アバウトなつぶやき

i-boshiのサイト:「アバウトな暮らし」日記ページです

信貴山縁起絵巻 -朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の秘宝-

2016年05月18日 | かんしょう
先週、シロウタと奈良国立博物館に信貴山縁起絵巻を観に行って感想書こうと思って画像だけ下書きに入れておいたらあっという間に時間が過ぎてしまった…。
これ書いてる現在、もうこの展覧会が終わっちゃってるのでまったくの備忘録。




国宝ってことで混雑覚悟で行ったけど、集客自体は通常の人気展覧会と同等?
絵巻なので順に観ようと思うと並ばなきゃいけないってだけで、うんざりするような人混みではありませんでした。



とにかく、面白かった。(細かい感想は今回は割愛)
ちょっとざわざわしてて、友人と話しながら観ても気にならないのが気楽で良かったです。

その後、近所で食事して春日大社へお散歩。

修学旅行の小学生にインタビューされた我々。
「なぜ春日大社へ来たんですか?」と尋ねられて「博物館のついでにお散歩」としか答えようがなかったわ。申し訳ない。。。


入り口にある万葉植物園に寄ったけど、藤が終わっててホント殺風景なことになってました(ーー;)
もっと手入れした方が良いですよ。

↑この木の生命力だけは感心したので写真をパチリ。
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藤田嗣治展 -東と西を結ぶ絵画-

2016年05月10日 | かんしょう
マーガレット展を観たあと、名古屋市美術館にも足を運んで「藤田嗣治展 -東と西を結ぶ絵画-」を観てきました。

藤田嗣治の生誕130年記念のため、彼の画業を振り替える展覧会になっています。



最近藤田自身の作品や藤田と同時代の画家の作品を目にする機会が多くて、私の中で藤田に対する評価がどんどんと変化しています。
もともとは個性的な自画像や白っぽい女の人を描く画家という程度の認識だったのですが、独特の乳白色を観ているうちにだんだんとその表現がくせになってきて目が離せなくなってきました。

その視点で、今回私が気になったのは「バラ」という作品です。白い壁に白い花瓶、白に柄の入ったクロスという白を基調とした画面に乱雑に生けられたバラ。生けられたというより放置されてスカスカになっているためバラ自体の美しさを愛でるための絵でないのは明らかです。
肌以外のもので乳白色を巧みに使っているわけで、藤田の乳白色はこんな風にいろんな表現もできるんだぞ、と誇示していていっそすがすがしい。




黒と白のコントラストがはっきりしていてとても美しい上に藤田の愛した猫も描かれた「横たわる裸婦と猫」もイイし、


日本画の雰囲気を生かしつつ、上品な女性を描いた「座る女」も良かった。


もともと私が抱いていた藤田のイメージは、−早くから世に受け入れられ「狂乱の時代」と呼ばれる贅沢な時間を過ごし、日本に戻ってからも戦争画という時代の流れに乗った絵を描いた要領のいい人物−というもので、決して良かったとは言えません。
成功者へのひがみがちょっと混じってるかも。



ただ、こうして人生を通じた展覧会を見ることでずいぶんイメージが変わってきました。
それは藤田の寂しさを感じるようになったことです。
日本の画壇で受け入れられなかった藤田。
日本人でありながら日本に受け入れられないつらさというものが「成功者」という名に隠れていて、私にはわかっていませんでした。
しかし考えてみれば「世の中金だ」なんていうのは持っていないから渇望するのであって、元来不自由していない者ならそれ以外のものに心のよりどころを求めるというのは至極当然のように思えます。
そう考えれば、戦争画を描くことで日本の世に受け入れられたという実感が藤田を高揚させたのも、戦争に荷担した責任を問われて日本を捨てたのも、当然の成り行きのように思えます。
なんというか、普通に傷つきやすい心を持った人間らしい人だったんだと実感してやっと親しみを持てるようになりました。

