アバウトなつぶやき

i-boshiのサイト:「アバウトな暮らし」日記ページです

-シーボルト没後150年記念ーよみがえれ!シーボルトの日本博物館

2017年05月14日 | かんしょう
ただいま名古屋市博物館では「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」を開催中。
先週、シーボルトを訪ねてきました♪


私は割とどんなことでも広く浅く興味を持つ方だという自覚があるのですが、その分特に詳しい分野もないことがコンプレックスだったりします。
そんな私も普通の人よりは自然分野、特に植物分類ならちょっと詳しい、、、気がします。
だから日本の近代における本草学は非常に興味があります。現在、本草学は医学や植物学(および博物学)の分野に当たるので、自分が学びたいと言うのではなく本草学に携わった人々を知るのが面白い、という感じ。

ほんぞうがく【本草学】
古く中国で発達した不老長寿その他の薬を研究する学問。主として植物を対象としたのでこの名がある。日本へも奈良時代に伝わって普及し、江戸時代に最も盛んとなり、動物・鉱物におよび博物学的な研究に発展した。明治に至って、主に植物学・生薬学に受け継がれた。本草。
《出典|三省堂/大辞林 第三版》


江戸時代に本草学が栄えた背景はやっぱりシーボルトの来日です。
シーボルトを外して日本の本草学・植物学は語れないのでは無いでしょうか。

しかし、今回の展覧会はシーボルトがどれほど日本が好きで日本を欧米に紹介する役割を果たしたか、に焦点が当てられています。
もちろん、シーボルトは日本女性「おたきさん」とのロマンスなんかもあって本人に魅力を感じてしまうのは日本人なら致し方ないと言うところでしょうか。
禁制品の地図を持ち出そうとしてる時点で日本への興味はあっても敬意ってのはあるかどうかは疑問なんですけどね。

目玉はシーボルトが日本博物館を作るために持ち帰って展示した品々なのですが、彼の活動ももちろん紹介されています。
覚えておきたいと思ったのは「川原慶賀」という名前。
長崎で活躍した画家なのですが、シーボルトの依頼で出版に使われた写生画を描いたのはほとんどがこの人のようです。
図鑑として耐えうる画力と精密さとのことで、あの牧野富太郎に先駆けているわけです。しかも動物画や人物画、風景画や風俗画も描いてる。
芸術家でもなく植物学者でもないので注目されないけれど、私にとっては偉業をなした人として記憶しておきたい人です。

ちなみにコレクションは大名のつてなどを使い質の良いものを集めているため、芸術品とは言えなくても見事な工芸品ばかりです。
面白かったのは舟形や灯籠型の弁当箱。大型の漆器はそれだけでもインパクトがあるのに、形が思い切っていて迫力があります。
藁細工の工芸品もあんなにピカピカ仕上がるとは知らなくて感心しました。自分に馴染みがないため知りませんが、現代にあれだけの細工のものが作れる人はいるのでしょうか。。。
それから焼き物の中に萬古焼があったので「あ、地元の品だ♪」と思ったら、宝暦年間より江戸でも萬古焼が焼かれていた、という説明があってちょっとがっかり。伊勢国のものではなかったか。
しかし、一番じっくり見たのは会場の入り口近くにあった鳴滝の家屋模型だったりして。接着剤を使っていないであろう模型の障子窓が気になって、どうなってるのかとかなりのぞき込んだけれど作り方がよく分かりませんでした。きっと板を欠け込んで成形してると思うんだけど、、、工芸品展示のあるところにはギャラリースコープは必須だなと猛省しました。次回からは忘れない!

