三無主義

 ~ディスパレートな日々~

映画「世界は今日から君のもの」

2017年07月29日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「世界は今日から君のもの」を観た。
 http://sekakimi.com/

 門脇麦は、前作の「二重生活」を見て役に没入するその演じ方に感心した女優で、世間の価値観から一歩引いた役柄がとても向いている。本作の主人公はまさにそんな役柄の典型で、門脇麦のいいところが余すことなく引き出されている。

 人間は社会生活を維持するために、嘘をつかねばならない。人が犬や子供を連れてくれば「可愛い」と言わねばならないし、上司の意見には賛意を示さねばならない。「馬鹿そうな犬ですね」とか「小汚い子供ですね」とか「無意味な意見です」などと言ってはいけないのだ。一般的にこれを本音と建前と呼ぶ。
 権力を持つ人間は、建前をいう必要がない。権力が地位を保全しているから、建前を言って社会的立場を維持しなくてもいいのだ。建前を言わなければならないのは、いつの世も弱い立場の人間だ。つまり世の中の大多数は建前を言い続けることでかろうじて社会生活を維持しているのだ。
 当然だが、本音と建前のギャップが大きいほどストレスも大きい。ときにストレスは殺意と化し、他人を殺したり傷つけたり、または自殺したりする結果をもたらす。あるいは無気力になって社会から逸脱する。引きこもりは、建前を言い続けなければならない同調圧力に対して、実存としての自己が折り合いをつけられないことから生じる。

 好きなことをして生きていければこれほど楽なことはない。しかしどんなに好きなことでも仕事になると、楽ではなくなる。まして本音と建前の間で折り合いをつけられない人間にとっては、苦痛に等しい。建前を言わなくていい仕事は、ラインの一部と化すことだ。そういう仕事は近い将来、AIにとって代わられるだろう。
 どう考えても将来のない主人公だが、過去の怨恨やストレスを克服しながら少しずつ進んでいく。そのあたりの微妙な成長ぶりが、門脇麦の達者な演技が十分に伝わってくる。本音ばかりを言っていては社会生活はできないが、時には本音を言わなければならないときもある。そのための勇気を獲得することが主人公の成長である。

 門脇麦の台詞は少ない。顔のアップの時間は十分にあるのだが、台詞が少ない。それは尾崎監督が引き算の脚本を書いたからだろう。観客からすれば、この場面ではおそらくこんな台詞やあんな台詞を言うだろうと予想しながら見ているが、ほとんど裏切られて、門脇麦は少しの台詞しか言わない。言う台詞は凝縮されていて、まるで俳句のようだ。脚本が引き算であるように映像も引き算で、無駄なシーンはひとつもない。とてもいい作品である。

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