それでも、やはり戦争画を観ると暗い気持ちになってしまうので私はあまり好きではありません。
けれど当時の熱のようなものや悲しみが伝わってくるので、芸術であり博物的価値の高い作品であることは確か。
藤田の戦争画でもっとも有名な「アッツ島玉砕」も展示されていて、一見の価値はあります。
とにかく、名だたる藤田の代表作がそろい踏みの素晴らしい回顧展だったと思いました。


ところで。。。
藤田の描く子どもの顔、「愛らしい」という表現を時々見かけます。仕草はかわいいけど顔はこえーよ、と思っているのは私だけでしょうか。
あれも見慣れるとかわいく感じるようになるのかなぁ。
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わたしのマーガレット展

2016年05月09日 | かんしょう
GWは特別な用がなかったので、松坂屋美術館で4/29から始まった「わたしのマーガレット展」を観に行ってきました。



ワタクシのマンガ好きはみなさんご存じの通りなのですが、マーガレットのお世話になったのは小学生高学年〜高校生までといったところ。
幼稚園から小学校に上がる頃に「りぼん」・「なかよし」に出会って小学生の間は両誌をメインとし、作風が集英社が好みであったために「マーガレット」や「ぶ〜け」に手を出し、和田慎二氏を通して「マーガレット」から徐々に白泉社の「花とゆめ」がメインとなる、、、という遍歴の持ち主です。
SF好きだったから徳間書店や朝日ソノラマや東京三世社なんてマイナー誌にハマったし買ってた雑誌も一冊や二冊じゃすまなかったけどそれはともかく。
そんな風なので、マーガレット愛は普通の漫画好きとしての域を脱しておりません。
とはいえ、名作といわれる作品はもちろん外していません!

「ベルサイユのばら」と「エースをねらえ!」は漫画史に名を刻む作品ですので、漫画をほとんど読まない人でも知っているはず。
この2作品はマーガレットの黄金期の代名詞ですからもちろんのこと、映像化された作品群は多彩で、古いものから新しいものまで盛りだくさんでした。
古いところでは「アタックNO.1」や「奥さまは18才」、少し前だと「花より男子」、最近だと「アオハライド」「ホットロード」「ストロボエッジ」…。
今や少女漫画の映像化は一つのジャンルになりつつあるので、王道の少女漫画路線を行く「マーガレット」は映像の原作として使いやすいのかもしれません。



原画を見られるのは本当に楽しいし、感心させられます。プロの作品はやっぱり美しいし、直した跡なんかも苦労が垣間見ることが出来てぐっときます。
しかし、私がそれより強く感心したのは創刊当時の作品の質の高さです。
まだ、漫画が貸本屋から雑誌へと移行し始めたばかりの頃。絵柄は今見れば単純で古くさいようにも思えるけれど、画面の構成や物語の設定が幅広く工夫に富んでいます。
現在の作品の方が心理描写ははるかに巧みだとは思うけれど、あの少ないページでストーリーが展開していくのだから心理描写が単純になるのは仕方がなかったのだと思います。
それを差し引いても、歴史やファッション、一風変わった恋愛模様など現在の漫画作品を作る上でモチーフとなっている要素がすでに展開されていたんですから驚きです。
画面も書き込みが少ないとはいえ、背景や動線表現が書き込まれ、人物は全体像からバストアップまで様々な角度の姿が動きを持っています。
それが、1980年頃になると人物がメインの作品が増え、現在の漫画はリストアップされた作品のほとんどの絵がバストアップメインになってます。
かわいいしきれいな絵になってるけど、ババアには物足りないとしか言いようがない。
恋愛モノに特化した「マーガレット」はやはり少女のモノなんですねぇ。

そうはいっても、やはり紹介されているのは大好きだった漫画がほとんど。
懐かしくて楽しい時間を過ごすことが出来ました。
個人的には弓月光氏のコメントのところに「エリート狂想曲」が一番気に入ってる作品って書いてあったのが嬉しかった〜。私も大好きで、大人になってから古本やめぐりして買い直したんだよね、あの作品。
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「舟越桂 私の中のスフィンクス」「フリオ・ゴンザレス」展

