教職員にみなさんへ、呼びかけ人の一人として苦情申出を呼びかけます。
苦情申出のリミットは4月14日です。それまでに電話1本で意思表示さえすればOKです。この忙しい時にそんなことやっている暇ないとお考えのみなさん、それこそが府教委のねらいです。電話だけしておいて、受付はこちら側の都合で設定させましょう。何度かすっぽかすのも手かもしれません。苦情申出書を書く時間を保障させましょう。といっても、申出書は「育成されていない」と一言書くだけでもOKだと思いますが。苦情申出数を増やし、審査結果を出させるのを今年度より大幅に遅らせましょう。
苦情申出は評価育成システムと闘う上で戦略的に有効です。ただし、数がそろわないと望む効果も得られません。どうか、執行委員はむろんのこと、多くの支部組合委員のみなさん「苦情申出」をして、もう一歩積極的にシステムに異議申し立てを行いましょう。
小考 「自己申告票不提出」と「苦情申出」は矛盾するか?
昨年度、苦情申出をするにあたって、自分の中で折り合いをつけなければならなかったことは、システムに反対として「不提出」を示しながら、そのシステムの結果について「苦情申出」をして整合性があるのかという点でした。
そのことについて私が出した結論は、いかにシステムに反対であろうが、現実に作動しているシステムによって不当な評価、すわなち日の君を理由とする低い評価を受けたからには異議申し立てする必要がある、「苦情申出」いわば向こうの土俵に上がって闘うこともその一つであり、システム反対とは矛盾しないというものでした。
しかし、校長からは「システムに反対の意思表示として自己申告票を提出しないというのなら、そのシステムの結果について苦情申出するというのはおかしいのでないか」と再三にわたって言われました。
今回呼びかけ人から府下の教職員のみなさんに「苦情申出」を呼びかけているわけですが、おそらく多くの人が持たれるであろう二つの疑問点について私なりに説明してみたいと思います。
ひとつ目は、先に挙げた、「不提出」と「苦情申出」の問題です。府教委にとって最も打撃となるのは「不提出」です。なぜならそれは直裁にシステム反対を示すことになるからです。「不提出」をいかに減らすかが府教委側の課題であり、逆に、反対する側からはこれをいかに増やすかが武器になります。しかし、現状では、そしてこれから先は現状以上に、「不提出」の数を増やしていくのは難しいと思っています。
それならば、「不提出」の次にシステム反対の意思表示の戦術として「苦情申出」を使ってはどうかというのが今回の呼びかけです。評価結果やその理由のいかんに関わらず「苦情申出」を行うことになります。そしてそれは多いに越したことはありません。たとえて言うと、「不提出」が、その不正な試合には参加しないよという声ならば、「苦情申出」は、試合に参加して不正さを暴露していくことになります。
勝つために試合に参加するのではなく、審判や観客にこの試合のおかしさを訴えるために参加するわけです。現況では、「不提出」は、いいよ、それなら君たちは出場しなくて、ぼくらだけでやるから、そのかわり君たちにはパンはやらないよ、これは試合に出た人たちだけがもらえるものなんだからと、(この点は後の裁判闘争で争うことになるでしょうが)いいようにあしらわれているのに対し、「苦情提出」は、試合に参加し、積極的に不服を唱えるわけです。だいたいルールがおかしんだよ。このルールにしたがってやれなんて言う方が無理なんだよ、という風に、試合に参加した以上当然主張する権利が得られます。試合中断まで行かなくとも、タイムを取らせて審判に説明を求めたり、主催者側に、またかよと思わせることぐらいはできそうです。
そして、ここで得た言質や状況をもって、だから僕たちは最初からこんな試合には出られないと言っていたんだと、後の裁判にも役立つ材料を集めることができると言う次第です。したがって、「不提出」も「苦情申出」もシステム反対の戦術として行う以上なんら矛盾するものではないということです。どこかの組合のように「苦情申出」することによって、次年度高い評価を勝ち取る闘いとは似て非なるものといえましょう。
二つ目は、どのような苦情をなぜ申出るかという点です。
一作年度私は「B」でほっとしました。「苦情申出」など考えも及びませんでした。そして昨年度私は「C」にショックを受けたのです。理由以前に。そして「日の君」による低い評価は不当であると苦情申出を行ったわけですが、以降の展開の中で、「苦情申出」をすることによって、このシステム自体の問題点を浮かび上がらせることができたと思っています。ゆえに、今、「苦情申出」を呼びかけているのは、「低い」すなわち不当な評価に対し「苦情申出」を呼びかけているのではなく、むろんそれも当然すべきことだと思っていますが、それ以上にシステムの本性を暴露する、またシステムに揺さぶりをかけることが目的です。したがって、「S」であろうが、「A」であろうが、是非とも「苦情申出」を行ってください。この場合、人事考課という側面からは難しいので、相手の主張を逆手にとって「育成」の観点からの苦情ということになるでしょう。府教委は「苦情申出」で受け付けるのは、「評価結果とその理由であって、システムの苦情は受け付けない」としていますが、今回呼びかけている「苦情申出」はシステムそのものが問題(攻撃すべき敵)と言えます。直接的にシステムに対する苦情を提起することは困難ですが、間接的または婉曲的に訴えることはできます。要するに、評価結果に至る公平公正なプロセスを敵は絶対に示すことができないわけですから、結果に至るプロセスに対しては全ての人が苦情を申出できることになります。そしてそれは少なくともシステムの傭兵(向畦地氏や阪辻氏ら事務局はほんの数名)をてこずらせることになるでしょうし、また、裁判闘争のネタを仕入れるスーパーマーケットとも思われます。
以上、「不提出」の闘いと平行して、いやもう一歩積極的な、システムに対する異議申し立てとして「苦情申出」はやってみる値打ちがあると考える次第です。
苦情申出のリミットは4月14日です。それまでに電話1本で意思表示さえすればOKです。この忙しい時にそんなことやっている暇ないとお考えのみなさん、それこそが府教委のねらいです。電話だけしておいて、受付はこちら側の都合で設定させましょう。何度かすっぽかすのも手かもしれません。苦情申出書を書く時間を保障させましょう。といっても、申出書は「育成されていない」と一言書くだけでもOKだと思いますが。苦情申出数を増やし、審査結果を出させるのを今年度より大幅に遅らせましょう。
苦情申出は評価育成システムと闘う上で戦略的に有効です。ただし、数がそろわないと望む効果も得られません。どうか、執行委員はむろんのこと、多くの支部組合委員のみなさん「苦情申出」をして、もう一歩積極的にシステムに異議申し立てを行いましょう。
小考 「自己申告票不提出」と「苦情申出」は矛盾するか?
