言葉の洪水

電車女風女子が、言葉の洪水の中で、垂れ流したい言葉を書き続けます。

小沢健二「うさぎ!」第3話(2)

2007-05-26 16:01:23 | 実話に近い創作
もはやあなたの仕事は何ですか?という状態ですが(爆)、
だんだんこっちが楽しくなってきました

なんか先輩からメイドカフェの店長を紹介されるという
もう何が何だかわからない感じになってきてますが
私は楽しくてたまりません

エリートコースは嫌いなことくさいので
私はそんなものは拒絶したいです

…嫌い、じゃない、醜い、ですね

ちなみに神田のベビーカー事故のことなら
多分日本で10本の指に入るくらい詳しいので
知りたい方(いるのか?)なんでも聞いてください

先輩が
「北京オリンピックを前に反中感情を煽ろうって感じですかね」
と言っていました
正直私はあのTVで「残酷動物園」とか言われていたアレ、
行ってみたいですし、面白いと思います
何かトラ異常に飢えてねえか?ってのは置いといて
あれが動物、そしてうちらの現実でしょ?
ものを殺して食ってるって、そんなもんでしょ?
それを「残酷」とか普通に言える人の感覚が信じられませんね

(トラを飢えさせているのであれば、それは「残酷」です)
(ついでに、あれで餌代節約であれば、それも「残酷」です)
(ついでに、それを見せ物にしているという状況も「残酷」です)

と、いうわけで今週末もやってきました、
わたくしの「うさぎ!」コーナー
何度も言いますが、勝手に略してるので、
あんまり頼らないでね

全文が見たい方は全文を見てくださいな
雑誌「子どもと昔話」をちゃんと購入してください

小沢健二「うさぎ!」第3話(2)

(1)はこちら
----

給仕さんの中には、
謎が解けるような気持ちもありました。
それは、革命というのはこうやって起こってきたのだろう
という気持ちでした。

「革命家」とよばれる人たちの中には、残酷な支配者を倒そうと、銃を持って立ち上がった人たちがいました。

あるいは、戦争ばかり仕掛けていた国に、
もうそんなことはやめろと、
体を張って立ち上がった人たちがいました。

あるいは、核爆弾や、化学兵器による暴力を止めるには、
毎日の暮らしのなかにある、
差別や偏見の暴力から止めなければならないと、
真剣に、熱心に、あきらめずに考える人たちがいました。

そうやって、人びとは確かに、
種の保存のために、生存に適した行動を考えて、
みんなではげましあてきたようでした。

そして、生存に適さない、暴力が好きな人たちを淘汰しようと、
いつも頑張ってきたように思えるのでした。

すると、ふと、どこかの町にいたときに、
時間をつぶしに入った珈琲屋のことを思い出すのでした。

「あれは、どこの町だっけ。
 確か、灰色がどうとか、
 太った男の子と、靴を履いていない女の子が話していた。
 今度の休みの日には、あの店を探して、行ってみよう。」

この男の子と、女の子が誰だかは、もうおわかりかもしれません。



そのうさぎときららは、飛行機に乗って、
南の大陸にある、銅山の国の首都の「平和市」に
着いたところです。

きららが、大きな旅行用の竹籠をしょって、
裸足で、元気よく、平和市の目抜き通りを歩いていきます。
うさぎはその後ろから、緑色の大きなリュックサックをしょって、
履き込んだ黒い革靴を履いて、ついていきます。

二人は、久しぶりに、大好きな友達のクィルに会えるので、
うれしくて、どんどん歩いていきます。
知らない国の町についた人は、みんなが、
いつもより3割くらい速いスピードで
歩いてしまうのかもしれません。

クィルという女の子は、
うさぎやきららと同じ町に住む、
「珈琲と本・あひる社」というお店を
溜まり場にしている仲間でした。

あひる社の常連たちが、クィルの姿を見かけなくなったのは、
何週間も前のことでした。
クィルはどこに行ったの、
ときららやうさぎに尋ねた常連たちは、
あのぼさぼさの、砂色の髪の毛をした女の子は、
銅山の国にいるということを知るのでした。

「ああ、銅山の国か。
 沼の原では、もうすぐ水のことで、
 大きな動きがあるかもしれないね。」

あひる社の常連たちは、
店においてある、手づくりの雑誌や、手づくりの本を広げては、
お茶や珈琲を飲みながら、
いつもお喋りをしています。
そのせいで、大きな新聞やテレ・ヴィジョンが伝えない、
世界の人びとの動きを、
みんながよく知っているのでした。

「クィルは平和市にいるんだ。
 平和市なんて町の名前、胸が痛いよ。
 きっともともとは、違う名前で呼ばれていたのに、
 占領した人たちが、平和とか自由とか希望とか、
 土地の風景も思いつかない名前をつけた町…。」

何日かたって、クィルからあひる社に届いた手紙には、
きららの推測したとおり、
平和市という名前は、四百五十年ほど前に、
当時の大帝国からやってきた侵略者たちによってつけられたこと、
それまでは「黄金の谷」とよばれていた土地であったこと、
そこは本当に、谷を流れる川から、
黄金が採れる土地だったことなどが書かれていました。

侵略や占領は、いつも、
その土地の言葉に対する侵略や占領でもあって、
侵略された土地の言葉は、切り裂かれて、
犯されて、血祭りに上げられてしまうのだ、と続けていました。

「けれど、いのちのない名前がつけられたとしても、
 そこで子どもたちが生まれて、友だちができて、
 商店街で恋をして、病院で亡くなって、
 という風に時が流れる。
 すると、いのちのない、冷たい名前にも、
 土地の霊が、いのちを与えていくのだと思う。」