この展示を見終えた後、名古屋出身でシーボルトに弟子入りした(かなり高弟なのかと思っていたけれど、年表によると鳴滝で学んだのは1年程の事らしい)伊藤圭介の展示を東山動植物園でやっていると知り、そのままそちらも観に行きました。

動植物園ってちょっと歩けば無料駐車場に止められるんですね。知らなかった。

んで、入園して植物会館の展示室に行って正直「ん?」と思ってしまった。
↑のような立派なリーフレットだったのですが、この「特別展」の展示室はこの写真が全て。
しかもこちらの部屋は常設であり、特別公開は奥のガラスケースに収められた解体新書の原書とシーボルトの顕微鏡のみ。

▲奥は写さないでね、と言われたのですが入口の位置からなのでオッケー
あ、後悔ではないですよ。伊藤圭介氏の展示なんてこんな機会でもなければ見に来なかったと思うので、観れて光栄です。
ただ、宣伝効果ってすごいなぁ、という勉強になりましたという話なのです。あのリーフレット見なかったら来てなかったと思うし。チラシやリーフレットって大事だね!

▲皆さんご存じ「おしべ」「めしべ」という言葉を作ったのは伊藤圭介氏です

最後に、その日見たお花の写真を。

白に黒の目を持ったデルィニウムを見たのは初めてで、ガイドボランティアの人を捕まえて品種を尋ねました。園内の花は植物園の職員さんが育てていると言うことで、撒いた花の種を持ってきてくれましたがサカタのパシフィックジャイアントのミックス種で、個別品種では無いとのことでした。
来年、この種買ってもこの花が咲くとは限らないけどトライしようと心に誓う私。
あと、この時期はヒトツバタゴ(別名:なんじゃもんじゃ)が満開で名古屋市内の色んなところで咲いていました。白い花、好きだ~、綺麗だ~、最高だ~。
植物園内にもヒトツバタゴは咲いていましたが、大塚屋の前の街路樹が一番綺麗でした。
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フィンランド・デザイン展

2017年05月07日 | かんしょう
GW初日にあたる先月末、shioちゃんと二人で愛知県美術館で開催中のフィンランド・デザイン展を観に行ってきました。




shioちゃんは北欧好きでムーミン大好き。インテリアや雑貨なども北欧デザインにこだわっています。
だからフィンランド・デザインには超詳しい!
フィンランドの年表見ながらうなずいてましたからね、彼女。
最近もマリメッコの前身であるプリンテックス時代からテキスタイルデザイナーを務めているマイヤ・イソラの映画を見たところだったらしい。ホント好きなんだなぁ。

展覧会で紹介されている展示物は、現在も愛されて使われているものが非常に多い。というか、長く愛されるデザインばかりなので、ほとんどが今でも手に入るものと言って過言ではないかも。
それでも百貨店臭はなく美術鑑賞として耐えうるのがさすがです。
テキスタイルの展示箇所は撮影OKになっててこんな感じ。

柄が大胆なので家で使うとしたらカーテンとかベッドカバーしか思いつかないね、なんて話してたら、この後で紹介されてたヴォッコ・ヌルメスニエミのドレスが模様のど真ん中を左右対称にぶち抜くような生地の裁断をしてて、その大胆さにビックリ。体型を誇示しないデザインを発表したことと合わせて(ともすると寸胴に見えてしまう)、当時はさぞ斬新なデザインだったことと思われます。

フィンランドを牽引するデザイナーとして思い浮かぶのはアルヴァ・アアルトですが、彼の椅子はよく見知ってる割にオリジナルデザインのものには座ったことがないかもしれない…?
shioちゃんが彼のアームチェア《41 パイミオ》がすごく座り心地が良いよ、というので紹介コーナーで座らせて頂くと、さすがにしっくり♡ 良いカーブ出てます。
でも、いくつか座った椅子の中では学生寮のためにデザインされたというイルマリ・タピオヴァーラ作のドムスチェアが一番私好みでした。

▲売店に置いてあったドムスチェア。77700円(税別)では買って帰れるはずもない。

他にもイッタラやアルテックの商品なんかがたくさんあって、あぁ素敵だなぁ、家に欲しいなぁ、とつぶやきながら展覧会を後にしました。アアルトの花瓶、本当に欲しいんだけど。