2016年04月04日 | かんしょう
 三重県立美術館では「舟越桂 私の中のスフィンクス」「フリオ・ゴンザレス」展、二つの展覧会を同時開催中。
 各展覧会、一般1100円の入場料ですがセット券だと1500円になるのでお得です。両方観るならぜひこちらをおススメします。

「舟越桂 私の中のスフィンクス」展は、シロウタと2月中に観に行ったのですが、同時に二つの展覧会は疲れてしまうので「フリオ・ゴンザレス」展は後回しにしていました。一緒に感想を書くつもりだったわけじゃないけど、結局ひと月以上経ってからになってしまった(^_^;)
 




舟越氏は近年、スフィンクス・シリーズという両性具有で長い耳朶(じだ)を持つ像を制作しています。
そのため、タイトルだけ聞くと新作展かと思いがちですが、実際は初期の作品から現在までを追う流れになっており舟越氏の歩みを知る事のできる展覧会になっています。
一目で作家が分かる、独特な面持ちと表情を持った作品ばかりです。
この、見た者が忘れられない、人を引きつけるうつろな表情は目に秘密があるようです。
作品に目を入れる際、ほんの少し両目の視線が外に向くようにするのだそうです。そうすると目の焦点が合わないため、作品を観ている者とも目が合わない。
それがあの等身大でありながら現実感を感じさせない人物を作り出すのだとか。

見つめていると吸い込まれ、水を打ったような静けさに連れて行かれます。清らかで穏やかな空間にいるはずなのに、心がなんだかざわざわする…そんな気持ちにさせる作品達でした。






フリオ・ゴンザレスはこの展覧会が開催されるまで知らなかった方です。
現代彫刻には計り知れないほどの影響を与えた作家であり、ピカソの彫刻において鉄の扱いを教えた人物であるというので非常に興味がわき、舟越氏以上に楽しみにしていました。
おかげで、作品数100点程度の展覧会で2時間近く居てしまった。

まずは、彼の若い頃の作品で細工の技術が確かなものであることが紹介されています。
金工職人の息子として生まれた彼は当初は画家を志しており、50代の頃に自由な表現の作品を作り始めるまでは、工房は生活の手段という側面が強かったようです。
当時のスペイン、バルセロナはモデルニスモと呼ばれる新しい芸術運動の中心地でした。その頃のヨーロッパではパリのアール・ヌーヴォーやエコールド・パリなど、新しい表現が続々と台頭していた時代でもあります。
そんな中、新しい芸術に敏感だったフリオがピカソと親交を深めたのは当然なのでしょう。

フリオは彫刻の素材に鉄を用いたことが大変新しかったと言われています。工業新興時代の新しい素材であり、それを扱う技術が伴っていたことも大変注目されています。
しかし、この展覧会を観たことで素材だけではない表現としての革新を感じさせられる彫刻であると気付きました。
ピカソはキュビズムで絵画という二次元に三次元を表現しました。
フリオは空間に鉄で描く「空間の中のドローイング」、または、空間も素材として組み合わせることで形態を生み出す、という考え方で彫刻を作っています。
「空間の中のドローイング」は空間をカンバスのように見立てることで、立体で絵画的要素を表現しているのでしょう。一面から見ればピカソと逆の表現方法ですよね。
また空間を素材として鉄と組み合わせた包括的な彫刻であるという考え方は、概念が見ている側の居る【空間】内に表現されているわけで、となると、彼の彫刻は立体表現として表現者と鑑賞者の間に隔たりがないということになる…?