読み終わると、
最近ボトルにつめられてうられている水の名前が
気になっているのだが、ときららに話しはじめるのでした。

ああいう水のボトルには、
「天国の水」とか、
水をくみ上げた場所の自然を謳い上げるような名前がついている、
というのでした。

けれども、そんな場所なら、
休みの日にその水のくみ上げ工場に行ってきて、
「あのボトルのくみ上げ工場に行ってきた。
 いや自然がすごいのなんのって。」
という人がいるかというと、
まずいない、というのでした。

そして、どうもあの水の名前は、
知ってか知らずか、結果的に、
「水をくむためにぶち壊したものの名前」に
なっている気がする、というのでした。

つまり、天国のような自然をぶち壊してくみ上げ工場をつくったら
「天国の水」、
そしてそれと同じように、
人びとが平和に暮らしているところに攻めこんでいって、
平和をぶち壊すと「平和市」になるような気がしてならない、
まちがっていて欲しいのだが、
と言うのでした。

さて、今、きららとうさぎは、クィルが待っているはずの、
平和市の商店街の通りをめざして、歩いていきます。

平和市は、谷あいの町でした。
この町の人たちは、みんな背が小さくて、
顔には、小さな、すてきな笑顔が浮かんでいます。

その笑顔は、ただすてきなのではなくて、
なにか、秘密の合図と暗号があって、
一つの合図で、みんなが一斉に銃を持って立ち上がりそうな、
そんな、危険なすてきさなのでした。

きららとうさぎが、
目的の商店街のある通りを見つけて、角を曲がっていきます。

「あっ!」

きららが声をあげて、立ち止まります。
うさぎも、すぐ同じものを見て、

「すごいっ!」

とびっくりしています。
(つづく)
-----
おまけ
bjork "innocence"
歌詞
あまりにシンクロでびっくりですよ
人間は自分の奥を見つめれば
誰しもどこかでシンクロするのだと思う
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エリートコースどうよ

2007-05-26 15:32:39 | Weblog
エリートコースは「いっか」だと言われているが
私は「せいあん」の方がいいなあ、楽しそうだし

仕事中に先輩が
「北京オリンピックを前に反中感情を煽ろうって感じですかね」
と言っていました
正直私はあのTVで「残酷動物園」とか言われていたアレ、
行ってみたいですし、面白いと思います
何かトラ異常に飢えてねえか?ってのは置いといて
あれが動物、そしてうちらの現実でしょ?
ものを殺して食ってるって、そんなもんでしょ?
それを「残酷」とか普通に言える人の感覚が信じられませんね
(トラを飢えさせているのであれば、それは「残酷」です)
(ついでに、あれで餌代節約であれば、それも「残酷」です)

なんでもいいけど、
20世紀少年めっちゃおもしろいよ。
おもしろすぎるよ。
世界中の人があの本を読めばいいさ。
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仕事をやめたくなるとき

2007-05-25 00:21:55 | Weblog
ご存じの方も多いと思われるが
私は仕事がつらいとか
給料が安いとか
自分の時間が足りないとか
うっかり風呂に入らず道端で寝るような生活(今日)が嫌だとか
そんなくっだらねー理由でやめようなんて思わない

ましてややりたいことができるできないなんて
全然考えたこともない

もっとこき使われても平気だし
私はどんなことだって大抵やりたい
ラーメンからミサイルまで
とは
かつて商社を表した語だが
これは本当に自分の散らばった興味度合いを表すものだ

だから
あまり題名の言葉に囚われるな

ただもう少し深い意味で
疑問を持つ部分がある

たとえば偉い人とか
会社の中の人がぽろりと漏らす言葉は
確かに大切かもしれないし
調べる価値があるかもしれない

ただ権力のあるものが
真実を知っているだなんて
誰が決めたのだろうか

メディアの役割って
そんなすっぱ抜きと発表の味付けだけだろうか
しかも権力機構からの…


まぁいい
もしかしたら私の経験不足から
そのような疑問が浮かぶのかもしれないし

ただ…やはり取材方法は疑問を持たざるを得ない
仲良くして情報を教えてもらうのは
百歩譲っていいことにしよう

でもそれが取材方法って
なんか虚しくないかな
普通に自分で調べたこととかで動くなら
全然いいと思うのだけれどね
普通にその過程で人とかと仲良くなるしさ
でも逆は…

接待ってつまらないから
この世からなくなればいいのにな
酒を飲むのはそんなに楽しくない

だってあんなことをするかと思うと
そしてそれを誇りに思うなんて
つまらない将来だ
それに全然自分の力が感じられない
これだからマ◎ゴ★って言われるんだよ
正直言う人の気持ちの方がよくわかるぜ


…ちなみにクラブの存在意義も
一月半かなり真面目に仕事をしても
よくわかりません

でも、たぶんやめはしない
身分を逆手に取る、という方法もあるし
楽しいことは楽しいから
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はしかが気になって調べてみたよ

2007-05-22 22:45:50 | Weblog
私は申し訳ないくらい健康優良児なので
全然病気とかにかからない。
もちろんはしかにもかかっていない。
しかし、いくらなんでも大学でこんな一気に流行とか、
ぜったいおかしいと思った。

そこで思い出したのは、
「自分が物心ついて、しばらくは学校で予防接種受けたけど、
 ある程度以上は、確か医療機関に受けに行かないと
 受けられなかったのではないか」
ということだった。

そこで偉大なるインターネット様の力を借りて
ちょっといろいろ調べてみたところ
「予防接種法」なる法律があることが発覚した。
しかも、その法律は94年に改正されている。