▲エーロ・アールニオの椅子≪パピー≫とか、子供がいる家には超絶似合うと思う


▲ミュージアムショップがまるで展覧会の続き。私は「冷静になれ、冷静になれ」と言い聞かせてポストカードしか買わなかったのにさらさらとお札が出て行ってしまったわ。

食器にしても家具にしても、シンプルでありながら飽きの来ない素晴らしいデザインが揃っていると改めて感心しました。熱に浮かされるように気持ちが引きずられますが、自分の生活に取り入れるならちゃんと考えないといけませんよね。
(とか、言いながら来月はIKEAに行く予定だったりする)
二人でお出かけってのも小さい子がいるshioちゃんにとっては久しぶりだったこともあり、ショッピングを楽しんだりしてとにかく楽しい一日でした。
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有元利夫 早逝の天才画家 10年の絵と譜

2017年04月24日 | かんしょう
先週、知人が菰野町の穂鈷里(ほっこり)でランチタイムに二胡の演奏をするというので、近所の友人であるMさんと一緒に聞きに行ってきました。
自然派志向のスローフードのランチと民家の落ち着いた雰囲気に二胡の演奏はピッタリ。
 なかなか豊かな時間を過ごさせていただきました。

その帰り道、Mさんも気になってたというパラミタミュージアムで開催中の「有元利夫 早逝の天才画家 10年の絵と譜」展を観てきました。


ぎこちない体に小さくて無表情の頭を乗っけた人物画。
無表情でありながら圧倒的な存在感で、その突出した個性は一度見たら忘れられません。



有元氏はアルルカン(某喜劇の下男役であり道化役、転じてピエロの意味あり)が題材として気に入っていたという記述があったのですが、確かにそういう姿をした人物を描いた絵や彫刻が何点かありました。
しかし、視覚的なモチーフのみにとどまらず、虚構の世界と現実の世界が入り混じったような世界観こそが真骨頂なのではないかと思います。
イタリアの宗教画を思わせるような画面構成(ヨーロッパのフレスコ画、というのが正統な評価のようですが)、それからわざと古い感じを出した装丁など、徹底したこだわりを感じさせる作品たちでした。

私、高校生の頃はイラスト関係の雑誌なんかを数冊購読してまして、そこでこの有元氏の作品を見かけたのを覚えています。
その頃の私は有元氏のお名前を記憶しようとしなかったので作家名を聞いてもピンときませんでしたが、絵を見たらその時の記憶がよみがえってきました。
有元氏の亡くなったのは1985年。ちょうど私が雑誌を買っていた頃と重なります。もしかしたら画業を振り返る特集記事を読んだのかもしれません。
「早逝の天才画家」という副題の通り享年38歳は若すぎます。この強烈な個性は、生きていればもっと素晴らしく印象的な作品を世に送り出していたに間違いありません。
この時間が止まった様な作風は現代の作家やイラストレーターに垣間見ることがありますが、氏が生み出した表現であることを思うとやはり天才であり、後世に与えた影響が大きい画家だと思うのです。
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「清宮質文と版画の魅力」と群馬県立館林美術館

2017年04月01日 | かんしょう
テレビで見て気になっていた「清宮質文(せいみやなおぶみ)と版画の魅力」展。開催地が遠いので諦めていたのですが、春休みのお出かけとして日光・鬼怒川を選んだので群馬県立館林美術館に寄れました。

 
広大な敷地に広がる広々とした美しい建物。周囲には多々良池のある緑地や公園が広がっています。
このロケーションだけでも来た価値あり!





今年、生誕100年を迎える清宮氏の展覧会です。私はテレビで紹介されるまで知らなかった作家ですが、作品の静かさと叙情的な感じが気になってもっと知りたくなってしまったのです。
同じ版画でも少し前に見た吉田博とは対照的に、シンプルな画面構成で版の数も決して多くありません。全ての工程を自分で行っていたらしく技巧的に複雑とは言えませんが、その分、作品の持つ雰囲気や心の動きが伝わる作品たちです。
「静謐で詩的な心象世界」と表現されているとおり、寂しげで静か。画面に空間があるからこそ表現できる空気感があるのだと思わされます。そしてデザイン的にちょっとかわいい。
出来ることなら手元において毎日眺めたくなるような作品が多くありました。
また、清宮氏以外の作品も紹介されていて、漫画家のつげ義春や抽象版画家の恩地孝四郎に影響を受けたという山中現という版画家さんが気になりました。
同時展示として「植物、樹木そして風景」で紹介されていた作品の中に日高理恵子《空との距離》(2004)がありました。白と黒の岩絵の具で描かれた彼女の作品は他所でも見た覚えのある作品でしたが、静かな気持ちで見たせいかこの美術館のコンセプトである「自然と人間」が影響したのか、立体的な奥行きを感じてとても印象に残りました。

