伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
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九月に入って、早ばやと爽やかな秋風を感じて…

2017年09月14日 | 随筆・雑感・回想など

南の空に浮かぶ秋の「ちぎれ雲」~ 宮川左岸の道路にて撮影

 今夏は例年に無く、短命な感じだった八月の夏の猛暑が終わり、早や九月になった。 残暑の一週間が過ぎた8日になって、季節は初秋へと移るかのように、朝から肌に感じる程の、少し強い爽やかな西寄りの風が吹いた。
 よく晴れわたった日の涼しさにも誘われて、この日は午後になって郊外に出てみた。 開放した車窓から吹き込む秋風は、残暑を吹き飛ばすかのように遠ざけて、ここかしこの草木がよくなびいている。
 南の青空には、真綿のようなちぎれ雲(秋空の積雲)が、まばらに少しずつ形を変えながら、東へと流れてゆく…。 逆方向の伊勢湾の上空にあたる北の空には、入道雲が北西から南東へと列状をなして連らなり、ムクムクと姿を変えながら発達しつつ、まだ夏空しかりの様相を見せている。


北方に列状をなして発達する、夏空の「入道雲」~ 宮川左岸の道路にて撮影


 車窓から眺める、伊勢市の背後から奥伊勢(度会郡)にかけての山々の風景も、この日は実にくっきりと見渡せて、シーイング最高の写真日和であるが、まだ野山には秋らしい気配は無く、少し林道に入ると、あちらこちらに猿の群れが降りてきてはいるものの、栗の実もまだ青く、ツクツクボウシが盛んに鳴いているぐらいで、秋半ばの実りの収穫の時期には程遠い。
 農村地帯を走っても稲刈りはまばらで、秋を象徴するコスモスも見られず、気流だけが早々と秋風になったような、ちぐはぐな日である。
 それでも、早ばやと秋風を感じた心地よさは、何にも変えがたい…。


 別にこの日は目的も無かったので、以前から少し気になっていた伊勢市内に残る古木や老木の大樹を、思いつくままに巡ってみる事にした。
 市電が走っていた子供の頃は、外宮から内宮へと続く、両サイドにレンガ道の舗道を備えた御幸道路には、桜や椛(もみじ)、楠(くすのき)などの巨木がたくさん繁っていたし、沿道にも松や桜、楓、銀杏、欅、枇杷などの大樹がたくさんあって、日射しを遮る木陰をつくっていた。
 確か岩渕の箕曲社(みのやしろ・箕曲中松原神社)の前の道路には、赤松の巨木があったし、近鉄宇治山田駅の裏手の藪の中には、欅(けやき)などの大木が数本繁っていた記憶がよみがえる。
 そのほか、「城之橋」傍らの商工会議所(岩渕一丁目)の前には、イチョウの大木が数本あって、銀杏(ぎんなん)を拾った事もあった。

 かつて、市街地にたくさんあった古木や老木、巨木・大木は、いつの間にか姿を消してしまい、昨今は、外宮・内宮の神苑や徴古館など神宮関係の施設や、摂社・末社等の神社、市街地のお寺(寺院)等の境内を除けば、巷には数えるほどしか残っていない。


市街地の真っただ中にポツンと残る「寝起松」


 子供の頃の記憶に従って、最初に訪ねたのは神久の「寝起松」(ねおきまつ)である。かつて見た巨木とは程遠く、かすかにそのイメージを残すものの、黒々と繁っていた枝は無残にも切り払われ、幹だけが名残をとどめる程度のスリムな姿となって残っている。 根元にはアクセサリーほどの祠が祭られ、前に「寝起松神社」と記した石標があった。
 おそらく、周囲に建て込んだ民家への日照問題等や、真ん前の市道の交通障害などからの伐採であろう事が、容易に読み取れた。


宮川右岸堤の「境楠」


 次に思い出したのが、宮川右岸の桜堤(さくらづつみ)の中ほど(度会橋~宮川橋の間)にあった「境楠」(さかいくす)である。 この巨大な老木も、注連縄がめぐらされ御神木として残ってはいたものの、半ば立ち枯れのド太い根っこと、分枝して伸びる樹幹を柵で保護してあり、大樹の枝は寝起松同様にかなり伐採されていた。
 ここの伐採は、「寝起松」とは違い周囲に民家も無く、交通上の要所でもないので、老木保存からの措置であろう…。

柵で保存された「境楠」のド太い根株

根株の前の「楠大明神」の簡素な祭殿

 根株の前には「楠大明神」の幟や鳥居があり、簡素な祭殿が設置され、御本尊として祭祀されていた。 そして、その上の堤の傍らには、この老木の名前の由来等を記した説明板が立っていた。


 楠の巨木と言えば、宇治山田駅に程近い、岩渕の真ん中にある箕曲中松原神社(既述の箕曲社・岩渕一丁目)の境内にも、注連縄を張り巡らせた、樹齢800年と言う根元の太い御神木がある。

宇治山田駅に程近い、岩渕の「箕曲中松原神社」

箕曲社(みのやしろ)境内の、樹齢800年と言う「楠の巨木」

 神社の境内ゆえに、今も天空に広がった枝もそびえるままであるが、ここは少年時代の遊び場で、その頃に幾度となく崇めたままの姿を見上げる度に、昭和20年代後半から30年代にかけての、当時の我が町の回想の念を禁じえない…。


 同様の「楠の巨木」と言えば、もう一つ市街地を少し離れた、宮川右岸の県道(22号線)を遡った津村にある事に気がついた。
 ここは横輪町に行く途中の道路(近年津村にバイパス道路が出来たので、現在は県道719号線となっている)際なので、しょっちゅう目にしていたが、止まって眺めた事はなかった。

県道際の津村八柱神社の「楠の巨木」

 すぐ背後に「津村八柱神社」があるので、これも紛れもなく御神木である。 樹齢ははかり知れないが、これほど根元の太い、ウロをもそなえた巨木は他にまず無いであろう。 やはり注連縄がめぐらされ、樹枝が青々と繁って路上を覆っているが、かなり高所なので枝払いされること無く、自然のままの大樹の姿を残している。
 気がつけば、車を止めて八柱神社に参詣し、しばしこの巨木に見入っていた。

鳥居を潜った右に、「ウロ」のある御神木の巨株

 人の一生の十倍以上もの長寿であるだろう事に、改めて楠(くすのき)の偉大な生命力と、樹木のパワーを身をもって感じた次第である。


 他にも、二見町の音無山の山上や太江寺の境内、蘇民の森などにも巨木が幾つかあったと思う。 折を見て、市街地の周辺に残る巨木も、散策がてら訪ねてみたいと思っている。



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