ひょうたん酒場のひとりごと

ひょうたん島独立国/島民のひとりごとをブログで。

今度は目、だ

2017年08月10日 16時08分31秒 | 日記
ケチのつき始めが「歯」にあって、次いで、「食道アカラシア」、そして腰痛(脊柱管狭窄症・腰椎変性すべり症)に起因する「坐骨神経痛と間欠性跛行」…。

後期高齢に至る時を待っていたかのように、怒涛のように現れ出でたる加齢を主因とする病症の数々。今度は「目」、である。

元々、軽い白内障の症状は数年前から出ており、目薬による対応で、何とかその進行を食い止めてはいた。

昨年後半、それまで通っていたN眼科(このブログでも何度か登場してもらった女性院長の眼科)が閉鎖し、同所より紹介してもらったK眼科に移った。

K眼科は設備が整い、看護師さんの数も多い。どうやら、母・子が交代で診察に当たっているようなのだが、私の場合は、通う曜日と時間帯(水・夕方)のせいか、確率的に30代半ばと思われる息子の方に診てもらうケースが多い。

この息子。問診でおかしいと思ったら、その充実した設備を活かしてすぐに検査に入る。診断もきっと的確なのだろうが、とにかく手を打つ行動力だけは文句なく速い。

こうした素早い検査によって(もっとも発端は、問診時の「お変わりありませんか」の問いに、「最近ちょっと左目が見え難くなっている」との、私の自己申告にあった)、私の左目に“異常”が発見されたのが昨年末。眼底に水が溜まっているとのこと。

その時点での診立ては、これは加齢とストレスから起こるケースが多く、当面薬治療で様子を見よう、というもの。それでよくならなければ、大きな病院でのレーサー治療になる、との見通しも、一応、聞くことは聞いていた。

年が改まって2月初旬、その後の経過の診察。まだ水が完全に払底されてはいないが、前回よりは改善の余地が見られるとの由。以て、なお薬治療を継続することに。

そして4月。この時は、私と同年代、70歳前後と思われる母親の方の診察を受けたのだが、依然として、水は残ったまま。やはりレーザー治療を念頭に入れた方がいいかも、との進言を受けるも、一時期、よくなる気配もあったことだし、もう少し薬で様子を見たい、と私。

さらに5月下旬。これも、母親の診察だったが、「ここでもう一度、眼底検査をやる」と。

この眼底検査なるもの。初回は何でもなかったのだが、実は、2月、2回目の時には検査のために射す瞳孔を開く目薬にアレルギー反応を起こし、1週間ほど、視覚が朧加減。新聞の文字が殆ど読み取れない状態が続き、これに対処する目薬を調達してもらわなければならないという、酷い目にあっていたのだった。

この日、母親に、「でも先生、この前の眼底検査の時…」と私が言い出すまでもなく、母親は「そう、そう、大変な目にあってたのね」とカルテを括りながら言い、「でも大丈夫、別なやり方がるから」と、とりあえず、前回の手法は回避しての検査を実施した。

「やっぱり、水が引いてない。レーザー治療を考えた方がいいかも。聞いていると思うけど、それはうちでは出来ないから、他の大きな病院でやることになるけど。その前に治療の必要があるかどうかの検査をやることになります」。母親は検査結果のフィルムを見ながら言ってきたのだ。

これに対して、「やっぱり、薬では無理ですかね」と、可能ならば大袈裟な事態になることを避けたい私。「ええ、最初からだとかれこれ半年なるから。ストレスだけだったら、薬で何とか治まるんだけれど、そんなに長く飲むわけにもいかないし。他に原因があるかもしれないから。」

「あとひと月分の薬を出しておくので、その気になったらいつでも連絡してください。わざわざ来なくても電話でも結構ですから。すぐに紹介状を書きます」。即答しかねて、ぐずぐずしているこちらに母親はそう言ってきたのだった。

その最後の飲み薬が切れた6月、私は渋々ながら、紹介状をよろしくお願いします、と依頼した。応接してくれたのは息子の方。

「大きな病院」は、息子が紹介しようとしてくれていたO市大病院ではなく、鶴橋のN病院を指定している。「ここでなら、以前、2回ほど同じく目の手術、脂肪の摘出をしたことがあるから」と。