それと、もう一つの目当てはフランスの彫刻家フランソワ・ポンポンの作品です。
こちらの美術館はポンポンの作品を多く収蔵しており、彫刻家のアトリエと名付けた氏のアトリエを模した別館まであります。

ポンポンの作る動物はとても良い。すっきりとしたラインながら動物をよく表しています。
白の大理石で出来た小さなサイズの《シロクマ》は(大きいのはオルセー美術館)、その形態や表現の素晴らしさが語られるのですが、真っ白な石の中に入るうっすらとグレーのマーブル具合がちょうど生きているシロクマのよごれにも見えるのが映像でなく本物をみた醍醐味だなぁと思いました。

これだけ楽しめて入館料が410円。あまりのお得感にびっくりです。
それと平日なのに入場者もそれなりにいて、しかも老夫婦の多いことにとても感心しました。きっと地元で愛されている施設なんでしょうね。


---おまけ---
今回の旅行は日光東照宮が目当てだったのですが、泊まった鬼怒川の温泉よりも世界遺産の建物よりも宇都宮餃子よりも、一番テンションが上がったのが大谷資料館でした。


大谷石を採掘していた地下坑内を見学できるのですが、それが圧巻でめちゃくちゃ面白い。

映画やテレビ、PVなどの映像に使われたり、各種レセプションの会場になったりもしているそうです。
幻想的だし広いし寒いし(笑)、とにかく非現実的な世界が広がっていました。
海底火山の噴火による軽石凝灰岩という特殊な素材にはもともと興味があったのですが、この見学ですっかりファンになってしまいました。
加工が容易なだけあって、町に広がる風景も特殊です。大きな岩山が垂直に削り取られて橋桁のような形状の岩がそびえ立っているのをたくさん見かけました。
文化施設に興味のない息子たちも「今日イチでテンションあがったわ~」という盛り上がり。
併設のショップもおしゃれで食事も美味しく、かなりお勧めのスポットでした。
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月と六ペンス

2017年03月12日 | よみもの
前回、ワダちゃんと美術館へ行ったとき英文科卒の彼女に「卒論はゴーギャンだって言ってたよね、あっちの展覧会の方が良かったんじゃないの?」って尋ねたところ「ゴーギャンのことを小説に書いた本を題材にしただけで、ゴーギャンが好きなわけじゃないからええの」という話になりました。
え、何、その本。読みたい、貸して、と言ったら英語で書かれた原書の方にするかと聞かれたけどそんなの私に読めるはずもなく、、、↓これを借りてきました。

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本のタイトルは「月と六ペンス」。
これタイトルだけは知ってる!ゴーギャンのことを書いてるなんて知らなかったよ。

ワダちゃんから「ゴーギャンがどんなにクズ野郎かを淡々と書いた話だよ」と言われて読み始めたのですが、いやいや、淡々どころかすごいドラマチックで面白い。
確かに作中で主人公が出会った画家はゴーギャンがモデルなのですが、実際のゴーギャンとはかなり違います。
同じなのは株式仲介人をしてたこととか、妻子を捨ててタヒチに行ったという事実くらいかな?
フランス人なのにイギリス人という設定になってるし、起こした事件も違っている。死に様も凄惨な感じになってます。
解説にも「ゴーギャンの生涯に暗示をうけ」と書かれているとおり、小説として割り切って読んだ方が良いでしょう。

