屋久島発、兵頭昌明の四方談義

'60年代から島の自然保護に関わってきた書き手が、日々変化する屋久島の今を、ローカルな視点から綴る

新年のごあいさつ

2017-01-01 16:25:49 | Weblog
  季節は廻るものと思っていましたが、実は通り過ぎていたのだと、自覚させられる後期高齢者となりました。

  この期におよんでの気がかりがふたつ。
  四年後に制定百年を迎える「屋久島憲法(屋久島国有林経営の大綱)」。ここに記された「前岳の部分七千町歩につき、特別作業級を設け、この地域については、特に地元住民の利益となるべき取り扱いをなすこと」。形骸化した国との約束を再認識し、先人が命がけでつかみ取った権利を、再び島民の手に取り戻すのです。
  また、校舎の老朽化と児童数の減少から、十年後に浮上するであろう「一湊小学校廃校」を引き金とする「消滅集落」回避策の確立です。
  このふたつの命題の解決の糸口づくりをやり遂げ、後に続く人たちへ悔いが残らないよう、我が人生をまっとうしたいと念じております。
  しばらくのおつきあいをお願い申し上げ、新年のごあいさつといたします。

「学び」という観光

2014-02-01 16:06:45 | Weblog
  かっては「木材供給の島」として脚光を浴びた屋久島は、近年「観光の島」ともてはやされています。
  ひとくちに「観光」といっても、癒し、学び、信仰、エコ、多種多様な試みがなされています。幼児学級やスポーツ少年団、私設文庫、中学生の交換ホームステイ、山ん学校と称した林間学校、屋久島高校の同窓会、長年、様々な現場にかかわってきました。気がつけば、幼児学級は次々に消え、島に8校あった中学校は統合されて3校になりました。
  この現実の中にあって、屋久島観光のキーワードに「学び」が登場することに違和感を覚えるのは私だけでしょうか?
  上屋久町、屋久町の合併を控え、駆け込みで永田、一湊、宮之浦、小瀬田中学校を統合したことは、屋久島の教育における失政といわざるを得ません。
  財政的見地から、教育予算の縮小を否定するのではありません。予見される事態への対処法が表層的でないかと思うのです。
  観光が「光を観る」ことであるのならば、そこに暮らす私たちが光を浴び、互いを照らし合いましょう。

矢筈岬の鹿

2013-11-16 14:15:21 | Weblog
  屋久島の最北端、東シナ海に突き出したふたつの頂の連なる岬があり、その形から「矢筈(やはず)岬」と呼ばれています。
  この岬には自然の洞窟を利用した神社「八幡様」が祀られ、古くから信仰の対象となってきました。岬の突端には一湊灯台がそびえています。
  北に伸びる地形から、西風の時は東側、東風の時は西側が穏やかで、文献で確認できるだけでも、遣唐使船の時代から風待ちの良港として利用されてきたといわれています。
  岬の付け根、島を一周する県道から先端へ向けて車道と歩道が整備され、八幡様への参詣道、灯台の管理道などに利用されてきました。
  かつて、東側は定置網の漁場として飛魚漁の漁場でもありました。魚付き林が整備保護され、一湊にとって豊かな恵みをもたらす湾でした。
  近年、この地の荒廃が目に見えて進んでいます。下草が枯れ、灌木が枯れ、薄い表土が流出し、崖が崩れはじめたのです。
  そして、この現象の一因は鹿の食害と断定され、駆除がはじまりました。

  その昔、この岬で鹿を見かけることはありませんでした。昭和50年代、観光客誘致のため、硫黄島でヤマハが放置した孔雀を引き取り、猿とともに檻に入れて飼いはじめたことがきっかけです。数年でこの施設が管理放棄され、矢筈岬で鹿や猿が増えはじめました。
  度々行われる有害駆除、一日で30頭あまりが射殺され、ほとんどが埋設されているといわれますが、天から降るのか地から湧くのか、ひと月もすると林は鹿であふれ、林の荒廃は止まりません。有害獣駆除、崩れた崖のコンクリート吹き付け、いつ果てるともない悪循環を観ていると、この島の縮図そのもののように思えてくるのです。