そういう風に考えて観ていると、普段何気なく美術品を鑑賞しているときには「美しいか美しくないか」「好きか嫌いか」という観点を大事にしている自分が、別の次元に連れて行かれるのを感じます。
芸術というのは表現方法を模索することで、哲学であったり信仰であったり時には真理だったりを追求する手法=「術」なんだということを思い知らされるのです。
けど、そういうことを考えながら鑑賞するのはやっぱり大変〜!
改めて、芸術鑑賞の奥深さをのぞき見て「入り口でいいか…」と思い知らされてしまうのでした。

さて、展示作品のキャプションを見ると、ほとんどがブロンズの鋳造でした。
つまり、オリジナルは鉄を溶接して作った作品ですが、そこから型を起こして鋳造作品が作られているのです。
この場合の鋳造作品がレプリカではなく、版画と同じように本物というのが彫刻作品の妙。
ほんの数点、オリジナルが展示されていましたが、やはり鉄は錆を帯びて茶色い風合いが出てきているので趣が違います。
版画は同じクオリティが表現できた版にシリアルナンバーが付いていると思うのですが、この場合は素材も手法も違うわけで、そう考えるとフリオ氏が制作時に表現したかった事は鉄の風合いではなくやはりこの表現方法だったんだなぁと思い当たるわけです。
とは言え、鉄とブロンズは似てるから良いけれど、石彫の作品もほとんどがブロンズ彫像だったので、これについては博物的価値は感じるけれど芸術的価値は劣る気がしてしまいました。

考え出すと深くなるけど、軽く観てもかわいらしい作品とかもあって楽しめると思います。
どちらにせよ私には印象深い展覧会になりました。
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「市野雅彦 UTUWA」「小嶋千鶴子 陶人形」展

2016年03月30日 | かんしょう
地元情報誌でパラミタミュージアムのチケットが当たりました。「市野雅彦・陶展 UTUWA」と「小嶋千鶴子 陶人形展」の会期中有効。
3月の前半は忙しかったので後回しにしてたら会期終了寸前だったのであわてて観覧(汗)




市野氏は2007年のパラミタ陶芸大賞展の準大賞受賞者だそうです。
今回は久しぶりに撮影がオッケーな展覧会でしたので、せっかくだから写真を交えながら感想を。


ん〜、この感じ。程よい密度が落ち着くぅ。
澄んだ空気の中に有機物があるのでさらにイイ♪

 
入ったところにあったのは真っ赤な作品。市野氏の用いるこの朱赤の釉薬(化粧土)は赤ドべと呼ばれるもので丹波地方でしか取れないのだそうです。

  
これらの器は「丹波采器」と名づけられています。※タイトルの違うものもありましたが同シリーズでしょう 
「采」の字が付いているけれど、配るという意味より「菜」や「つかむ」の意味に近い様な気がします。植物のがくや花托を思わせる形です。
お茶の木や椿の実がはじけたようなフォルムは懐かしさも相まってとても優しい気持ちにさせてくれます。色彩があるわけではないのに、命を感じさせる温かさがあるのです。特に写真中の作品は中のオレンジ色が、内側に灯がともっているように見えます。

 
じーっと近づいて見ると、微妙な色遣いが分かります。もともとやわらかい形のところに色が加わってぽってりした温かさを生み出しているのです。
 
  
花器も良くて、カキ目と化粧土の質感がとても好きです。
写真は良くてもさすがに触らせてはもらえないのは分かっていますが、「触ってみたい!」とものすごく思いました。。。


同時開催されていた「小嶋千鶴子 陶人形展」。




地元では有名人の小嶋千鶴子さん。イオン元会長の岡田卓也氏のお姉さんであり、政治家・岡田克也氏のおばさまです。
彼女の作陶展は以前にも開催されていて評判が良かったのは知っていましたが、観るのは今回が初めてです。
  
  
うん!味があってなかなか良いですね〜♪
顔の感じはちょっと池田満寿夫氏の影響を感じます。まぁ、当然かな?
色んな年齢、色んな服装、色んな表情…。でもどれも愛らしい。
おや、なんか青くて現実感の薄い方もいらっしゃいますね。とぼけた少年やまどろんでいる女性などモデルの存在を思わせる人形がいっぱいです。
これを100歳の方が今も作ってらっしゃるとは。
作陶を始めたのが70代というのもスゴすぎます。人生は挑戦の連続ですね。