この作品、ゴーギャンとの違いについて気にしながら読み始めたけれど、読み終えてみるとモームの芸術家に対するイメージや理想なんかが詰まった作品な気がします。
ゴーギャンがモデルの画家はストリクランドという名で登場するのですが、ストリクランドの行動や思想は常識からとことん外れています。でも読んでいると、こういう生活の些末なことにとらわれない者が芸術家なんだ、と言われている気がしてきます。芸術とは神の領域であり、人間の営みに気を取られているうちはその領域に入り込めないんだと言っているようです。
ストリクランドの絵が評価されない時に、彼を天才だと言い張るストルーフェという画家が登場します。
ストルーフェは陳腐な絵を描く画家でありながら、確かな審美眼を持つという設定です(悲しい善人であり、とても酷い目にあうのです)。
彼の台詞を読んでいると、主人公と同様に、自分は芸術を見分けることのできない凡人なんだなぁと思い知らされます。
そして私は考えます。確かに芸術家ってやつは常人じゃ理解できない人たちなんだろう、と。

しかし、私はこうも考えます。
芸術とは人間にとってどんなものなのだろうか、と。
芸術は無くても人は生きていけます。ただ芸術に触れずに過ごす人生は味気ないだけです。
神と人間をつなぐ手段である芸術。
私には審美眼は備わっていないけれど、自分好みの美を判別することは出来るし、芸術と呼ばれるものに対峙した時に自分の生活を忘れる瞬間があることも知っている。
信仰心を持たない私は神のことは知らないけれど、人間の生活以外の領域があることは理解できる。
さて、現状に満足している私(および世俗の人)は芸術家から非難されるほどつまらない存在なのだろうか。
芸術家は神の世界を人間に垣間見せる依代を生み出すけれど、聖人でなければいけないとは思えない。人間であってもいいはずだ、と思っている私は、芸術家と世俗は相容れないと考えるのは狭小な考えな気がするのです。
だからストリクランドを汚れた聖人のように描いているのはモームのロマンだな、と感じます。

あと、時代のせいもあるんでしょうが女性を軽視した書き方が垣間見えるのがちょっと気に入らない。
差別的とまでは言わないんだけど、男の人が書いた文章だなぁという気はしました。

というわけで、「月と六ペンス」はモームの思想に言及するように読むよりも戯曲を見るようなつもりで読んだほうが断然楽しいなと思いました。
読んだ後に色々と考えることのできる小説、という点で非常に面白い作品だったと思います。
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永青文庫「日本画の名品」展

2017年02月26日 | かんしょう
今日が最終日の展覧会なので備忘録ですが、、、先週、ワダちゃんとお休みが重なったので名古屋市美術館へ「永青文庫 日本画の名品展」を観に行ってきました。

ワダちゃんはクロネコを飼っているので▲菱田春草《黒き猫》の絵を大変気に入っております。


▲菱田春草《落葉(重要文化財)》。残念ながら前期展示のため観れなかった。



以前、元首相:細川護熙氏の作品展を観た折に細川家の芸術との関り方が素晴らしいことを知り、永青文庫に足を運んでみたいと長年思っていました。
実際に行くとなるとなかなか機会に恵まれなかったので、今回、名古屋にやってきたのは非常に喜ばしいことです。
全ての所蔵品ではないけれど、どういうものか体感するには十分です。

さて、見てびっくり。
リーフレットを見れば「恐るべき慧眼、」と紹介されており、どのような作品を展示してあるかは大体わかっていたけれど本当に恐るべき美意識と審美眼です。
展示物のどれを見ても美しい、美術品ばかり。
ワダちゃんが隣で「私は芸術じゃなくてこういう美術が好き」と言ったのが本当に的を得ている。安心して心穏やかに、でもわくわくやうっとりを感じることのできる空間が広がっていました。
横山大観や菱田春草はこれまでにも幾度となく作品を見てきましたが、なんというか落ち着いた統一感のある空間で見ることによってしみじみと美しさを感じるものなんだと改めて思いました。
また、小林古径は今までそれほど気にしていませんでしたが《孔雀》の美しさに魅せられて「もっと他の作品も見たい!」と思いました。
そして、こういったコレクションを有する細川家の財力を見せつけられ蒐集に関する逸話などを読むに付け、お金持ちの感覚が違いすぎることを思い知らされるのでした。別世界だわ~。
今回の展示物を集めた「慧眼」の持ち主、細川護立氏はコレクションを美術館に貸し出す度に傷んで戻ってくることを悲しんでいたということですが、我々のような見せて頂ける側からすれば本当にありがたいことです。美術館の指導を守って正しく鑑賞させて頂く所存ですので、コレクターの方々においては心よく貸し出して頂ければ幸いです。
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ゴッホとゴーギャン展

