、供の者がチャルメラのような楽器を演奏して、唐手の演舞を披露します。


首里城・中秋の宴(二日目)

2005-09-17 20:39:29 | 行事
首里城・中秋の宴は三日間続きます。二日目もかつての御冠船踊りと組踊が披露されました。この日の演目は、「作田(ちくでん)」「ゼイ」「柳」「四つ竹」「若衆特牛節(くてぃぶし)」「本貫花」、そして「しゅんだう」です。

代表的な古典女踊りの一つ「四つ竹」が始まったころ、雲間からおぼろ月が顔を出しました。

画像は古典・若衆特牛節(くてぃぶし)です。若衆、元服前(15歳)の若者が二本扇子で踊る祝儀の踊りですが、ほとんどの場合、若い女性が若衆姿で踊ります。

最後に演じられたのは組踊「花売りの縁」、失踪してしまった夫を探して旅に出た母と娘が旅芸人の猿引きに出会って、猿の芸を見せてくれるように頼む場面です。
(宮城能鳳組踊研究会 ビデオ画像)

首里城・中秋の宴

2005-09-16 18:52:35 | 行事
旧暦の十五夜、かつて中国の使者「冊封使」を歓迎するために催されていた「中秋の宴」を見に行ってきました。十五夜前後の三日間の夜、首里城内の特設舞台で琉球舞踊と組踊が演じられます。演目は、おおよそ当時のものに沿ったもののようです。この三日間は、首里城正殿も夜間開放されています。また、全体がライトアップされていて夜景も楽しめます。

中秋の宴は、老人・老女が若衆を引き連れて登場する「長者ぬ大主」で幕を開けました。画像は、その中で踊られた祝儀舞踊「鶴亀」、長寿の象徴である鶴と亀の飾りを被って踊ります。

首里城正殿では、沖縄県の人間国宝、照喜名朝一氏(三線)、島袋光史氏(太鼓)、島袋正雄氏(三線)による古典演奏会が行われました。照喜名朝一氏(安富祖流)が仲風節を謡う画像です。

最後の演目は、首里城正殿前の特設舞台で演じる組踊「銘苅子(めかるしー)」、主人公の銘苅子がある日、天女が水浴しているところへ行き合って、夫婦となったという沖縄版天女伝説です。組踊は、オペラのような歌劇なのですが、難解なセリフを独特の節回しで吟じるので、ある程度の関心と予備知識がないと見ているのが辛いかもしれません。それでも、地元の人たちや観光客に混じって、大勢のアメリカ人たちもじっと観劇していました。(県立芸大OB会 ビデオ画像)

多良間島・八月踊り

2005-09-12 15:35:05 | 行事
宮古島と石垣島の中間にある多良間島・八月踊りを見るため石垣島へ渡りましたが、祭りの初日は台風15号のため、見ることができませんでした。二日目、石垣島から荒れた海を高速船で約二時間かけてやっと多良間島入りすることができました。多良間の八月踊りは、豊年祭の行事として行われる村の芸能祭りです。島の二つの集落、仲筋字と塩川字が互いに相手の集落を招いて、踊りと組踊を披露する村芝居のような余興なのですが、他の地域には残ってない演目も多く、国の重要無形文化財に指定されている祭りです。一日目は仲筋字の正日、二日目は塩川字の正日、三日目はそれぞれの集落で自分たちのための余興を披露するワカレという日取りになっているようです。

画像は塩川字のピトゥマタ御願で演じられる「ヨーイシー」、大斧と大鋸を持った木こり姿の男たちがヨイシーヨイシーとかけ声をかけながら踊ります。沖縄本島の「国頭さばくい」とよく似ていますが、一節を謡い踊るごとに、みんなで「ワッハハー」と高笑いするしぐさが入るところが異なっています。かつて、このようにシュロ箕を被った赤ふんどし姿で笑いをさそう滑稽踊りがあっちということですが、この演目はその名残が残されているもので八月踊りのなかでも比較的古いものだということです。(ビデオ画像)

長者の大主の一場面、若衆が風車を持って踊る「風車節」を披露しています。

画像は塩川字の正日(しょうにち)、拝所に作られた特設舞台で「かせかけ」風の女踊りを演じる少女です。髪飾りや紺地の絣の着物などは、沖縄本島では見られないものです。

最後に演じられた組踊は「忠臣身替」、八重瀬の万歳で知られるストーリーが長々と演じられました。主君の若按司の身代わりに我が子を八重瀬の按司に引き渡して、機に乗じて敵を討つという忠臣ものの組踊です。画像は敵を捕らえて念願かなった喜びの踊りの場面です。また、演じられる舞台が狭いため、踊り手は独特の跳ねるような歩き方でタイミングを合わせているようです。
塩川字のピトゥマタ御願の舞台に掲げられているのは「之楽歓(これをたのしむ」
の額字です。


琉球民謡公演

2005-09-03 18:30:30 | 舞台公演
沖縄県内には、琉球民謡の団体がいくつかありますが、「琉球民謡音楽協会」が開催する芸能祭公演を観る機会がありました。当日の舞台からいくつかの場面を紹介します。

ずらりと並んだ各賞受賞者の顔ぶれですが、圧倒的に女性が多く、若い世代ほど顕著です。いまや、沖縄の舞踊は言わずもがな、三線までも女性が支えているのではないでしょうか。

子供たちによる合奏の場面ですが、次の世代を担う受賞者の顔ぶれも女の子ばかりです。

合間に舞踊も披露されました。画像は大勢の師範と教師が踊りくわでぃさ節を演奏するなか、四つ竹を踊る敏風利美の会のメンバーです。