三無主義

 ~ディスパレートな日々~

映画「永い言い訳」

2016年10月15日 | 映画・舞台・コンサート

映画「永い言い訳」を観た。
http://nagai-iiwake.com/

クミコというシャンソン歌手が歌う「わが麗しき恋物語」という、覚和歌子さん作詞のシャンソンがある。恋をして、結婚して、数年たったら互いに浮気をして、相手に興味がなくなってしまった。しかしその後、夫が病気で亡くなり、葬式の時に、自分でも驚くくらい大声で泣きじゃくったという歌だ。

竹内まりやの「天使のため息」という歌がある。映画やドラマになった「秘密」という物語の主題歌でもある。この歌に次の一節がある。「人はなぜ皆 失って初めて気づくの 見えない糸で結ばれた愛の重さに」

どちらも女性の作詞の歌で、恋の行方についての歌詞だ。
この映画の監督も女性で、やはり愛のありようを手探りする物語だ。女性にとって「永遠の愛」は古来から変わることのないテーマのようである。

ふたつの歌が女性の観点から書かれた歌詞であるのに対して、この映画の主人公は男性だ。妻を亡くした夫。そこにこの映画の価値がある。
男性の場合は「永遠の愛」がテーマではない。熱が冷めないうちは失った女のことを嘆き悲しむが、熱が冷めてしまったら、女が死んでも何も感じない。妻を亡くしたふたりの夫の正反対の感情は、そのためだ。

本木雅弘の演技はさすがだ。夫の複雑な心理状態を複雑なまま表現している。小説家としてテレビに出たりしていて、有名人としての社会的な地位があり、虚栄心があり世間体がある。そういう心理を、妻への思いやりよりも優先した途端に、愛が終わる。あるいは愛が終わったから世間体や虚栄心を優先するようになったのかもしれない。
亡くなった妻のスマホに残された下書きメールの「もう愛していない」という言葉は、夫に対する自分の思いなのか、自分に対する夫の態度のことなのか、永遠に謎のままだ。しかし主人公は自分にあてた妻の言葉だと思い込んでいるようだ。男には身勝手なプライドがあり、自分は妻が死んでこれっぽっちも泣けなかったのに、妻からこれっぽっちも愛してないといわれると腹を立てるのだ。

物語としての起伏はほとんどない。事故で妻を亡くした夫が、一時的に生活が荒れてしまったがその後他人とのかかわりの中で生活を立て直していくだけで、ほぼ私小説といっていい。妻や愛人が魅力的に描かれていないのは、主人公にとって彼女たちが性欲の対象、或いは世間体のための舞台装置でしかなかったからだろうか。深津絵里や黒木華という演技派の女優にとって、気の毒な設定だ。
子役たちの芝居は見事だった。西川美和監督は子供を作ることも作らないことも否定していないが、子供とのかかわりが主人公の精神的な危機を救ったように描いている。その意味ではヒューマンな映画だと言えるだろう。
総じて音楽の使い方がとてもよく、特に手嶌葵の挿入歌が抜群に優れていた。

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