2017年02月18日 | かんしょう
今年の新春からの愛知県美術館、注目展覧会「ゴッホとゴーギャン展」を観に行ってきました。

↑はペアチケット前売り券のリーフレットの表紙と裏表紙で、

↑こちらはその折り込み内部の見開きページです。
2枚綴りのチケットの図案はそれぞれ左側にある、ゴッホの描いた《ゴーギャンの椅子》と、ゴーギャンの描いた《肘掛け椅子のひまわり》でした。
展覧会を見終えてからこの2作の意味を考えると切なくなるという…。

リーフレットを何種類も作るのは最近の流行りなのか、この展覧会も会場で2種類見かけました。
 
両方ともゴーギャンの絵を見出しに使っていたので、もしかしたらゴッホバージョンとかもあるのかな?
表の絵だけを差し替えてて、裏は同じ構成です。



平日のあさイチでしたが結構な入場者でした。団体さんとかも来るようで さすが有名どころ、という感じ。

有名といえばゴッホとゴーギャン、共同生活の末の耳切事件なわけですが、興味を持って知ろうとしない人間にはこの事件が曲解されているのだと思い知らされます。私、「友人に対してヒステリーを起こしたゴッホがあてつけに耳を切って、恨みの深さをぶつけるために送り付けて縁を切った」んだと思ってたんです。いやぁ、知らないってコワイ。
自信ないから人に話したことなかったけど、あやうく話してたら恥かくとこだったわ。

ヒステリーを起こしたってのは当たらずしも遠からじって感じですが、耳は実際は知人の娼婦に預けていてゴーギャンに届けたわけではないし、衝突はあったものの決して恨みという感情ではないようです。また、縁も切ったわけではない。

この展覧会は二人の関係性を描く、ということになっていますが、実際に見終えてみると伝わってくるのはゴッホのゴーギャンへの思慕がほとんど。
お互いに影響を及ぼしあったということは分かるのですが、共同生活の頃の紹介や作品を見ているとゴッホからはゴーギャンがやってくる、と椅子を買ったり部屋を飾ったりしてウキウキしてる感じが伝わるのにゴーギャンからはそういう感じは伝わってこない。親しい画家の友人が絵を描くのに良い環境を紹介してくれたからぜひお邪魔しよう、という感じ? 
自分を慕ってくる後輩画家の多かったゴーギャンにすればゴッホは画家の仲間の一人だったのに対し、ゴッホはクレバーなゴーギャンに魅せられていたって気がします。
ゴッホは純粋な人だったんだなぁ、としみじみ。
精神的に病弱であったことも含め、繊細であったことを知ってから彼の描く糸杉や星空を思うと一層美しく感じてしまうものなんですねぇ。

二人の関係性以外の視点として、どのように画風が変化してきたかもよくわかりました。
特にゴッホはいつ頃、誰に影響を受けたのかが分かりやすい展示でした。
黄色い家に住んでいた頃、黄色がお気に入りだったのが伝わって、私まで黄色が好きになって帰ってきました。


さて、会場を出てからミュージアムショップを見てたらいろいろ面白いグッズがあって楽しかった。

この、ホットチョコレート用のスティックは他所でも見たことあったんですが、この展覧会でピックアップされてるのはグッド♡な感じ。ゴッホの絵はマグカップに合うし、黄色が暖かくて飲み物が美味しそうに見える。


あと笑えるのがゴッホ、ゴッホ、で龍角散の咳止めに引っ掛けた風邪予防グッズが出てたこと。
時期といい洒落といい、秀逸だなぁ~と思った次第。買ってきたらよかった、とちょっと後悔してます。
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再発見!ニッポンの立体展