撮影許可されてるんだし、小嶋三郎一氏の作品も撮っちゃおう。
  
私、さくらんぼモチーフの絵って好きなのでこの部屋大好きなんですよ。この人の描く果物、桃も良いんだよねぇ。


もう、表題の展覧会は終了してしまいました。
次は安野光雅展ですよ!人気作家ですよ、観光向きですよ。
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「ピカソ、天才の秘密」展

2016年02月11日 | かんしょう
現在、愛知県美術館では「ピカソ、天才の秘密」展が開催中。
年明けから始まって、3月21日までという開催期間になかなかの余裕がある展覧会。知名度が高いピカソとあって動員が見込めるのでしょう。
有名どころで開催期間が短いと混雑がすごいので助かります。


私はいつものようにシロウタと一緒に、2月の第一週に観に行きました。
その日は平日なのに中学生のグループや親子連れが多く、混雑というほどではありませんが盛況でした。この展覧会はうちの次男も美術部の活動の一環で観覧にいっているので、学生には興味の持ちやすいテーマなのかもしれません。

ピカソの若い頃、キュビズム以前の作品が中心に紹介されています。
ピカソというと何が描いてあるか分からない絵と思っている人が多いと思うのですが、それがキュビズムと呼ばれる作品です。キュビズムはそれまでの絵画とは違う新しい考え方で、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めるという技法です。
日本語に訳すと立方体(キューブ)派→「立体派」で、平面に立体を投影する描き方なので見慣れた平面とは違って見えてしまいます。例えば女性の絵ってタイトルでもなんだか分からない幾何学模様が並んでいて、でもよーく見ると目がこちらを向いていて鼻が横を向いていて胸があって…という構成になっている。
興味がなく見慣れてもいなければキュビズムを奇妙と感じるのも無理はない話で、学校の先生も息子達に「ピカソがおかしくなる前の絵を観に行こうか(笑)」とおっしゃったらしい。中学生に対しとっても分かりやすい説明、ありがとうございます。



ピカソの若い頃と言えば20代前半のメランコリックな色調の「青の時代」が有名なのですが、それ以前の少年時代の作品も展示されています。
冒頭に13才の頃に描いたスケッチがあるのですが、天才と呼ばれるだけあって素晴らしく上手い。
「うちの次男と同じ年でこれを描いたって…さすがだな!」と言わざる得ません。うちの次男は一応美術部在籍ですが、実力も興味も十人並みなので比べちゃいけないんですけどね。でも、同い年って事は事実ですので^_^;

前述の「青の時代」とその後の「バラ色の時代」がメインですが、「バラ色の時代」の作品が物足りなかったです。
本当にバラ色を多用しているわけじゃないのは知っていますが、もう少し明るい作品が数点あるとテーマが引き立ったと思います。
版画の点数が結構あり、それを含めているせいもあってか全体の展示点数はあまり多くないように思いました。版画にいたっては、先秋にも観た「貧しき食事」が2点ありましたし。同じ展覧会内で同じ作品を展示するって、ダメとは言わないけどあんまりやらないんじゃ…。

あまり規模は大きくないけれど、話題性があり主題も絞られている点で観やすい展覧会だったと思います。
結論として、やっぱりピカソは天才なんだな、と。

なお企画展のあとそのまま常設展を観る流れになっていて、コレクション展のテーマはシュルレアリスムでした。
ピカソで頭を使い過ぎずに済んだおかげで、コレクション展も楽しむことが出来たように思います。
この流れのおかげか、今まで何度も見た作品(フランク・ステラ『リヴァー・オブ・ボンズ検戞砲量動感を今までに無く感じるという体験も出来て、同じ作品でもそのときの気分で新鮮な気持ちで観る事ができるんだと実感できたのは良かったです。

展覧会の後、タカシマヤのバレンタイン・フェアに行ってしまって安藤七宝店に行くの忘れてた。
まぁ、チョコレートに対する出費でピーピー言ってる人間には無縁っちゃー無縁の場所なんですけどね。次は寄ってこよう。
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BANKO archive design museum

2016年02月04日 | かんしょう
四日市の伝統工芸と言えば萬古焼。
その萬古焼を紹介する「BANKO archive design museum」が萬古工業会館の1階にオープンしました。