94年ということは、私は10歳か9歳だ。
自分の記憶とも完璧に一致する。

これじゃ何にもわかんないので、
いったいどういう風に改正されたのか見てみることにした。

まず、日本ではいくつか
受けることを推奨されている予防接種があるらしい。

法律で勧奨されている予防接種
BCG、ポリオ、三種混合(ジフテリア/百日せき/破傷風)
二種混合(ジフテリア/破傷風)、麻しん・風しん
らしいです(東久留米医師会HPより)

ただ、予防接種被害訴訟とかけっこうあって、
全員に一律的に受けさせるのはどうか?みたいな感じになったらしい。
それで、義務検診から責務接種(受けさせるよう努めなければならない)に
変わってしまったわけ。

でも、私の生活実感から行って、
学校のないときに、できれば親もいける時間に、
どこか近くの病院を予約していくというのは
めんどくさい以外の何ものでもなかった。

ぜったい、そう思ってたのは私だけじゃないと思う。
それどころか、親が働いてる子なんて、ますます大変だったんじゃないかなあ

だけれども
いつのまにかそこで
受けさせるのは親の責任にされてしまって
きっと予防接種を忘れちゃう子とか
無視しちゃう子とか
絶対に居たはずだ

そして時間は、今、2007年になる。
はしかが大流行しているという。
NHKのニュースによれば、先週の2倍だとかいうことで。
今、私より1歳から5歳ほど年下の人といえば、
おそらく、というか絶対、
予防接種が「自己責任」になったときに
小学生くらいだったり、小さかったりした子たち

もしかしたら、今の若いお母さんたちは
そういうシステムをよくわかってるかもしれない
だから予防接種の知らせが来たら敏感かもしれない
だけれど昔は学校で受けさせてくれるものだと思ってた
だから今、15歳以上の子たちで
はしかの予防接種を受けなかった子は多いんじゃないかな

それではしかが蔓延したのがどうしてかっていう
そんなの、当たり前って言えば、当たり前だよ
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小沢健二 うさぎ!第3話

2007-05-19 17:03:33 | 実話に近い創作
先日、(略)が多すぎてわかりずらいという指摘があったので
(略)は書かないことにします。
既に略されていることは了承済みということで
文章にして行きたいと思います。

最近「神宮山美佳」という漫画にハマっています。
なんか最近つまんなくなってきたが、
はじめの方はおもしろい!(買ってません、立ち読み)

あと、誰か20世紀少年を貸してください。
絶対面白いはず。ところどころ読んでるんだけど。

というわけで、前置きが長くなりましたが、参ります。
小沢健二 うさぎ!第3話(1)
子どもと昔話 27号より
長いので2回に分けます

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このお話の頃の世界では、働く人たちは、
毎年どんどん忙しくなっていくような気がしていました。

そして、忙しくなるわりには、みんなの給料が、
毎年だんだん安くなっているような気がするのでした。

もしやと思って、統計を取ってみた学者たちは、
9割の働き手たちが手にするお金は、物価と比べると、
少なくなりつづけていることに気がつくのでした。

その一方で、およそ1万人に一人は、
ふと気がつくと6倍くらいお金持ちになっていることも
わかりました。

そして、この、ひとりぼっちでお金持ちになって行く人たちは、
お金持ちになるにつれて、
「おれたちは、競争に勝ってきた、強いものたちなのだ」
という、変な考えに取り憑かれていくのでした。

「競争の中で強いものが勝ち残り、
 弱いものは蹴落とされる。
 そして蹴落とされるのは、その人の自己責任である。」

灰色は、テレ・ヴィジョンの会社や
大きな新聞を所有する手下たちを使って、
そんなメッセージを送り込みました。

けれども、このメッセージには、
隠された、大きな仕掛けがあるのでした。

人には、動物たちや、山や、神々の痛みさえ、
「そんなもの関係ないよ」
と切り捨てるのではなく、
「自然を大切にしましょう」
とアタマで考えるのでもなく、
自分のお腹の中にある、正直な痛みとして、
「ああ、これはひどい」
と感じとる。

そんな、太古の昔までつながる、人の不思議な能力が、
「親切」という行いの源にあるようでした。

そして、その「親切」によって、
人は、まわりの者や自然と、つながっているらしいのでした。

つまり、ある人が、貧しいものなどをみて、
「ああ、見ているこっちのお腹の仲間で痛むようだ。
 どうにかしなくては。」
と思うと、手を差しのべずにはいられなくなって、
その差しのべられた手によって、
人と、まわりの者や自然が、つながっていくのでした。

そうやって人をまわりの者や自然とつなげている「親切」を、
人の心の中から追い出していくために、
灰色は、言葉をつくるのが上手い手下たちを使って、
1つの言葉をつくり上げました。

それは、「自己責任」という言葉でした。

「自己責任」という言葉を心に叩きこまれると、
人は、苦しんでいる人を見かけても、
「あそこに苦しんでいる人がいるが、
 あれは自己責任で、私が感じる必要はない苦しみだ」
と思うようでした。

ということは、
「自己責任」という考え方を人の心に叩き込むことによって、
まるで除草剤を撒くように、
雑草のように生えてくる「親切」という行いを、
根絶やしにすることができるはずでした。

けれど、人は、長いあいだ、
貧しい人や、死者や、動物たちの痛みを、
いつも感じとって、親切をして、生きてきたのでした。
その親切を失って、人がどうやって生きていくかは、
「自己責任」という言葉をつくった手下たちにも
わかりませんでした。

この手下たちは、自分たちのつくった言葉で、
人びとが右へ左へ動く様子を見るのが、
何より楽しいのでした。
そのことには、何だか異様な快感があるのでした。

さて、親切にかぎらず、灰色は、
人をまわりの者や自然とつなげてゆくものが、大嫌いでした。

「貧しい」国々でも、「豊かな」国々でも、
お金持ちたちの心こそ、念入りにあやつって、
「人がまわりの者や自然とつながっていること」を、
忘れさせなければならないと考えていました。