2017年02月08日 | かんしょう
1月のことになってしまいましたが、シロウタと三重県立美術館で開催中の「再発見!ニッポンの立体展」を観に行ってきました。



土偶から始まり、仏像、人形、フィギュア他いろんな立体物を展示しています。



明治時代に西洋の芸術思想が日本に伝わるまでの日本の造形物は芸術といえるのか?という視点の展覧会のため、生活と密着した展示物がほとんどです。
土偶や仏像などは宗教的な意味合いが強いので生活感はさほど感じないけれど、招き猫やペコちゃん人形を芸術と呼ぶのは私にとって難しい分野。
でも、浮世絵や土産店で売られている工芸品の中には感嘆するほどの斬新さ、デザイン性、技術の高さを備えているものは多く、芸術で無いとは決して言えない。
そう考えると招き猫やペコちゃん人形もデザイン性が高いという点ではあながち芸術と呼べなくも無いのです。
希少であることに価値が付加されて「芸術品」となった大衆作品は多いわけで、芸術とはいったいなんだろう?という謎は深まるばかり。
結果として芸術は思想という結論に行き着くわけで、、、 なんにせよ、自分の好きなものを好きであると言えることが人生の幸せにつながるわけですよ。
決して珍しい「希少価値」のある作品は多くありませんが、芸術について考えさせられる展覧会でした。


閑話休題。展示物の出展に静岡市芹沢銈介美術館蔵のものがたくさんありました。
芹沢銈介ってどんな好事家かと思ったら、染色家の方だったんですね。美術館は氏の作品と収集物の両面からの展示をしているようです。
そして、美術館の所在地は登呂。土偶や埴輪が似合いそう(笑)
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安藤七宝店

2017年02月08日 | かんしょう
先日名古屋へ出かけた際に、宮内庁御用達の安藤七宝店(名古屋店)に行ってきました。


以前、「超絶技巧!,明治工芸の粋」展で百華文七宝大壷(ひゃっかもんしっぽうたいこ)を観て以来、一度訪ねてみたいと思っていたんです。


▲安藤七宝店製造 林喜兵衛,作「百華文七宝大壷」

七宝焼きはガラス釉薬のもつ質感と発色がとても綺麗。そこにデザインの良さが加わるとホント宝物のような美しさです。
現代において七宝焼きは家財のメインから外れている気はしますが、手間と技術を要する工芸なのは間違いなく、名品は非常に高価。
焼き物という点で陶器や磁器とも比較できそうですが七宝焼きはそれらに比べて手間が格段に多く、それぞれの工程に熟練の職人が必要です。そういう点で、作家だけでなく製造所が注目されることになります。

安藤七宝店、栄のGAPの隣にある狭い路地を入った奥にあります。
アプローチもなかなかですが、店から見える中庭が高級感を漂わせています。


一般の販売店舗からつながる廊下の奥には、名品を揃えた部屋と、安藤七宝店のコレクションを展示している「七寳蔵部(しっぽうくらぶ)」があります。


大正時代に建てられた落ち着いた蔵の中に明治時代以降の名品が並んでいます。
入館料は大人300円ですが、店内でお買い物をすれば無料。決して美術館のような大きな規模のものではありませんが、ゆっくり眺められる雰囲気は抜群です。
誰も居ないし監視カメラもないので写真を撮りたかったけど、ご遠慮くださいって書いてあったので我慢、我慢。
前述で紹介した超絶技巧と呼ばれる細かい細工の七宝はもちろんですが、ここの2階で胸を打たれるくらい美しいブルーの壺を見ることができました。
瑠璃色という名前が付いていましたが、ラピスラズリよりもトルコ石に近い色をしたセルリアンブルーにトルコ風の文様の入った壺で、上からライトを照らしているのに下から光っているかのようなグラデーションです。
透明感を感じるその仕上がりの感動をお店の人に伝えたら、「普通の七宝焼きは体部が銅ですが、あの壺は銀でできているんです。だからあんな光るような透明感が出るんですよ」と教えてくれました。
ものすごく綺麗だったので、また見たい。