このような、地元でのやり取り、経緯を経て、7月は20日と24日の両日に亘り、N病院へ。とりわけ24日はより本格的な検査、「蛍光眼底造影」なるものを受けるのだが、この検査がまた、かのMRIを受けたのに似て、私には艱難辛苦の荒行・苦行そのものであったのだ。

K眼科からもらったパンフレットには、その検査についてこう記されている。〈蛍光色素を含んだ造影剤を腕の静脈から注射し、眼底カメラで眼底の異常を検査します。新生血管や、新生血管からもれた血液がどこに存在ずるのかがよくわかります〉というものだが、ここで検査の対象となっているのが、カメラに喩えると、レンズの水晶体に対して、フィルムとされる網膜だ。

つまりこの網膜がどのようになっているのかの検査なのだが、それに要した4分超、発せられる強烈な白色光をまんじりともせずに凝視し続けることを強要され、それに必要とする胆力が並大抵のものではなかったのだ。

しかも、肝心要の事が、手続き上抜け落ちていた。つまりこの検査にも、例の瞳孔を開く目薬が使用されるのだが、それが曖昧なままに、当たり前のように施されてしまったのだ。

これは総ての検査が終え、終わった後も、目が充血してちかちかする、あのアレルギー反応の症状が現れて来ていることを以て、今さらの如く気付くのだ。

因みに、これについてはその3日後、またまたK眼科に行って、対応する目薬を調達してもらう羽目になるのだったが、その時点で診てくれた息子が、自分の書いた紹介状の中に記入するのを忘れた、ということを以て、一連の原因が判明する。

「ごめん、ごめん」としきりに恐縮がる息子を前に、何ともいやはや、の思い。N病院で、事前にそれを告げなかった私にも責任があると言えば、言えたことではあったろう。

そして、そうした非情な、苦難に満ちた検査を終え、告げられた病名が、ストレスによる水溜りなどではなく、「加齢黄斑(おうはん)変性」というもの。そしてその症状は…。

〈黄斑は、網膜の中でも視力をつかさどる重要な細胞が集中している中心部で、ものの形、大きさ、色、奥ゆき、距離などの光の情報の大半を識別しています。この部分に異常が発生すると、視力の低下をきたします。また黄斑の中心部には中心窩という最も重要な部分があり、この部分に異常をきたすと、視力の低下がさらに深刻になります〉

のみならず、〈米国をはじめとする欧米先進国においては成人(特に50歳以上)の中途失明の主要な原因となっています〉と、極めて深刻なのである。

N病院で担当してくれたのは30代半ばと思われる女医さん。病名を告げるのと同時に、「注射しかありません。それも3回ぐらい。1カ月置きぐらいにやっていきます。その後、経過を見て、必要ならさらに続けることになります。費用は1回15万円、保険3割適用で、5万円の負担となります。よく検討してきてください」と、その治療方針についててきぱきと説明してくるのであった。

目に注射って?どういう風に?しかも3カ月連続で?1回5万円?…たかが目のこと、といった軽い気持ちに水をかけれたようで、一瞬戸惑い、「このまま放置していたらどうなりますか」と、思わず訊いていた。

「失明になるということはないでしょうけど、確実に見えなくなっていきます」。女医さん、自らの診断に疑念を抱かれたとでも思ったのか、少々憮然としながらも、答えには澱みがなかった。

戻って、K眼科に報告に行った。息子は「注射というのだからその方針に従った方がいいでしょう」。

また女房が。かかりつけの医院(いつものA診療所)に、自分の診断に行った折にこの一件を話したらしく、「A先生は、あれ(加齢黄斑変性)は、甘く見ない方がいいと言ってたわよ」と。

この2つの医師の判断・言葉で心は決まった。この21日にN病院に行く予定になっている。女医さんには、おとなしく、「方針に従います」と言う心算でいる。

(シャープ)ブンゴウ
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 絵本”作家”への手紙 | トップ | 続・今度は目、だ »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事