不思議な公衆トイレ

2013-11-15 13:48:36 | Weblog
  この夏、半身不随の妻と島を一周するドライブに出かけました。
  事前に、身障者用トイレ、利用しやすい飲食店を調べて出発。順調に半周して、湯泊と中間集落の間に設けられた身障者用公衆トイレを利用しようと近づくと、入口に巨大な石が据えられ、車を寄せられないようになっている。健常者にとって何でもない距離ですが、妻にとってははるかなる道のり。
  さらに、日没に合わせ、永田のいなか浜を目指しました。ここには、新設されたばかりの立派な身障者用公衆トイレがあったはず。
  ところが、である。
  入口には鍵。なんということか、17~20時に施錠されてしまうトイレだったのです。20時~は亀の産卵を見学する観光客のために開放するらしい。
  これが、「観光を柱に」と謳う島の現実です。
  島の玄関口、宮之浦港入口の環境文化村センターも然り。
  エントランスから最も近い駐車スペースには、いつもセンターの公用車が鎮座し、障がい者用の駐車スペースははるか遠く。
  これが、身障者を抱える身となって初めて見えた島の景色なのです。

その時を待つ「月刊くだかけ」より

2013-01-11 13:35:01 | Weblog
その時を待つ


 「今夜のトッピョ(飛魚)はオワンロ(大湾戸)やろ!」
  夕方から各入り江の魚影を見回る魚見の人が、メガホンで集落に周知して歩く。
  深夜、エンジン付きの親船が、二艘の手漕ぎの船を曳航して伝えられた浦を目指す。
  手漕ぎ船には、網を引く水夫が五、六名、潜(す)み手が一名、網を入れる場所と時間を決める表立ちといわれるベテランが一名、乗り込む。表立ちは、島の入江の海底を熟知しており、飛魚がどこに産卵し、どのルートをたどって沖へ向かうかを瞬時に判断するのである。
  飛魚の雌は、入江の奥の海底の藻に産卵し、終わると海面近くに浮上する。雄がこれにすかさず射精し、水中はたちまち白濁する。漁師はこれを飛魚が「にごりをうつ」と呼ぶ。
  入江の手口で待つ間は、話し声やタバコも禁じられ、息を殺してみなじっとしているのでした。
  次に飛魚は沖を目指していっせいに動き出す。飛魚が海底を離れ、浮上する瞬間、魚見船から合図の灯火が振られる。朝日が昇りはじめるまでのわずか一時間あまり、群れをなした飛魚は真っ黒な魚影となって入江の出口を目指す。
  このとき、一〇〇艘あまりの漁船が、我先に網を入れはじめるのだ。
  飛魚が入りやすいように、二艘の船で目一杯に間隔を空けて、網を入れるのは、鞆口押しと脇口押しといわれる役目の腕の見せ所である。隣の船から押されて網が挟まることもあり、緊迫した我慢比べの相も呈していた。
  網の中に入った魚は、網の中を一巡して出て行く、その出て行く手前のタイミングを狙い、水中に潜っている潜み手の合図で、網を引き上げるのである。一瞬の判断で一万匹を取り逃がすこともある。うまく魚を閉じ込められた網は、その上を歩けそうな勢いであった。魚の勢いで、船が転覆するなどということも、度々だった。
  