昨年度、苦情申出をするにあたって、自分の中で折り合いをつけなければならなかったことは、システムに反対として「不提出」を示しながら、そのシステムの結果について「苦情申出」をして整合性があるのかという点でした。
そのことについて私が出した結論は、いかにシステムに反対であろうが、現実に作動しているシステムによって不当な評価、すわなち日の君を理由とする低い評価を受けたからには異議申し立てする必要がある、「苦情申出」いわば向こうの土俵に上がって闘うこともその一つであり、システム反対とは矛盾しないというものでした。
しかし、校長からは「システムに反対の意思表示として自己申告票を提出しないというのなら、そのシステムの結果について苦情申出するというのはおかしいのでないか」と再三にわたって言われました。
今回呼びかけ人から府下の教職員のみなさんに「苦情申出」を呼びかけているわけですが、おそらく多くの人が持たれるであろう二つの疑問点について私なりに説明してみたいと思います。
ひとつ目は、先に挙げた、「不提出」と「苦情申出」の問題です。府教委にとって最も打撃となるのは「不提出」です。なぜならそれは直裁にシステム反対を示すことになるからです。「不提出」をいかに減らすかが府教委側の課題であり、逆に、反対する側からはこれをいかに増やすかが武器になります。しかし、現状では、そしてこれから先は現状以上に、「不提出」の数を増やしていくのは難しいと思っています。
それならば、「不提出」の次にシステム反対の意思表示の戦術として「苦情申出」を使ってはどうかというのが今回の呼びかけです。評価結果やその理由のいかんに関わらず「苦情申出」を行うことになります。そしてそれは多いに越したことはありません。たとえて言うと、「不提出」が、その不正な試合には参加しないよという声ならば、「苦情申出」は、試合に参加して不正さを暴露していくことになります。
勝つために試合に参加するのではなく、審判や観客にこの試合のおかしさを訴えるために参加するわけです。現況では、「不提出」は、いいよ、それなら君たちは出場しなくて、ぼくらだけでやるから、そのかわり君たちにはパンはやらないよ、これは試合に出た人たちだけがもらえるものなんだからと、(この点は後の裁判闘争で争うことになるでしょうが)いいようにあしらわれているのに対し、「苦情提出」は、試合に参加し、積極的に不服を唱えるわけです。だいたいルールがおかしんだよ。このルールにしたがってやれなんて言う方が無理なんだよ、という風に、試合に参加した以上当然主張する権利が得られます。試合中断まで行かなくとも、タイムを取らせて審判に説明を求めたり、主催者側に、またかよと思わせることぐらいはできそうです。
そして、ここで得た言質や状況をもって、だから僕たちは最初からこんな試合には出られないと言っていたんだと、後の裁判にも役立つ材料を集めることができると言う次第です。したがって、「不提出」も「苦情申出」もシステム反対の戦術として行う以上なんら矛盾するものではないということです。どこかの組合のように「苦情申出」することによって、次年度高い評価を勝ち取る闘いとは似て非なるものといえましょう。
二つ目は、どのような苦情をなぜ申出るかという点です。
一作年度私は「B」でほっとしました。「苦情申出」など考えも及びませんでした。そして昨年度私は「C」にショックを受けたのです。理由以前に。そして「日の君」による低い評価は不当であると苦情申出を行ったわけですが、以降の展開の中で、「苦情申出」をすることによって、このシステム自体の問題点を浮かび上がらせることができたと思っています。ゆえに、今、「苦情申出」を呼びかけているのは、「低い」すなわち不当な評価に対し「苦情申出」を呼びかけているのではなく、むろんそれも当然すべきことだと思っていますが、それ以上にシステムの本性を暴露する、またシステムに揺さぶりをかけることが目的です。したがって、「S」であろうが、「A」であろうが、是非とも「苦情申出」を行ってください。この場合、人事考課という側面からは難しいので、相手の主張を逆手にとって「育成」の観点からの苦情ということになるでしょう。府教委は「苦情申出」で受け付けるのは、「評価結果とその理由であって、システムの苦情は受け付けない」としていますが、今回呼びかけている「苦情申出」はシステムそのものが問題(攻撃すべき敵)と言えます。直接的にシステムに対する苦情を提起することは困難ですが、間接的または婉曲的に訴えることはできます。要するに、評価結果に至る公平公正なプロセスを敵は絶対に示すことができないわけですから、結果に至るプロセスに対しては全ての人が苦情を申出できることになります。そしてそれは少なくともシステムの傭兵(向畦地氏や阪辻氏ら事務局はほんの数名)をてこずらせることになるでしょうし、また、裁判闘争のネタを仕入れるスーパーマーケットとも思われます。
以上、「不提出」の闘いと平行して、いやもう一歩積極的な、システムに対する異議申し立てとして「苦情申出」はやってみる値打ちがあると考える次第です。