▲廊下にあった技法が一覧できるパネル。ここは撮影オッケーでした。

七寳蔵部のリーフレットを読んだら「このような名品の数々は、国内外の愛好家の垂涎の的ですが、科学・経済の発展した現代でさえ、再び製造することは困難であるとされています。」と書いてありました。そうなんだ、やっぱり現代でこのクオリティを保つ名工を揃えることは難しいんですね。残念なことです。
美術館や博物館でも観ることが出来る七宝の名品ですが、買い物のついでに隠れ家的な場所で観るのもなかなかオツなものです。

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ユトリロ回顧展

2017年02月02日 | せいかつ
松坂屋美術館で開催中のユトリロ回顧展を観てきました。

▲チラシを飾る《可愛い聖体拝受者》は「白の時代」の代表作


私は特にユトリロに興味を持って観たことが無く、叙情的な建物が並ぶ風景を描く人として捉えていました。
今回足を運んだのは回顧展ということで画家の全体像を確認できるかも、と思ったと同時に、少し前にルノワール展でユトリロの母親のヴァラドンがモデルの「都会のダンス」を観たことでユトリロの人物像に興味がわいたこともありました。

▲ピエール=オーギュスト・ルノワール《都会のダンス》
 モデルは当時18才のユトリロの母、シュザンヌ・ヴァラドン。この時ユトリロを身籠もっていたためルノワールが父親という説もあるけど、複数の人と付き合っていたので真偽は不明。


で、私の感想を一言でまとめると「ユトリロって不幸な人だったんだ、知らなかった」でした。
エコール・ド・パリを代表する画家なので美術愛好家ならよく知ってることかも知れないけど、私は知らなかったんです。ユトリロの生い立ちも画業も。

母親の愛情が無いとは言わないけれど、恋多き母の元で育ち、アルコールに溺れ奇行に走り、ある時期友人は母親と結婚し、画家として成功するもその友人と母に報酬は搾取され、結婚相手は母親の薦めた女性。
風景画がほとんどで人物画は無く、初期の作品の街並みに人影はありません。風景に人物が描かれるようになっても、まるでLEGOの人形のように単なる点景でしかなく、人間に対しての愛情や信頼を感じさせる絵はまったくありませんでした。
ただ、結婚相手の女性リュシーとは知り合ってから10年後に結婚していますが(知り合った当時はまだご主人が存命だった)、この夫婦と知り合ってから花の絵を描くようになった、というエピソードが紹介されていたので、リュシーに対する愛情が無かったとは思いたくありません。
「白の時代」の後「色彩の時代」と呼ばれる作風に変化していきますが、それを経て40~50代になると絵に生活感を感じ取れるようになってくる気がしました。人物が点景なのに変わりはないのですが、配置が点在していたり門が開いていたりして動きがあるものが増えてくるようでした。晩年は、多少なりとも穏やかだったと思いたい、、、でないとなんか悲しい気持ちになっちゃう。


ユトリロは「白の時代」と呼ばれる20代~30代初の作品の評価が高い、というのはよく分かります。寂しいけれど美しい街や建物の佇まいがあるからです。

エドモン・ジャルーという評論家が「フェルメールがデフルトを、ホイッスラーがロンドンを、ユトリロがパリを有名にした」と言うような言葉を残しています。
実際、ユトリロに描かれるまでサン=ピエール教会やサクレ=クール寺院のある辺りは今のように美しいとされる地域ではなかったそうです。
ユトリロ以降、モンマルトル一帯がパリの中でも美しい街並みと称されるようになっていったとか。

ユトリロは同じ場所を繰り返し描いていますが、居酒屋風の酒場になったりレストランになったりした「ラパン・アジル」のある場所もそのひとつ。

▲1910-12年頃のラパン・アジル(ユトリロ27-29才頃)

▲1936-38年頃のラパン・アジル(ユトリロ53-55才頃)
この構図、好きです。この絵だけを比べても、晩年の方がより(雪の風景とは言え)優しい気がします。

展示数は80点ですが、ユトリロ-ヴァラドン委員会のセドリック・パイエ氏監修という回顧展。少なからずユトリロの人物像に迫っているのではないでしょうか。
現在、名古屋は「ゴッホとゴーギャン展」の方が注目されていてこの展覧会はあまり紹介されていないのですが、やはり大御所。平日なのに結構な入場者でした。
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