  今は昔の漁法。
  私に待つことを教えてくれた、懐かしい日々である。
「月刊くだかけ2012.12,2013.1月号」(くだかけ会)より

毎日新聞/今週の本棚/この3冊

2013-01-06 14:59:36 | Weblog
昨年のことになりますが、毎日新聞/今週の本棚/この3冊に屋久島関連書3冊を推薦させて頂きました。

永田の海亀、一湊の海亀

2009-12-11 12:46:47 | Weblog
  この夏も一湊川河口の砂の除去が行われました。例年通りの県の工事です。
  除去した砂は、浸食された一湊海水浴場に運び入れます。集落の外に持ち出さないことが、一湊区と県との当初からの約束なのです。
  問題はその時期です。
  海水浴場は7月に海開きが行われ、9月頃まで島内外の海水浴客でにぎわいます。また、同じ時期、台風による大雨で、河口に堆積した砂が災害の原因となりえます。
  海開きの前には、モジャコ漁が行われ、一湊港内に稚魚の畜養のための生け簀がたくさん浮かびます。
  この、モジャコ漁と海開きまでの期間に砂の除去が行われるのです。

  しかし、砂浜では、4月頃から海亀の産卵が始まり、8月頃まで孵化が続きます。
  海亀といえば、島の西部の永田地区が有名ですが、ここ一湊にも亀は上陸するのです。
  永田の浜のように、産み終わった卵を掘り出して、安全な場所に移動させるという手法がベストだとは思えませんが、同じ海亀でも、その扱いにこれほどの違いがあるのはなぜなのでしょうか?

  そもそも人工的に砂を除去せざるを得なくなったのは、河川改修と消波ブロックの施行以来です。それまで一湊の河口は今よりもっと深く、さまざまな種類の生き物が暮らしていました。

  現在の消波ブロックを低くして、海水浴場に残る屋久島電工の橋脚の残骸を海に沈め、人口礁にするのはどうでしょう。砂浜の浸食と河口への堆積問題さえ解決すれば、砂を移動させるまでもないのですから。

白色白光白陰

2009-06-07 15:18:28 | Weblog
  先日来島したカウンセラー大須賀発蔵先生の講話に、次のようなものがありました。
  「『白色白光、雑色雑光』が通常の仏教教典の言葉ですが、原典ではさらに『白色白光白陰、雑色雑色雑陰』とある。その『陰』という字を加えてみると、より深く見えてくることがあるのです」と。これを聞いた知人が「まさに観光だ」と喝破しました。

  「観光」という言葉を日本に初めて紹介したのは、屋久島出身の儒学者泊如竹翁といわれます。
  山の糞尿問題は、携帯トイレの試験導入実施で当面の方向が示されたようです。数や時期を含めた登山道の利用制限は、まだこれから。一大観光地となった屋久島で、光を見せると同時に、そこに産まれる陰を私たちは常に忘れてはなりません。

  かつての森林伐採という目に見える行為は、国が相手であり、判り易いものでした。しかし、現在のじわじわと進められる環境破壊は、観光産業ばかりではなく、あまりに不特定多数で原因が掴みづらいのが現状です。
  屋久島の自然は前人未踏の手つかずのものである、神の棲まう神聖な場所である、などという気は毛頭ありません。しかし、古来から人が関わってきた場所だけに、いつでもどこでも、どのようにも利用してよいとは思えません。
  国立公園は、世界遺産は、皆が等しく利用すべきものなのでしょうか?

  そろそろ目先のそろばん勘定は横に置いて、「次代の利益を損なわないあり方」について、ひとつひとつ考えてみませんか? たとえしんどくても陰から目を反らさず、この島の未来のために、子や孫の顔を思い浮かべましょう。


ロケットとトッピーの共通乗船券があれば、

2009-03-04 18:55:30 | Weblog
  岩崎グループのフェリー「屋久島丸」が就航してふた月が過ぎました。
  以前から島民の足となっている折田汽船の「フェリー屋久島2」に比べ、1時間半早い7時鹿児島発です。少しでも長く屋久島に滞在したい観光客にとって、便利なのかもしれません。
  しかし、ひとりの島民としては、朝鹿児島発、朝屋久島発を2社が毎日交代でやってくれれば、貨物の輸送に非常に助かります。