もし、「豊かな」彼女らや彼らが、
「生きとし生ける者は、みんなつながっている。
 それどころか、人は昔から、死んだ者たちとだってつながって、
 おなかの中で痛みを感じとって、
 助けあって生きてきた。」
と考えてしまったら…
「貧しい人や、死者や、動物への親切。
 ああ、本当に、腹が立つ!」
「人も、一人一人バラバラに切り離されて、
 人という集まりについての、
 本当の物語が、読めなくなってしまえばいい!」

そのためには、やはり、お金持ちや、
エリートたちの心から、
念を入れて、あやつるのが良いようでした。

灰色は、ひとりぼっちでおかねもちになっていく、
1万人に一人の人たちは集めては、
演説が得意な手下を使って、力強く語りかけました。

「お前たちは、勝利者なのだ!能力の高い人間なのだ!」

「豊かな」人たちは、外国語をちりばめた演説に、
熱心に聴き入っています。
それは、まるで、
あやしげな宗教にはまっている人たちの集まりのようでした。

「お前たちは、勝利者として、
 できる人間として、世界をリードしていく、
 選ばれた人間たちなのだ!」

演説をしている人は、人間の顔をしていましたが、
響いてくる声は、灰色の声なのでした。

「それが自然の法則というものなのだ。
 適者生存の法則、自然淘汰の法則といっている。
 種の保存のために、強いものだけが生き残るのだ。
 そして、お前たちが、未来をになう、強いものたちなのだ!」

熱心に聴いていたお金持ちたちから、
おそろしい音の拍手が鳴り響いて、
灰色はその様子を、満足そうに見守るのでした。

しかし、この演説が、
本当は大きなまやかしのもとに成り立っていることは、
演説を考え出した灰色自身が、一番よくわかっていました。



さて、この演説が行なわれていたホテルでは、
たくさんの人が働いていて、
その中の一人は、演説があった宴会場でお皿を片づけながら、
気味の悪い人たちの集まりだった、と思っていました。
そして帰り道に、さっき小耳にはさんだことを、
考えてみるのでした。

ダーウィンという人は、たしか
「生存に適したものが生き残る」
ということを言っていた人でした。

では人の場合、
「どういう人が生存に適しているのか?」
と考えると、どうもあの演説は、
とんでもないまやかしを語っていたような気がしてくるのでした。

気になって、ダーウィンという人の書いた本をめくってみました。
するとこの学者は、
「アリの脳は、おそらくこの世で、
 もっともすばらしいものである。
 おそらく、人間の脳よりもすばらしい。」
と記しているのでした。

それならば、そのすばらしい脳を持つアリたちが
どう生きているか、考えてみてもよさそうでした。

そこで、アリについての本をめくってみると、
驚いたことに、この星の上には、
ものすごい数のアリが住んでいて、
星に住む全部のアリの体重を足すと、
星に住む全部の人間の体重を足した重さよりも、
重いらしいのでした。

そんなにたくさんのアリたちが、この星の上で働いていて、
この星の環境を壊しているかというと、全く反対で、
アリたちが働くと、土や、他の動物たちや、植物たちの、
ためになっているのらしいのでした。

アリたちの働き方について考えてみました。
ある種類のアリたちは、
仲間から栄養分を求められると、
かならず、自分が半分消化した栄養分をあげて、
お互いを助けあって生きているらしいのでした。

少なくともアリの脳は、
「他のアリがお腹を空かせているのは、
 そのアリの自己責任」
などという考え方はしないようでした。

そうやってアリたちは、
何百万年も星と共存共栄してきたのでした。
「俺たちの数が増えすぎてしまったから、
 星の環境を壊すのが当たり前なのだ」などと、
人間たちのように開き直る様子もありません。

そんなアリの脳を、ダーウィンという人は、
「すばらしい」と言っているのでした。

そこで、給仕さんは、アリの脳が
「この世で一番すばらしいもの」
だというダーウィンの考えと、彼の言う
「適者生存の法則」「自然淘汰の法則」
を合わせて考えてみました。

ダーウィンの思う「すばらしい」方向に、
人の脳が進化したとすると、
人は、アリたちのように、
まわりの者や自然のためになって、お互いを助けあう、
そんな生き方・働き方ができるようになっていきはずでした。

そして、そんな人たちが、
お互いを助けあう気持ちのない、
まわりの者や自然につけこむことばかりに長けたひとたちを、
やっつけていく、というのが、
人にとっての、本当の「ダーウィン流の進化」
のように思えるのでした。

そうなると、
あの宴会場に集まっていた「勝利者」たちと、その一味こそ、
「種の保存」の妨げになる、
質の悪い、劣った、淘汰されるべき者たち…。
その彼らを退治していくのが、
人にとっての
「ダーウィン流の進化」…。

給仕さんは、ここまで考えると、
「いかんいかん、ひどいことを考えている。
 あの宴会場に集まった人たちは、
 まるで催眠術にかかったような眼をしていた。
 きっと、何かに取り憑かれているだけで、
 本当は他の人と、似たり寄ったりの人たちに違いない。」
と、やさしい心にもどって、家に帰ろうとするのでした。

しかし、家に帰る途中で、あの演説を思い出していると、
またまた腹が立ってくるのでした。

あの宴会場で演説をしていた人は、
「強いものが勝つのだ」
「弱肉強食が自然のおきてなのだ」と、
ライオンや虎や鷹の例をさかんにあげていました。
しかし、ライオンも虎も鷹も、みんな絶滅寸前ではありませんか。
そんな動物たちの生き方を真似してはいけません。

争いよりも協力することの得意なカモなどは、
たくさんの子どもを連れて泳いでいるのを、
世界のどこの池でも見かけるのでした。

(2)へつづきます。
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不満

2007-05-19 15:37:01 | Weblog
いや、完全に満足することなんてないけれども、
私はいままで自分の目の前にある環境に対して
延々と愚痴を言いたいとかは思ったことがない。

いや、そりゃ多少はあるけれども、
そこから逃げ出したいとかも思うけれども、
それはもうこの世の中から逃げ出したいとか言う、
そういう比較的大きな枠組みの話であるため、
その場から逃げ出したいという意味とは違う。

どこにいても、
必ずそこで学べるものはあったし
それなりに楽しいことはあった。

よく、吉野家で働いていたのが楽しくなかったんじゃないかとか
工場なんかでよく働けるねと言われたことがある。
でも、そこで自分のできなささにがっかりして逃げたくなることはあっても
そこの場所がいけないとかくだらないとかいうことを
考えたことは本当に一回もなかった。
就職活動も、くだらないとは思ったけれど、
大変だったけれど、
やっぱりそれはそれでおもしろかった。
こんなことで振り回されてる自分、ばかだなーとは思ったけど、
それはとても勉強になったと思う。

どんな世界だって、おもしろいのに。

ちなみに
「Winnyの合法利用説は「机上の空論」、ACCSが利用停止呼びかけ」
2007年5月19日(土)00:30
* INTERNET Watchより


 ファイル交換ソフト「Winny」を使って漫画雑誌をアップロードしていた会社員ら3人が、著作権法違反(公衆送信権の侵害)の疑いで京都府警に逮捕されたことを受け、コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)の久保田裕専務理事が18日、コメントを発表した。

 久保田裕氏は、「Winnyはほとんどの場合、第三者が著作権を持つゲームやコミック、音楽、映画などの著作物を無断でやりとりして悪用されている」と述べ、今回逮捕者が出たことは、Winnyによる侵害行為が蔓延する実態を改めて示したものとしている。

 なお、Winnyの利用方法をめぐっては、自分で撮った写真や自分が作詞作曲した楽曲をアップロードすることもあり得るとして、一部では正当化する意見も出ている。こうした“合法利用”については、「ACCSのファイル交換ソフト利用実態調査では、このような利用はごく少数」と反論。また、Winnyではユーザーが知らないうちに違法ファイルのキャッシュを中継する可能性があることから、「完全な合法利用とは言い切れない」との考えを示した。

 さらに、多くの人に自分の作品を知ってもらうためには、Webページやブログを使う方が合理的であるだけでなく、Winnyネットワーク上でファイルを入手するためにはファイル名で検索しなければならないため、「著名度の低いファイルが活発にやりとりされる可能性は皆無に近い」と指摘。Winnyの合法利用に関する主張については、「机上の空論と言わざるを得ない」とした。

 ACCSではWinnyユーザーに対して、「Winnyは、そのネットワークに参加した時点で違法な送信行為に『加担』している」と警告し、利用を停止するよう呼びかけている。

わかった、言いたいことはわかった。
じゃあ銃を開発して販売している人とか、
核兵器の技術を造った人や、
地雷の特許を持っている人は、
全員逮捕してください。

そういえば明日元彼にあうさ。
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風に吹かれて

2007-05-14 18:10:08 | Weblog
高円寺駅の一番前より、
中野駅の一番前の方が馴染んでいる。
でも、高円寺の一番前も結構好きで、
風に吹かれながら仲通りを見下ろすのはいい。

ある人にはある人なりに、
物事の重要性の基準がある。
その「ある人」が、年輩のかたであればあるほど、
基準には何らかの経験則が反映されていることを知っている。
だから簡単に「間違っている」という切り捨てはしたくない。

同じように、自分の価値観や直感も、
短い時間ではあるけれども、それなりの経験則に基づいている。
たとえまわりの人と完全に相入れなくても、
捨てるわけにはいかない。

全てを満足させて、認めさせるのが、
社会人のすることだと思う。

私の会社だけでなく、多くの会社の人が、
偉い人たちから話を引っ張り出すことが重要だと思っている。
確かにそれは重要だし、
不正を見付けることだって大切だ。
だけどそれだけじゃなくて、
何か大切なことをたくさん知っている人が、
この世の中にはたくさんいるはずなのに。
人が悪いことをしたとかそういうのばかりが流れていく。
どこかの会社がそのニュースをほんの少し先に流せば、
他のマスメディアも負けないようにとそのニュースを流す。
追い掛けなくてもいいはずなのに、
それこそ競争なのだと追い掛ける。
無駄な時間とお金が使われていく。

似たような人たちが集まるなかで、
似たようなことが続いていく。
その人たちの真似をしなくちゃいけないのは、
当然のことだとわかっていても、
心の中では、どこか虚しい。

他人に認められながら
自分のしたいことをするのは
なんと難しいことよ

改めてエミネムやマヤの素晴らしさを知る

私はエンターテイナーにはなりたくない。
だから自分の世界の中で、
チューニングをあわせ続けなきゃ。
たぶんこれからもずっと。
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小沢健二、うさぎ!第2話

2007-05-14 00:26:31 | 実話に近い創作
あのね、もはや著作権はどうでもいいんだよ
著作権ではなく
これは宣伝行為だと言い訳をするよ
こんなインターネット上の文章なんて
すぐ消えてしまうんだからさっさとプリントアウトするんだな