HPはコチラ

私は先月号の芸術新潮で取り上げられているのを読んで知ったのですが、地元のケーブルテレビCTYを見てると紹介されたりしているようですね。
なかなかおしゃれな空間で、ちょっと人に話したくなる雰囲気です。
カフェが併設されているので、空間を楽しみに遊びに来るのも楽しそう。





さて、ミュージアムの方はと言うと、見せ方(観せ方、魅せ方)がとても上手です。
昭和に見慣れたようなひとつ間違えば野暮ったくなる萬古焼が、組み合わせがとてもスタイリッシュなためにやさしい雰囲気の器になっています。
実際、輸出していたころのものは北欧でありアメリカンであり、とってもイイ感じ。
使う側の生活スタイルが反映されるんだなぁと感心させられます。
古萬古は取り上げず博物館等に任せて、現代に持ち込んでも違和感のないものにだけスポットを当てています。とても方向性がハッキリしてる。

このミュージアムを手がけた陶芸家・内田鋼一氏は今日本で一番忙しい陶芸家、と呼ばれているとか。
ご本人のサイトを拝見したら、「あ!これ見たことある!!」という器が出てきました。そしてやはりスタイリッシュ。
彼の個展は作品が飛ぶように売れていくらしいです。なんかわかる。私も欲しいのありますもん。
愛知県のご出身なのに四日市に制作拠点を置き、萬古焼に愛情もって取り組んで下さってるのかと思うと四日市市民としては大変ありがたい。(商売上手という側面を差し引いても余る)
どんどん減っている四日市の萬古焼の窯元…。大変もったいないことですので、これを機会に盛り上げて頂きたい♪

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新見美術館コレクション 珠玉の日本画

2016年02月03日 | かんしょう
ただいま桑名市博物館で開催中の「新見美術館コレクション 珠玉の日本画」展、行きやすい場所なので週末を利用して行ってきました。



新見美術館がどこにあるのか分からず、ポスターに大きく伊藤小玻が取りあげられていたので三重県内の美術館かと思ったら、なんと岡山県新見市との事でした。また遠いところから…ありがたや。

決して大きい会場ではないので軽い気持ちで行ったのですが、予想以上に名作揃いで見応えがありました。
竹内栖鳳の「海幸」は鯛の透き通るように光る赤みが美しかったし、橋本関雪の「朝」で描かれた猿のやわらかな毛並みは目を見張るものがありました。
女流画家として伊藤小玻とよく対比される上村松園もあって定番を外していないし、小川千甕に影響を与えた富岡鉄斎も一度に何点も観ることが出来ました。
また、2点とは言え刀剣もありました。
刀剣は鑑賞点が分からずにあまり興味を持てなかったのですが、じっくり見ているうちにその鋼の美しさの良し悪しはともかく鎌倉時代に打たれた鋼が全く濁ることなく光っている様子は素直に美しいと思いました。もう少し数を観たら楽しくなるかも。

少しずつですが日本画と工芸が紹介されている良い展覧会でした。
桑名市博物館は地域の伝統に根ざした展示を色んな角度から絶えず発信し続けている上、こうやって時折余所からの風を入れる企画展を催していて、大変好感が持てます。この姿勢を崩さずがんばって欲しいと思います。

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星と星座の伝説・冬(読み聞かせ17)

2016年02月03日 | よみもの
すっかり更新し損ねていましたが、冬の初めに6年生のところに行きました。
選んだのはコチラ↓
星と星座の伝説(冬)新装版 [ 瀬川昌男 ]

星と星座の伝説(冬)新装版 [ 瀬川昌男 ]価格:1,620円(税込、送料込)



