伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

真夏の到来 !!

2013年07月20日 | 随筆・雑感・回想など
Natsunohatake

 文月に入って、七夕、そして「海の日」が足早に過ぎ去り、早や土用である。この処、天気も晴天が続き、学童達は夏休みに入り、「真夏の到来」である。 蟹座生まれの我輩も、一つ馬齢を重ねたが、子供の頃のように夏休みが待ち遠しかった程に、時間の経過がゆっくりとは進んでくれない。日がな一日が、瞬く間に過ぎて行く・・・。
 梅雨が明け、真夏の到来を告げるのは、滾る様な陽射し、海岸に押し寄せる土用波、水平線の入道雲、午後の夕立、そして町外れの小狭い畑に実ったトマトや茄子、胡瓜にカボチャにトウモロコシ・・・。ここかしこの木立に響く蝉しぐれなどなど・・・。 蝉と言えば、中学生の頃は学校が倉田山公園の一角にあったせいか、季節の移行に合わせて鳴く種類が違っていたように思う。春から初夏にかけては春ゼミが鳴き、梅雨明けが近づくにつれ小さなニイニイゼミが葉桜の枝に、まさに保護色の羽根で姿を消して鳴いていたし、土用の頃にはアブラゼミが終日けたたましく、短い命をけずるかのように鳴いていた。
Kuratayama
 倉田山公園界隈は、雑木林のほかに、辺りには徴古館の桜木立や御幸通りの並木も鬱蒼としていた。今は殆どのスペースを皇學館大学などが占めているので、中学生の頃のように、かつて鬱蒼とした箇所はまばらとなってしまったが、それでもこの辺りに行けば蝉の声は今も絶えない。
 不思議なことに、昨日今日と、まだ太陽がそれ程高くのぼらない午前中に倉田山に差しかかると、早々と盛んに鳴き競うクマゼミの声を聴いた。以前Kumazemi
はもっと遅くて、七月の下旬から8月に入ってからじゃなかったかと思うのだが・・・。 車を止めて耳を凝らすと、「ニイニイゼミ」「アブラゼミ」「クマゼミ」が同時に、同じ桜の木で鳴いているのだ。記憶を辿っても、こんな事は殆ど無かったように思われる。Aburazemi
 学生たちの数も増え、御幸通りを行き交う人通りも自動車の数も、かつて市電が走っていた昭和30年代に比べれば、桁外れに増えている。道行く人々は、誰も不思議に思わないのだろうか?  この調子では立秋が過ぎお盆が来る頃には、「ミンミンゼミ」や「ツクツクボウシ」が加わるかも知れない。朝夕には徴古館下の倭姫宮の参道の界隈で、「ヒグラシ」も美声を奏でるだろう。 ヒグラシと言えば、かつて古典で習った古今集か何かの和歌に、

 「 ひぐらしの鳴く山里の夕暮れは 風よりほかに訪う人もなし 」

と言うのがあり、一つ覚えにて未だに忘れない。世俗を離れて哀愁すら感じる和歌である。今はヒグラシの「カナ カナ カナ・・・」という鳴き声を聴いても、物寂しさしさえも感じなくなった。
 真夏日が続くと、昨今は熱中症が話題になり、連日のようにニュースが流れ、死者すら報じられる。この処の暑すぎる気象異変は、地球温暖化の影響であろうか?  経済効率の良い電気エネルギーを生み出す変わりに、余熱も放出する原発を、再稼動するどころじゃないはずだ。さらに「使用済み核燃料」の貯蔵問題も解決するどころか、永遠に放射崩壊の続くこの物質を、人畜無害な元素か化合物に、瞬時に変えてしまう科学技術などありはしない。さあ、どうする。明らかに目先の利害を優先し、未来世代への「負の遺産」を平然と生み残す「原発」を・・・。電力会社の困窮極まった事情も、解らないではないが。 政権与党主導によるこの国の政治は、一体誰の為に成されるのだろう。結局、「国民は、その国民の資質に相応な政府しか持つ事はできない」のだとしたら、日本はどうなるのだろう。幾ら法律で規制をしても、「法律は、まさに張り巡らされた蜘蛛の巣のようなものである。小物はこれに捉われ、大物はこれを破る」と、諷刺本にあるのだ。 この事のいい例は幾らでもあるが、今話題の、原発直下を走る「地質学的・活断層」はどうであろうか。
Hikoyamagawa
 暑さのせいもあり、つい余計な人間社会の行く末を考え込んでしまった。中学生の頃は、夏が来ると嬉しくて生き生きしていたものだ。海や山・・・、対照的なこのふたつの自然の懐。友達と海辺に行けば、人混みの中での海水浴の楽しさしかり。山野に行けば、自然界の営みの真っただ中での納涼など。今は、誰もいない清流の冷水が一番いい。 今夏も伊勢市の近郊で、人の知らない「水のある自然の涼場」を見つけたいと思うのだが・・・。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする