ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2016-367 職業婦人の先駆者、叔母が亡くなる

2016年10月06日 | 日記
9月27日、叔母が叔母が亡くなった。
亨年98才であった。先だって初7日が終わった。

昭和18年看護学校を修了。
看護師、助産師、保健師として
戦後、定年まで黒沢尻をスタートとして
県北の戸田、そして滝沢の保健業務に携わった方であった。

戦後職業婦人のおかれた状況は
先週終了した朝ドラの雑誌編集でもよく描かれていた。
時代が時代だけに大変苦労したようだ。
自転車で走り回り40年近く、滝沢を中心に尽くしたようだ。
保健環境を良くするためには水が大事だと水道普及の大事さを訴え
当時の村長に直談判した豪傑でもあったと。

退職してから朝から晩まで
80過ぎまで水田3タンブを見回り草取りなどしたようだ。

ゲートボールの審判資格を取って活躍したり
そうかと思えば
生け花の師範やお茶に親しんでいたのだった。

亡くなる前日まで耳がしっかり聞こえ
会話が出来ていた。「どこももいたくねえ」とよく言っていた。
「またね。」が最後の言葉になった。

介護施設の方が非常に親身になって世話をして下さり
安心してあの世に旅たったように思える。

老衰であった。<合掌>

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