ひょうたん酒場のひとりごと

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三輪山の温もり

2011年10月11日 11時20分21秒 | 日記
9日は、NPOの第8回山歩きの会、三輪山行であった。ここは前回の二上山同様、登山としてはさほど難関ではないが、何かと謂われの多い山なのである。

まずは、何と言っても山全体がご神体になっているということ。大神神社(おおみわじんじゃ)のHPでは、次のように紹介する。

〈三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山であります。古来より神の鎮まりますお山として、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と記され、大物主神(おおものぬしのかみ)の鎮まりますお山、神体山として信仰され、 三諸の神奈備(みもろのかむなび)と称されています。高さ467メートル、周囲16キロメートル、南は初瀬川(はせがわ)、北は巻向川(まきむくがわ)の2つの川によって区切られ、その面積はおよそ350ヘクタールとなっています。山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧(おの)をいれることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われています。〉

よって、氏名・住所を記入して300円を徴収されての入山ということになるわけだが、併せて厳しい入山規定に従わなければならない。入山を受け付ける境内の摂社(狭井神社)の社務所脇、登山道入り口にある〈「神体山」登拝者へのお願い〉の中には、〈厳守事項〉として、火気厳禁、カメラの撮影禁止、飲食禁止、草木等の採取禁止、等々が掲げられ、そして受付時間は午前9時から午後2時まで、さらに午後4時までには登拝口に戻り、受付時に渡される入山許可証(鈴の付いたたすき)を返却しなければならないとある。なお〈注意〉として〈山内には御手洗いはありません〉とも。つまりは入山する前にトイレは済ませておこうということなのだろう。

この何とも厳格な山内、登山(登拝)道は約4キロ。登り下り、平均するとほぼ2時間程度を要するとのことであったが、思わぬ厳しい坂道があったりして、我々は2時間20分ほどを費やした。そしてこの入山時間にしても、“2時間内には下山を”とガイドブックか何かでは目にした記憶があり、けれど戻ってから改めてパソコンを当たっていると〈3時間以内に下山しなければならない規定が定められている〉といった記述に新たに遭遇したりして、従ってこの点については特にその入山規定に触れられていなかったのでどちらが正解かは判らない。

これまた定かではないが、パソコンから得たこの山にありそうな謂われがもう1つ。〈下山以降も山中での情報を他人に話す事を慎むのがマナーでもある〉そうなのだ。

と言われてしまうと、これ以上、何も書けなくなってしまうのだが、そこはそれ、この際は寛容な大物主神であることを念じて、今少し感想を2、3。

人の手の触れることを拒む山内では、とりわけ木立(杉、松が目立った)が鬱蒼と生えているのが印象的だ。その、幹の根っ子部分が這い出し、縦横に伸びて大地にがっちりくらいついている様は年輪を感じさせていたし、そうした樹木の木肌に瞑目して両手を添え、パワーをもらっている風の若い女性の姿があったりして、自体、この山が御神体であったことを幾度か思い直させられたりもしたのである。

これも若い女性であった。裸足で登っている人を私は少なくとも3人、目にしている。一行の他のメンバーも盛んにこれを言っていたから、意外とそんな人は多いのかも知れない、と、帰路、思案を巡らしていたのだったが、案の定、これまた帰ってからのパソコンに〈三輪山に対する礼儀なのだろうか、それとも三輪山からパワーをもらうためだろうか、素足で山道を降りてくるのだ。自分たちが神域に入っていることを教えられる光景だった〉といった件(くだり)を見つけ、改めて、この山に入るに、これはかなり浸透している習慣なのかと思ったりもするのである。

確かに、一部岩場になっている個所はあるものの、概ね御神体の登拝道は、粘土質系のしっとりとした土の階段で整備され、裸足でも大丈夫、否むしろその方が登りやすいのかもしれないと思わすものがあった。そしてその在り様への踏み込みは、私にとっても、例えば母親の胎内を浮遊するのはかくなるものかといったようなある種温もり感を伴って感じられ、いっとき、何とも不思議な感覚を抱かされたのは間違いない。

ところで、三輪山はまた、あちこちにある岩石(盤座)についても語られる謂われが多いこともパソコンで教わった。ある一文の抜粋である。〈イワクラ(磐座)とはそもそも何であろうか。これについては諸説あるが、まずは大神神社元宮司の中山和敬氏の言に耳を傾けよう。「磐座はかならずしも、天然現象である岩石・巨石、またはその集群を見つけて、これを直接に畏敬し、そのものを神とするものではない。日本人は古来、そこを神座と心得、神を招き奉ってはじめて祭祀を行ない、崇拝をするのである。したがって山が高いからとか、巨石なるが故で信仰の対象としたものではない。磐座はけっして驚くほど大きいものではない。中には一個のみで威厳を備えているもの、巨石群、重なり合っているものなどがある。」〉

このようなことから、三輪山自体が御神体ということは即ち三輪山の頂上奥にある磐座こそを御神体と考えるべし、とする説もあるほどで、事実、奥津磐座(おきついわくら)と呼ばれる山内のその場所には、高さ2m級とも言われる岩が無数に点在していたのであった。

〈神が降臨される際、この山のどこかに降りられる、そういう場なのだ。三輪山には今も、奥つ磐座(いわくら)、中つ磐座、辺つ磐座と呼ばれる古岩がある。これら磐座とは、神の第一の依り代である。降臨された際、まず依られるもの(神座、かむくら)である。〉(PCからの抜粋)

今この時間、そのような然るべき由緒を知った上での登拝だったなら、さらに五感を研ぎ澄ませ、霊気を押し頂くものとなっていたのに違いない、と、後の祭り的な感想を持つにつけ、今回、事前に何の予習もせずに山登りだけを意識してしまっていたのが惜しい気がするし、残念に思われてしまう。次回以降への宿題といったところか。

因みに奥津磐座のあの岩の光景は、ハワイのかのヘイアウのそれに酷似していて、同じアニミズム信仰として共通する因子があるのかどうか、少なからぬ興味が湧いている。

(シャープ)ブンゴウ
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キーワード
アニミズム信仰
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