高学年で15分読み切りというのは、大した読書量じゃない私にとって結構選ぶのが難しいのです。
で、困った時の短編集。
夜空がキレイに見える季節になったので選んだのですが、聞いたことがある気がするけどよく知らない、という星座にまつわる伝説はなかなか好評でした。
私が読んだのは、この中のオリオン座の話です。
オリオン座の話はさそり座と一緒に出ないというオチがあるので聞いたことがありそうなものですが、案外聞いたことがないらしく、先生も一緒に感心してくれました。
一編のみだと10分程度で読めてしまうのですが、一緒に星座早見板を持って行って「今日の午後8時だとこの方角に〜」とか、「理科で習う冬の大三角は〜」などという話を前後に織り交ぜながら話すと15分超えました。

このシリーズは四季を通してあるので、困った時に使いやすそうです。
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小川千甕展 ‐縦横無尽に生きる‐

2015年12月14日 | かんしょう
先週、京都文化博物館で開催中の「小川千甕(せんよう・ちかめ)」展に行ってきました。
今年の展覧会巡りはこれで終わり。今年の秋は結構行けた♪

 小川千甕(1882〜1971)は、明治末期から昭和期までの長きにわたって、仏画師・洋画家・漫画家・日本画家として活躍しました。
 京都の書肆「柳枝軒」の家に生まれた千甕は、少年時代は仏画を描いていました。その後、浅井忠に洋画を学ぶ一方で、新感覚の日本画も発表し始めます。同じ頃、京都市立陶磁器試験場の絵付け技手となったことをきっかけに「千甕」(せんよう)の雅号を自ら名付けますが、俳画や挿絵の画家としては「ちかめ」の名でも親しまれていました。
 明治末、28歳で東京へ越し、『ホトトギス』などに挿絵、漫画を発表して人気を博します。さらに1913年(大正2)には渡欧し、印象派の巨匠ルノワールにも会っています。帰国後は日本美術院に出品し、本格的な日本画家として活躍しました。その後、少年時代に憧れた富岡鉄斎を思わせるダイナミックな筆遣いの南画(文人画)で愛されました。
 本展は、千甕の初期から晩年に至る仏画、洋画、漫画、日本画約140点とスケッチブック、工芸などの資料を一堂に展示し、その芸術を紹介する初めての回顧展です。

※京都文化博物館HP〈開催概要〉より


小川千甕の事は展覧会の案内を見るまで知りませんでしたが、経歴を見た時に彼の人間性に対して強烈なイメージが涌き出てきまして、作品も観ていないのに「この人、好きだ!」と思ってしまいました。
そしてその直感したイメージは展覧会を観た後でも変わることはなく、むしろ確信に近いものになりました。



この展覧会の感想、一言で言えば「暗さがない」。
おおらかさで満ちあふれていて、素直で自由闊達な彼の人生が伝わってくるようです。


まず、入場すると少年時代の仏画の下絵が迎え入れてくれます。
緻密な線で描かれたそれは到底15才が描くレベルのものとは思えず、感心させられます。いくら家業から身についたものだとしてもその才能は凡人あらざるものに違いありません。
それが、浅井忠と出会った20代の作品になるとあっという間に近代の洋画へと変わります。遠近法や光の捉え方の雰囲気が浅井忠の作品に通ずる、確かなデッサン力を思わせる作品です。
同時期、千甕は浅井忠に学びながら同門の仲間と日本画の団体を設立しています(団体名が分からない 汗)。
ただ、その団体の一回目の作品展には出展していないのですが、設立した団体が師である浅井忠のお気に召さなかったのを気にしてのことだったという逸話が紹介されていて、思わずくすりと笑ってしまいました。なんだか先生に怒られてしゅんとなっている千甕の姿が想像できたからです。
仙(せんがい)や富岡鉄斎が好きだという彼の日本画はやさしく丸みを帯びた線で描かれています。
この後、それがデフォルメされるかのように変遷を遂げていくのですが、まだこの時点では個性の強烈さよりも愛らしさや美しさが勝っています。

浅井忠が京都高等工芸学校の教授だったこともあってか千甕は京都市立陶磁器試験場の絵付けの技手になりますが、その時に大津絵を手がけています。
浅井忠の手がけた大津絵の写しなどもありました。
大津絵(おおつ-え)とは、滋賀県大津市で江戸時代初期から名産としてきた民俗絵画で、さまざまな画題を扱っており、東海道を旅する旅人たちの間の土産物・護符として知られていた。
神仏や人物、動物がユーモラスなタッチで描かれ、道歌が添えられている。多くの絵画・道歌には、人間関係や社会に関する教訓が風刺を込めて表されている。
※ウィキペディアより抜粋

後にこの大津絵は渡欧で見た様々な風俗を描き出す手法の一つとして、のびのびと描かれることになります。

千甕は31才で渡欧したのですが、その時のことを日記に綴った「滞欧日記」の中にルノワールに関する記述がありました。
その時の、彼の感想はまさに愉快!
あのルノワールのことを「白髭がヂヂムサイ…何だか今にも死に相な、いや死体の様な老爺」と表現しています。大した人だとわかっていながら、よぼよぼのジジイ扱いです(笑)
日記ですから、素直な感想をそのまま綴っていたのでしょう。
もちろん渡欧で見たものは水彩、油彩、スケッチと様々に残っていますが、その作品が農村風景から街の雑多な風俗にまで及んでいて「珍しいものを見たぞ、描いて残しておこう♪」と思っているのが伝わってきます。
なんというか、、、どれを見ても楽しそうなんです。作品が。特に大津絵はデザイン画として明るい色彩で描かれているのでとても愛らしい。

漫画や挿絵は28才の時に東京で描いていたもので人気があったようですが、彼の画家人生の中では重きを置いている感じはしませんでした。
かといって生活のために仕方なく描いているという風でもなく、目の前の絵に全力投球している感じがやはり好ましいし、親しみを覚えてしまいます。

少し前に藤田嗣治の人生を描いた映画「FOUJITA」を観て藤田に関心を持ち、彼の逸話などを少々聞きかじりました。
そのしたたかさや意志の強さはそれはそれで魅力的だったのですが、あまりにも千甕と対照的で思い出さずにはいられません。
藤田は巴里に行って自分の絵画を模索。師である黒田清輝に反発し黒田の薦める画材を捨ててしまったような人物です。
一方、千甕は浅井に教えてもらったことを大切にしている風であり、渡欧で見たものを大津絵に表す素直さがあります。
戦争画にしても然りです。
藤田は陸軍美術協会理事長に就任するほどの人物でしたが、千甕は同時代を生きていながら戦争画を描いていません。
友人にするなら千甕のような人ですね、私なら。 もっとも、世界的に有名な画家にはなれませんけど。

さて少し戻って帰国後の、昭和に入った頃、千甕の日本画の画風が変わってきます。
富岡鉄斎のようなダイナミックな筆遣いの日本画を描くようになります。
そしてそれはそのまま南画となり、千甕はこれこそが自分の描きたい絵だと悟るに至るのです。
南画(なんが)とは、中国の南宗画に由来する 日本的解釈の江戸時代中期以降の画派・画様の用語である。文人画ともいう。
※ウィキペディアより抜粋


正直言って、私は南画には興味がないのですが…。
でも、作品を見ているとそののびのびとした作風や「描きたいものを描くんだ」という気持ちはダイレクトに伝わってきます。
南画を作品展に出品して後、「自分の絵は展覧会向きではなくなってしまった」と悟り画壇の一線から退く潔さ。
作品よりもどうしても小川千甕という人物の魅力に惹かれてしまう私なのでした。

この展覧会の最後に、千甕の書が4点ありました。
書いてある言葉が、これまた人となりを感じさせてくれます。

「五風十雨」 「有頂天」 「行雲流水」 「縦横無尽」

それぞれ、とても個性的な味のある字です。文字すらも生き生きと動いています。

素敵な作品を観たわ、というより、楽しい人に会えて良かったわ、と感じる展覧会でした。
こんなのびのびした魅力的な生き方、今の時代に好まれると思うんだけど画家ってのは苦悩の人じゃないとダメなのかな。あまり注目されてないのが残念。
昨年、テレビ「日曜美術館」で紹介されたらしいのに…。今後、人気出てくると思うのは私だけかしら。
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