義父と義母の相次ぐ死により、あったことさえ嘘だったような年末年始も過ぎ、気が付けば2月である。昨日(4日)、その両者の満中陰、即ち49日の儀式が行われた。厳密には、義父の49日であり、義母の35日日だったのだが、「このような事情なら、併せてやった方がいいでしょう」という、義母の初七日の折の僧の言に従った。
満中陰。ウイキペディアによると次のように記載されている。〈中陰、中有とは仏教で人が死んでからの49日間を指す。死者があの世へ旅発つ期間。発祥地であるインド仏教においては、臨終の日(命日)を含めて7日ごと、7週に亘り法要を行っていた。輪廻の思想により、人の没後49日目に、次の六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まると考えられていたからである。この、元の生と次の生との中間的な存在である49日間の状態を中陰、もしくは中有と呼んでいた。〉
〈それが日本に伝わり、宗旨によって考え方はさまざまであるが、人は死後、魂を清めて仏になるために中陰の道を歩きあの世を目指す。その所々に審判の門があり、生前の罪が裁かれる。罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が法要を行い、お経の声が審判官(閻魔様?)に届けば赦される。それが7日毎に行う法要である。〉
因みに、次の生の六道とは、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道、のことだという。
我々はこの49日(35日)の間、仏壇の前に設けた二人の真新しい祭壇に向かって、膳を捧げ、花を祀り、線香をくゆらせ続けたのだったが、それはつまり、二人のあの世を目指すのに力を与え、かつ六道のいい世界に辿り着くことのお手伝いをしたということだったらしい。
これを、件の住職の言葉だと次のようになる。
「仏教の世界では輪廻転生という言葉があって、死者の魂は甦るとされる。そして次の世にも生まれ出て、但し、その時、人間に生まれてくるとは限らない。動物や昆虫などかも知れず、これを怖れたお釈迦様がそういう世界から逃れるために経を唱え、修行を重ねた。そしてその輪廻を絶った別世界、即ちあの世をつくり上げた。そこでなら、最早輪廻の苦しみに惑わされることもなく、安心して暮らすことが出来る。死者はお釈迦様の弟子になって、釈迦と一緒に修行を重ねることで、永遠に安寧を保つことが出来る。そして身内が自分と同じこの世界にやって来るのを待っている。」
「だからこの49日というのは、遺族にとっては故人が無事あの世に行けるように支える期間だったし、この世で故人の遺したものを感じ、後世に伝えることを決意する期間でもあった。」
話された言葉は異なるが、概要そのようなことだったと思う。そして、そのように噛んで含めるように言ってもらったこの儀式の意味合いが、私には初めてすとんと腑に落ちた気がしたものである。“それなら、もっと力を込めて、線香を燃やして上げればよかった”と若干の反省を込めて、ではあったが。
ともかくも、「これでお二人は、別世界でお釈迦様の弟子になって、日々修行を積むことになりました。これからはお二人の祭壇は取り除き、他の先祖様と一緒の仏壇に納めて祈って下さい」という、住職のお墨付きをもらうに至って、女房共々、やっと精神的にも落ち着きを取り戻せたような気がしたから不思議である。無意識のうちに仏の功徳を享受していたのかも知れなかった。
ところで、今回の法要は、寺と自宅、「どちらででも」と言われたので、ご住職の寺の方で執り行ってもらった。寺は、話を聞いていただけで行ったことがなく、一度、是非見てみたかったからでもある。
以前にも「高野山詣で」でこのブログに書いたことのある、ご住職と、そしてその寺なのだが、私の家からだと車で20分くらいの距離だ。行ってみると、学研都市のすぐ近く、でも周辺一帯にはまだ田んぼなどがあり、かつ茶筅の里がふれこみの、里山の風景が色濃く残っている所であった。
1200年もの伝統のある東大寺系のお寺、そしてご住職が15代目という由緒正しき寺院の全容は、鬱蒼と茂る樹木に覆われるようにしてあった。我々の法要が行われたのは、その境内に檀家衆の浄財によって8年前に建てられたという立派な「光龍閣」と名付けられた仏殿においてである。
その殿の、入った正面に設けられた一部には、檀家から預かっているという無数の位牌が並ぶ。まさにそれだけの数の魂がここに詰まっているようにも思われ、それらは常時、お寺とこのご住職によって大事に庇護され続けられているわけなのだが、そうして子々孫々、永代に亘って営まれる地域社会におけるお寺の行為と、一方でそれを尊崇する檀家・地域民との関係は濃密で、そこにある手放しの信頼関係とでも言ったものが解りかけてきたような気がしたのもまた、今回の満中陰ではあった。