しかも改行は私の好みでやってるし
一部省略してるんだから
本当に気になる人は本文を見るんだな
売ってるものだしね

ちなみに第1話はこちら
http://ecologyofeverydaylife.org/usagi/index.html

うさぎ!第2話 小沢健二
------

(略)
おおくの人は、ふだんは靴を履いていて、
特別なときだけ、
例えば砂浜を歩くときには、裸足になるようでした。

きららは、ふだんは裸足で、たとえば重いものを運ぶときには、
足の上に落としてけがをしないように。
つま先に鉄の覆いの入った、大きなブーツを履くのでした。

足の裏は、耳や、鼻や、脳みそのように、
体の中で、特別な働きをする部分だと、きららは思っていました。
耳が音を聞いたり、鼻が匂いをかぐように、足の裏は、
地面に負けないように厚くなって、
熱さや冷たさにも強くて、きららがどこを歩いているのか、
しっかりと伝えてくれるのでした。

きららの足の裏は、馬の背中につける鞍の革のように、
りっぱに硬くなっていました。
その足で、雨のなか、
丘をのぼったり、さわやかな芝生の上を歩いたりすると、
まわりの人が、なんだか重そうな靴を履いているのが、
とてもふしぎに見えるのでした。

(略)

危ないものを踏まないように靴を履いているのだ、という人は、
ふつうの道には、本当に危ないものなんて、
めったに落ちていないことも知らないようでした。
それに、本当に危ないものが落ちていたら、
それに気がついて片づけたり、
それがどこから来たのか、調べたりした方がよさそうでした。

裸足なんて汚くて、衛生に悪いから、
とレストランの人に言われたこともありました。
けれど、きららが毎日足の裏を洗うように、
毎日靴の裏を洗っている人は、まずいないようでした。
何年も洗っていない靴の裏には、
きららの足の裏より、
ずっと恐ろしいものがはびこっているはずでした。

(略)
足だって、毎日きゅうくつな靴下をかぶせられて、
その上きゅうくつな靴に押しこめられていたら、
くさくもなるし、病気にもなるだろう、と悲しくなりました。
(略)

きららから見ると、靴を履いているたいていの人たちは、
土踏まずのばねを生かさずに、
かかとやひざや腰にショックが直接つたわる、
乱暴な歩き方をしているようでした。
(略)

きららは他の人に、裸足で歩くようにすすめたりしませんでした。
なぜかというと、まず、どんなことだって、
その人が、自分でやろうと思ってやらなければ、
意味がないのでした。

それに、裸足で歩くのが正しくても、
灰色がつくり出す社会がこんなにまちがっていては、
裸足でいるのは、たしかに難しいのでした。

それから、人には、
「まわりの人みんながやっていることは、
 正しいことにちがいない」
と、自分自身に思い込ませる性質がありました。

たとえば、みんなが毎日靴を履いて歩いているのは、
みんなが毎日ヘルメットをかぶって歩いているようなものだ、
ときららは思っていました。

けれど、もし、
みんなが毎日ヘルメットをかぶって歩いている世界があったら、
その中の一人が、
「これはもしかしたら脱いだ方がいいかもしれない」
と思うのは、とても大変なことなのでした。

(略)
灰色は、人のこの性質に注目しました。
そして、人に、
「まわりの人みんながそう言っている」と思いこませれば、
かんたんに人の心をあやつることができる、と気がつきました。

そこで、灰色は、試行錯誤のすえに、あるシステムを完成させて、
それが、たくさんの家庭に行きわたるようにしました。

それは、「テレ・ヴィジョン」と呼ばれていました。

(略)

時どき、一回も、
かかとさえ取りかえた様子のない革靴が捨ててあることがあるが、あれはひどい。

革靴は、かかとを取りかえて、靴底を取りかえて、
上の革を取りかえて、
ながく履いていくように、つくられている。
(略)

革靴は、
「この上の革は、あの靴屋のおやじがつけてくれたな」とか、
「そろそろかかとを取りかえるかな?」とか、
考えながら履くように、つくられているのだ。
そうでなければ、こういうつくりにはならない。
(略)

人は、なおす気がないのか。なおすことを、放棄しているのか。

しかし、自然は、なおすことで成り立っているのだ。
水が汚れたら、海がなおして、空にのぼって、
雨が降って、土を通って、きれいになる。
水なんか、この星にはちょっとしかないから、
なおすことができなかったら、すぐになくなってしまう。
空気だって、森がきれいになおさなかったら、
すぐになくなって、みんな窒息してしまう。

しかし、人が、なおさないで捨てているものが、
絶望するほどあるのだ。
僕はそういうものを拾って来てなおすのだが、
僕がなおす量は、木が一本、空気をきれいにするとか、
プランクトンが一匹、水をきれいにするとか、
そのくらいの量である。
毎日、ごみではないものが、どっさり「ごみ」になっている。

しかもよくみると、つくる企業のほうが、
わざと、さっさと「ごみ」になるように、
品物をデザインしているのである。
靴なんか、(略)「なおして履ける」という革靴の性質を、
わざわざ、切って捨てているのである。

(略)
どうしてこんなことになるのだろう?

うさぎの質問は、
灰色が六十年くらい前に大きな戦争が終わった後にはじめた、
「もう古いの計画」と関係がありました。
「買え、買え、もっと買え。」
灰色は、毎日、人びとの心に、ささやきはじめました。
「お前の持っているものは、もう古い。
 そんな古いものを持っていたら、馬鹿にされる。
 そんな古いものを持っていたら、貧乏くさい。
 そんな古いものを持っていたら、女の子にもてないぞ!」

灰色は、とにかく人に、
「あれはもう古い、これはもう古い」
と思わせたいのでした。
そうすれば、人はどんどんものを買って、
人がどんどんものを買えば、灰色の棲む、
「大きなお金の塊」が、
さらに大きくなるからでした。

