今年の7月は、前半は梅雨時( つゆどき )の雨天が続き、中旬以降の後半になって、東京オリンピックの開催に合わせたように梅雨が明け、伊勢地方は台風の影響もなく、真夏の到来で猛暑日の連続となった。
今夏は、6月の下旬にコロナウイルスの2回目のワクチンの接種を受け終えた事もあって、海浜にも渓流にも出かけずに1ヶ月が過ぎ、全く何処へも出かけないままに、7月もラストとなってしまった。
例年ならば、水石の探石も兼ねて、長時間川遊びや志摩の海岸に出かけたものだが、日中の炎天下は熱中症の心配もあるので、自重しながらエアコンの「涼風」に晒され、何をするでもなく自宅に引きこもりがちであった。
コロナウイルスの蔓延下での東京オリンピックの開催には、端( はな )から疑問を持つ一人なので、どの競技も動画での観戦すらしていない。 新聞はとっていないし、ラジオのニュースで結果を耳にするぐらいである。
しかし、このままでは、何もしないままに7月が過ぎてしまうので、30日の午後になって「一時間限定の川遊び」に出かけようと思い、とにかく午後2時に車に乗った。3時半には帰ってこようと思い、あれこれと適当な場所を考えてみたものの、なかなか思い浮かばない。
近くではあるが、炎天下の二見浦の海岸は避け、人のいない「納涼」に程良い伊勢市近郊の水場となると、川上に限るが、五十鈴川上流の高麗広は、内宮前の交通規制をすり抜けていかねばならないし、奥に行くにつれ左岸の県道は道が悪い。 朝熊川は程良い場所がないし、宮川は丸っぽ転石の川原ばかりで日影が無い。
結局、横輪川か一之瀬川と言う事になったが、横輪川は町内の「風輪」以外には適当な駐車場所がない。
思案の末、宮川右岸の県道22号線を遡り、いつも行く支流の一之瀬川左岸へと車を進めた。平日のせいか、栗原の川原にも、日向橋下の川原にも、天祥橋下の川原にも人の姿が全く見当たらない。
例年なら、夏休みに入ったこの時期には、親子連れの家族や若者たちのグループなど、幾組かがシートを敷き、パラソルを立てて日差しを遮りながら、水遊びを楽しんでいるのだが、今夏はその風景さえも目にしないままに、小萩川との合流点「出合橋」へ達した。
さて、小萩川に入れば探石をせずにはいられず、かなり時間がかかるし、少し戻って彦山川に入っても同様なので、とにかくバス停横のスペースに車を着けて、「出合橋」の下に下りてみた。
ここはちょっとした渓流になっているので、ズボンをまくり上げ、ゴム草履のまま川の流水に浸り、転石を見ながら30分程、納涼もどきの時間を過ごした。
何も拾わずに帰る訳にもいかないので、「滝石」にも見立てられそうな、手のひら大の平石を一つだけ拾った。 帰宅後に水洗をし、底をカットしたら大・小2条の方解石脈が程よく、ちょっとした小形の「滝石」らしくなった。
小萩川の上流は、当地方では伊勢古谷石や紫雲石、龍眼石、准片岩の青石、縞帯石、五色石などの他、「滝石」の宝庫でもある。
それらが一之瀬川に流出し、川原の転石となっているので、もっと涼しくなってから、後日また探石を試みたいと思いながら、予定の時間通りに帰宅をした。
霜月と言えば、旧暦の11月の別名である。 その下旬もあと数日となった24日(土曜日)から25日(日曜日)にかけては、早朝のちょっとした冷え込みを除けば、風も無く陽が昇るにつれて、ホカホカ陽気の小春日和となった。
この陽気に誘われてフィールドに出ようにも、狩猟が解禁となっているので、林道の奥や小谷には入れない。
この好日に、散策をした事の無い場所で、一之瀬川の秋の風景を辿ってみたいと思い、25日の外出となった。
いつも行く火打石(度会町)から先の一之瀬川本流の上流は、天祥橋(火打石)から小萩川の合流地点までは、河川が「駒ヶ野」の村落を大きく穿入蛇行をして周回し、航空写真を見ても殆ど川原が見られない上に、川に下りる適当な場所も見当たらなかったので、探石はせずじまいであった。
村落少し上方沿いの県道22号線は、最近拡幅改修工事が成され、素道りしやすくなっていた事もあり、道幅の狭い駒ヶ野の村落には立ち入る事すらなかった。
しかし、この未知のエリアを知らずには居られないと思い立ち、この日曜日に車を走らせた。 村落の中から一之瀬川へと下る枝道があり、この道は川を渡る「隆祥橋」を経て、小狭な農・林道へとつながっていた。 この橋口の右横に草分け道らしい下り口があった。
川岸も川床も白っぽいチャートの岩盤であった。 上流を眺めても、橋の上から下流方向を眺めても、川筋は真っすぐなものの、穿入蛇行による渓流となっていて、早瀬や小滝、淵が断続して続く景勝を呈し、ここは散策するのに絶好の「隠れた秘境」の感じがしないでもなかった。
まさに地形は「先行谷」であり、地質時代を通しての土地の隆起と水流と岩盤とのせめぎ合いの結果生じた、言わば地形のシュプール(航跡)が生々しく、初めて訪ねた未知の風景美を暫し堪能させてくれた。
その後、渓流の岩盤や巨岩の間隙に「石溜り」はないかと、車を切り返して橋の袂に止めて、橋を渡った右岸の農道を少し歩いてみた。
小狭な段丘上の野面積みの石垣に囲まれた棚田や段々畑が、昼前の日射しにまぶしく照らされ、川岸や背後の山林に植えられた雑木の広葉樹が、少しずつ色づき始めていた。