そこに何とも言えず、安らぎが感じられたのである。
(シャープ)ブンゴウ
満中陰。ウイキペディアによると次のように記載されている。〈中陰、中有とは仏教で人が死んでからの49日間を指す。死者があの世へ旅発つ期間。発祥地であるインド仏教においては、臨終の日(命日)を含めて7日ごと、7週に亘り法要を行っていた。輪廻の思想により、人の没後49日目に、次の六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まると考えられていたからである。この、元の生と次の生との中間的な存在である49日間の状態を中陰、もしくは中有と呼んでいた。〉
〈それが日本に伝わり、宗旨によって考え方はさまざまであるが、人は死後、魂を清めて仏になるために中陰の道を歩きあの世を目指す。その所々に審判の門があり、生前の罪が裁かれる。罪が重いと魂を清めるため地獄に落とされるが、遺族が法要を行い、お経の声が審判官(閻魔様?)に届けば赦される。それが7日毎に行う法要である。〉
因みに、次の生の六道とは、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道、のことだという。
我々はこの49日(35日)の間、仏壇の前に設けた二人の真新しい祭壇に向かって、膳を捧げ、花を祀り、線香をくゆらせ続けたのだったが、それはつまり、二人のあの世を目指すのに力を与え、かつ六道のいい世界に辿り着くことのお手伝いをしたということだったらしい。
これを、件の住職の言葉だと次のようになる。
「仏教の世界では輪廻転生という言葉があって、死者の魂は甦るとされる。そして次の世にも生まれ出て、但し、その時、人間に生まれてくるとは限らない。動物や昆虫などかも知れず、これを怖れたお釈迦様がそういう世界から逃れるために経を唱え、修行を重ねた。そしてその輪廻を絶った別世界、即ちあの世をつくり上げた。そこでなら、最早輪廻の苦しみに惑わされることもなく、安心して暮らすことが出来る。死者はお釈迦様の弟子になって、釈迦と一緒に修行を重ねることで、永遠に安寧を保つことが出来る。そして身内が自分と同じこの世界にやって来るのを待っている。」
「だからこの49日というのは、遺族にとっては故人が無事あの世に行けるように支える期間だったし、この世で故人の遺したものを感じ、後世に伝えることを決意する期間でもあった。」
話された言葉は異なるが、概要そのようなことだったと思う。そして、そのように噛んで含めるように言ってもらったこの儀式の意味合いが、私には初めてすとんと腑に落ちた気がしたものである。“それなら、もっと力を込めて、線香を燃やして上げればよかった”と若干の反省を込めて、ではあったが。
ともかくも、「これでお二人は、別世界でお釈迦様の弟子になって、日々修行を積むことになりました。これからはお二人の祭壇は取り除き、他の先祖様と一緒の仏壇に納めて祈って下さい」という、住職のお墨付きをもらうに至って、女房共々、やっと精神的にも落ち着きを取り戻せたような気がしたから不思議である。無意識のうちに仏の功徳を享受していたのかも知れなかった。
ところで、今回の法要は、寺と自宅、「どちらででも」と言われたので、ご住職の寺の方で執り行ってもらった。寺は、話を聞いていただけで行ったことがなく、一度、是非見てみたかったからでもある。
以前にも「高野山詣で」でこのブログに書いたことのある、ご住職と、そしてその寺なのだが、私の家からだと車で20分くらいの距離だ。行ってみると、学研都市のすぐ近く、でも周辺一帯にはまだ田んぼなどがあり、かつ茶筅の里がふれこみの、里山の風景が色濃く残っている所であった。
1200年もの伝統のある東大寺系のお寺、そしてご住職が15代目という由緒正しき寺院の全容は、鬱蒼と茂る樹木に覆われるようにしてあった。我々の法要が行われたのは、その境内に檀家衆の浄財によって8年前に建てられたという立派な「光龍閣」と名付けられた仏殿においてである。
その殿の、入った正面に設けられた一部には、檀家から預かっているという無数の位牌が並ぶ。まさにそれだけの数の魂がここに詰まっているようにも思われ、それらは常時、お寺とこのご住職によって大事に庇護され続けられているわけなのだが、そうして子々孫々、永代に亘って営まれる地域社会におけるお寺の行為と、一方でそれを尊崇する檀家・地域民との関係は濃密で、そこにある手放しの信頼関係とでも言ったものが解りかけてきたような気がしたのもまた、今回の満中陰ではあった。
そこに何とも言えず、安らぎが感じられたのである。
(シャープ)ブンゴウ
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