それが灰色の、「もう古いの計画」でした。

灰色の手下たちは、たくさんの会議を開いて、
「もう古いの計画」を話し合いました。
「人がいつも、自分の持っているものはもう古い、
 と感じるように、プレッシャーをかけよう。
 そして新製品を、いつも売りつけよう。」
(略)
そんな灰色にとって、万年筆や、
靴屋のおやじがなおせる革靴は、ながく使えて、
なかなかごみにならないので、こまるのでした。
「もっとはやく、どんどんごみになるペンや、
 どんどんごみになる靴を、つくることはできないだろうか?」
灰色は考えました。

使いすてのペン、使いすての、なおすことのできない靴.
使いすての、あらゆるものが生まれました。

うさぎは、使いすてのお皿、使いすてのカメラなどは、
「狂気の沙汰」だと思っていました。
(略)

「テレ・ヴィジョン」というのは、
映像と音を流すシステムでした。
人はそれを見たり聞いたりしていると、
それが現実の一部であるような、
ふしぎな錯覚におちいって、そこに映る人を、
自分が知っている人のように思いはじめるのでした。

(略)
人には、「みんなが言っているのだから、正しいにちがいない」
と自分に思いこませる性質がありました。
そういうふうにして、テレ・ヴィジョンが流し出すものが、
そのまま、見る人たちの考えになっていくのでした。
(略)

本当のみんなの意見は、
テレ・ヴィジョンが流し出すものとは、
大きくちがっているのでした。

なぜちがってしまうかというと、
テレ・ヴィジョンの「番組」と呼ばれるものを
計画している人たちは、全員が、ある決まった、
特別な性質を持った人たちだったからでした。
(略)
彼らは、全員が、教育とか学校とかいわれるものの中で、
長い年月をすごすうちに、
ある危険な性質を身につけてきた、変わった人たちでした。

それは、
「先生が書いてほしい答えを先どりして、
 ささっとそれに従う」
という性質でした。

テレ・ヴィジョンの番組を計画している人たちは、
みんな、似たような大学を出ていました。
先生が書いてほしい答えを先どりして、
ささっとそれに従いつづけていると、
そういう大学や大学院を出ることができるのでした。

彼らは、その長い長い、従いつづける生活のために、
囚人のようなあきらめを身につけていました。
(略)
テレ・ヴィジョンの仕組みをよく知っている、
番組を計画している人たちは、
テレ・ヴィジョンから流れてくるものを。
そのまま信じることは、決してありませんでした。

それは何だか、悲しいことでした。
テレ・ヴィジョンに憧れて、
意気揚々と入った世界なのに、
仕組みを知るにつれて、
テレ・ヴィジョンの見方が変わっていくのです。
それがつらいので、彼らはこうつぶやいて、
自分をなぐさめようとしました。

「仕方がないよ」彼らは言いました。
「そういう仕組みなんだから。」

もともと、彼らは、仕組みに気がついて、
ささっとそれに従うことが、だれよりも得意な人たちなのでした。
そんな彼らが、長いあいだ従いつづけて、
せっかくついた地位でした。
しかも、今は、灰色のつくり出す、人の給料が安くなって、
どんどんまともな仕事がなくなる世の中です。
「先生」に文句を言ったり、
「先生」のご機嫌をそこなうようなニュースを流したりしたら、
クビになってしまうかもしれません。

しかし、学校はもう、とっくに卒業したのだから、
本当に先生がいるわけではありません。
この、彼らが怒られないようにしている「先生」とは、
いったいだれなのでしょう?

それは、そもそも、人なのでしょうか?

「仕方がないよ」と、彼らは言いました。
「そういう仕組みなんだから。」
(略)

灰色のつくり出す世界で、
「仕方がない」と言って、
「仕組み」に従っている人たちは、うすうす、
あることに気がついていました。

それは、自分たちのように「仕組み」に従って、
人をあやつっていた者たちは、
歴史の中で、いつも、倒されて、殺されてきたということでした。
(略)

おそろしい仕組みをつくって人びとをいじめていた者たちと、
「仕方がないよ。そういう仕組みなんだから」
と従いつづけていた者たちは、
ある日、とつぜん町の中が騒がしくなったと思うと、
次の日には、
かならずパンツ一丁で逃げまどうことになるのでした。

灰色は、その歴史を、
なるべく人びとに見せないようにしていました。
それは、あまりにも大きな、楽しさとか、喜びとか、
希望とか、優しさとか、おもしろさを、
人びとに与えてしまうからでした。
(略)

さっきまで、飛行機の中で、「いなせな男」という人が、
八十年くらい前に書いた本を読んでいた。
いなせな男は、広告業界の父として知られている。
その本は、最初のページから、こんなことを言っているのだ。

「民主主義の社会だからこそ、
 人びとの心を、軍隊をしつけるように、
 きびしくしつける必要がある。」
そして、
「そうやって、気づかれないように、
 人びとの心をあやつることが、
 民主主義の社会での、支配の仕方なのである。」と。

(略)
さて、そういう風にして生まれたシステムに、
心をきびしく、念入りにあやつられている
「豊かな」国々の人たちは、
自分たちが、人の歴史の中で、どこにいるのか、
見失っていくようでした。
(それは、とても不安なことでした。)

一方、「貧しい」国々の人たちは、
それを見失うことはありませんでした。
見失おうにも、それは毎日、目の前にあったからです。

たとえば、「貧しい」国々では、
(略)みんなでつくった、みんなのものが、
どんどん灰色に「プライヴェタイゼーション」されていました。

そのために水道料金が3倍になったり、
国がひとつ丸ごと破産して、
銀行からお金がおろせなくなったりするのでした。

そんなことが、毎日の生活に起これば、
灰色がどこから来て、何をしようとしているのか、
自分たちは人の歴史の、どの場面にいるのか、
はっきりすぎるほど見えるのでした。