今年は、紅葉が随分遅れているようだ。
川に下りて少し探石をしてみたものの、人頭大の転石が多く、しかも白チャートと泥質岩(頁岩や粘板岩)が殆どで、輝緑凝灰岩や石灰岩は余り見当たらなかった。 小萩川から流下した石灰質准片岩なども少しは見かけたが、水石となるような転石は、この駒ヶ野の渓流では望めそうになかった。
それでも何か一つは拾わねばと思い、唯一持ち帰ったのが、掲載写真の、高さ約13cm の烏帽子形をした「五色石系の石灰岩」であった。
(この記事の掲載写真は、全て2018年11月25日に撮影をしました。)
弥生(3月)も今日一日となった。朝から薄雲が広がるものの、高気圧におおわれていて、春らしい暖かい穏やかな日和である。咲き遅れていた伊勢市の市街地の桜も、花盛りとまではいかなくても、どうやら見頃となった。
今月の上旬は、寒・暖の繰り返しが続き、殆ど遠出をせずに閉じ籠り勝ちであったが、中旬の半ばになって、春の彼岸を前にシキビ(しきみ・樒に同じ)採りやら、墓の掃除やらで体を酷使した上、次の日は度会町内の荒れた林道に車を入れる為に、倒木や崩れ落ちた岩塊の撤去で半日を費やした。
そして、午後になって数年ほど治まっていた腰痛が再発し、丸1週間唸っていた。十日程経ってどうにか動けるようになったが、朝晩の寝起きと用便、そして靴下の履き脱ぎに痛みが走る。湿布薬を貼り痛み止めを飲み、2週間が過ぎてようやく歩行も楽になった。まだ少し背中に張りがあるので重たい物は持てないが、3月最後の一日だし、天気も良いので外に出てみようと、暫く行っていない藤川の散策を思い立った。
自宅から車で約40分程走って、藤川の河口付近に架かる「野添大橋」(のぞえおおはし)に至る。ここからは交番のある信号交差点を左折し、藤川の左岸を遡る県道38号線に入る。川の対岸には旧道もあるが、七保小学校の前を通り過ぎ、金輪、藤を経て木屋(こや)へと約10km程続くこの新道は、拡幅・補修が行き届いていて走りよい。近年になって、対岸に渡るのに野田原橋や金輪橋、若瀬橋が架かり、大紀町の藤川界隈(旧七保村)も交通至便になった。
数分走って最初に降りたのは、藤(ふじ)の在所の「西の瀬橋」の少し下(しも)にある堰堤である。この下(した)に石墨千枚岩の岩盤があって渓流を成し、ここのちょっとした石溜りに、かつては石墨千枚岩やチャート、石灰岩などの転石に混じって、鎧石や七華石の良石が揚石出来たが、今は殆ど見当たらない。
西の瀬橋すぐ上(かみ)の藤川右岸のリバーサイドに、「西の瀬小公園」(親水公園)があるが、ここは当地きっての桜の名所でもある。この日は、春休みの真っ只中なのに、平日ゆえか遊歩の人影はまったくない…。が、薄日が晴れて時折注ぐ眩しい陽射し中に、どの木も桜花は満開に咲きほこり、今が正に見頃である。
車を止めて西の瀬橋直下の川原を散策してみた。散策といっても石拾いである。この川原も転石の集積場であり、以前は立派な七華石や鎧石を産したが、公園が整備されてからは人の行き来が頻繁なせいか、良い石は殆ど見当たらない。少しましな小物石を3個見つけた。
藤の在所を通り抜けて、少し走ると墓地の先に成谷橋がある。ここからは、2km程先の板取橋まで、藤川を挟んで右岸に旧道が並走していて、左岸の県道(46号線)からは見下ろす恰好になっている。
旧道に入って少し走ると、コンクリートで修復された堰堤がある。このすぐ下(しも)の川原にも、かつては質の良い白鎧石や七華石があった。立ち寄ってみたが、やはり白チャートなどの岩塊と転石ばかりで、水石になるような良い石は転がっていない。一通り見回っただけで、この先の板取橋に向かった。
板取橋のすぐ上(かみ)に、東方の谷より流下する板取川が合流する。板取の在所から分け入るこの谷の奥には、かつての七華石の採石場(七華山採石場)の跡がある。この谷奥から藤川に質の良い七華石や赤鎧石が流出し、供給されているようで、これより上流の藤川には、白鎧石はあっても七華石は見当たらない。
橋を渡った所に車を止めて戻り、きれいに咲いた岸辺の桜の木の横から橋の下に降りた。昨秋以来、大水が出ていないので川原の石も変化が無くて、以前のままのようである。七華石の破片や小石が幾つか散らばってはいたが、水石として鑑賞出来るレベルの石は残っていなかった。ここの川原は、藤川産の名石の大宝庫であるが、川が荒れた後でないと揚石はまず無理である。
残念ながら、本日も手にする程の石はゼロで、写真を撮っただけであった。
板取の先には、こじんまりしとした木屋(こや)の村落があるだけで、藤川はここで二手に分かれて源流の谷間へと遡って行く。村内に架かる久保橋から眺めると、左岸に石灰岩の岩盤が露頭を成していて、川岸に小さな鍾乳洞が開口している。「木屋の蝙蝠穴」(こうもりあな)である。
これから先は、石灰石鉱山のある国見山の「藤坂峠」を経て、南伊勢町(旧 南島町)の河内や村山・神前(かみさき)浦に至る県道(46号線)と、左折して林道さながらの県道(151号線)に入り、藤越え(大紀町と度会町を境する峠)を経て南中村(度会町)に至る山路があるが、この日は、木屋まで行ってリターンする事にした。
帰りには、木屋の手前の県道際にある「神の口延命地蔵」から湧出する名水を、ペットボトル満杯に取水した。