プライヴェタイゼーションは、国によって、
「私有化」とか、「民営化」とか、「社会化」とか、
呼ばれていました。(略)
しかし起こることは、どの国でも同じでした。
一言で言うと、それは、
「人のことを人が決める」やり方から、
「人のことを灰色が決める」やり方になることでした。

たとえばみんなのもの、たとえば水道を、
政府が運営している場合、水道料金がどんどん上がったら、
みんなが反対して、次の選挙ですぐに、
料金をどんどんあげた大統領は、おろされてしまいます。
(略)
ところが、水道を、大きな企業が運営していたら、
水道料金がどんどん上がっても、人びとが投票で、
大きな企業の社長をおろすことはできません。(略)

政府を中心とした「民主主義」は、
したから、人びとが怒って、
やることを変えられる仕組みでした。
灰色は、そんな仕組みは、気に入らないのでした。

だから、灰色は、どこの国でも、テレ・ヴィジョンを使って、
「政府が悪い」「役人が悪い」と、キャンペーンをしました。
それを、毎日くり返して、人の心に叩きこむ必要がありました。

悪い役人は、悪い社長がいるように、どこにでもいます。
その悪い人間を、下から怒って、追い出すことができるのが、
「民主主義」のはずでした。
(略)

企業では、下から、人びとが投票することはないから、
灰色は、投票を恐れる必要がなくなるのだ。

灰色は、人びとの心をコントロールするのさえ、
めんどうくさいのだ。
下から、人びとが怒ることができる
「民主主義」「政府」なんて仕組みは、
さっさと捨ててしまいたいのだ。

(略)
その本当の意味は、
「人や生き物が住むことのできない世界を造ること」
だと気がついているのは、
「豊かな」国々では、
灰色の手下たちと、
きららやうさぎのような人たちだけのようでした。
(略)

無農薬だと、利益が上がるからといって、
輸出用の無農薬野菜をつくる大きな企業が、
どんどん畑を買って、その国の人たちが食べる野菜を
育てる畑がなくなっている国々がある。
世界の飢えている人たちの半数は、農民なのだ。
灰色のやりかたでは、農民は、生きていけないのだ。

(略)
ある国では、もし、
その土地でとれた食べ物を国の人たちが食べたら、
家庭でつかうエネルギーを、二十パーセント節約したのと
同じことになるという。

それなのにその国では、
「土地のものを食べよう」とか「食べ物の無駄をなくそう」
ではなくて、
「夏はネクタイをするな」という騒ぎになったらしい。
笑えるが、笑えない。笑ってはいけないと思う。
みんな純粋に「何かしたい」と思っているのだ。
(略)

さて、銅山の国は、「南の大陸」にあります。
南の大陸では、灰色にとって、
とてもまずいことが起こっていました。
そこでは、五百年もいじめられてきた人びとが、
それでもくじけずに、いまや、灰色に対して、
次々と勝利をおさめはじめていました。
それはまさに、潮が引いて、
大きな砂浜が浮かび上がってくるようでした。

(略)
「豊かな」国々では、南の大陸でどんなことが起こっても、
そのニュースは「クマが町に出ました」とか、
(略)そんな「ニュース」のあいだで、
よくわからないように、チラッと流されるだけでした。

「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから。」
ニュースを流す人は、そう言いながらも、
なんだか怖くなってくるのでした。

(略)

灰色は、このごろ、いやな夢を見るようになっていました。
それは、灰色が、人の耳あかのような、
甘い匂いのする町にいる夢でした。
人びとはのんびり、巻き煙草をすったり、
お茶を飲んだりしています。
その明るい町の、土の道をすすんで行くと、
向こうから一人の女の人が歩いてきて、
二つの、閃光のような眼で、灰色をぎらっと見るのでした。
そのとたん、視界が真っ白になって、
灰色は、自分が消えてしまったことがわかるのでした。

(略)
「人の社会をなおそう…。星をなおそう…。」
毛布に埋もれて、うさぎはぶつぶつつぶやいているのでした。
(つづく)
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ニュース性

2007-05-13 17:02:55 | Weblog
上司に頼まれて本仮屋ユイカを観に行った。
ネタでもサボりでもない。正式な仕事だ。

ユイカちゃんすげー可愛かった…のはどうでもいいんだ
問題はその後。

私は記事を書いた。
別にまぁ、記事にならなくてもいいと感じていて、
その後謝られて「記事にできない」と言われたときも
決して驚きはしなかった。

でも、これからも覚えておかないといけない
新しいことが生まれるのが重要なのだと
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2007-05-08 14:31:50 | Weblog
この話はどこから始まったかと言えば
わたくしがネットで会った複数人から
「意外と普通」
とか
「もっとギャルかと思ってた」
などと言われたりしたことからです

以前メインブログにしていたサイトで
私はいつも通りキモキャラで
日常よりネクラだったが
いつものわたくしを表すにはちょうどよい感じだった

そうかと思うと急にハイテンションになったり
要するに好き勝手できたブログだった
でもいつの間にか
見ているはずの知り合いに腹が立ったりしたことも
書いたりしていた

それはとてもめんどくさいことだったから凄い婉曲に書いた
しかし私に会ったことない人にとっては
妄想をかきたてる絶好の材料だったようだ

見知らぬ人の中で
別の私が作られてく

控え目に言って、私はオタク系だ
根がオタクなわけではないけれど
ネタキャラと言えるだろう
謙遜でも何でもなく美人ではない
ギャルでもない
どこにでもいる感じで背だけちょっと高い会社員だ

文字は私を無視して走っていく
でも私が弾き出した文字には変わりがない
絵柄としては様々な感触を持つ人が多いが
みんな私には違いない

ときどき見掛けより何か他のものの方が
人間の性格や本質を描き出すことがあるという
私の場合は
どうやらそれは文字だったらしい
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