  昨秋、知事が2社に対して航路正常化へ向けた取り組みを要請したそうですが、国の指導といい、知事の仲介といい、住民目線が欠落しているように思えます。
  地元の政治といえば、各々の利害に従って、各企業サイドに立ち、既得権益擁護を代弁するという構図で動き回っているように思えてなりません。
  かつて国や県、島外の企業に目もくれられなかった、鹿児島ー種・屋久航路は、いまや過当競争で全国の耳目を集めるまでになりました。「競争大いに結構」と、高みの見物を決められないところに、離島住民の悲しさがあります。一方が撤退して、料金が高騰することを島民は恐れています。

  市丸グループの高速艇「ロケット」と岩崎グループの「トッピー」、共通乗船券など、夢のまた夢なのでしょうか。

山のトイレと議員定数

2008-09-07 15:39:20 | Weblog
  道ばたにかろうじて生き残ったオレンジ色のノカンゾウの花を見て、40年前、日本海に浮かぶ飛島へ旅した時に見た鮮やかな群落や、尾瀬のニッコウキスゲを思い出しました。
  この季節、道沿いに咲き乱れていたあの花は、いったいどこへ行ったのでしょう。道路改良工事で、土とともにどこかに持ち去られてしまったのでしょうか。
  大事なものを持ち去られながら気づかず、危険予知に疎くなったのは、年のせいばかりではありません。

  対処療法ばかりが声高に語られ、大手を振って歩き回り、原理原則は疎んぜられ、責任は回避される風潮。これは、屋久島に限ったことではないのかもしれません。
  その中でも、最近もっとも不満に感じるのは、議論の府である議会、それを構成する議員が夢を語らず、これと行った政策論争もきこえてこないことです。
  したり顔で「それは語るまでもないこと」と、あらゆることが片付けられていくのは残念な風潮です。

  9月3日の南日本新聞に、屋久島の山中トイレのし尿搬出についての記事がありました。協力金が思うように集まらず、し尿の搬出が滞っているという内容です。
  行政の責任回避は埒外として、「料金を徴収するシステムを早く確立しなくては......」という島民の意見だったり、「(し尿搬出に充てるといわれる)協力金箱に気づかなかった。申し訳ない」という来島者の意見だったり......。どうあるべきかを無視したまま、「金」の話しばかり。
  記事を通して、「お金が足りない!このままでは屋久島の山は糞まみれになってしまう!さらなるご協力を」と宣伝してもらったようなものでしょうか。
  お金をかけて、せっせとし尿を運び下ろして、それで一件落着なのでしょうか。
  山にし尿を置き去りにできないというのであれば、「各々が自分で持ち帰る」という方法もあります。男性であれば、ペットボトルひとつあれば可能。トイレはあくまでも目隠し箱と考え、知床などで導入されている携帯トイレの普及も考える時に来ているのではないでしょうか。
  それと平行して、山そのものについても考えるときです。許容量を超えているのは、トイレや駐車場だけでなく、山そのものという気がしてなりません。ハイシーズンに人であふれる登山道から外れて昼食をとる姿は、珍しくないと聞きます。
  写真を撮るのに山中で順番を待って、本当にそれは、来島者が望んでいることでしょうか。自分のし尿や踏み痕が、自然環境に負担をかけていることを、来島者は知っているのでしょうか。何度も書いてきていることですが、今こそ一日の入山数の制限を行ない、山への負担を減らす時に来ているのではないでしょうか。

  また、屋久島町の9月議会に議員定数を16名に削減する陳情があったようです。これもまた「金」の話でしょうか。
  間接政治を考えるならば、住民の代表者たる議員は多いに越したことはありません。合併の前提であった法定協議会で、議員定数は22名と決まり、合併の行く末を監視したいということで任期特例を決めた議会が、22名定数も決めました。
  その同じ議会が、選挙を経ることもなく、20名などという中途半端な定数を決めたことに起因します。法定協議会のメンバー、合併を推進した人々こそ、「定数22名で一度選挙民の審判を受けろ」と声を上げるべきです。予算を削減したいというならば、議員報酬の総額を見直すという選択肢もあります。

  トイレの件と議員定数の件、「語るまでもない」原理原則に、立ち返る必要を強く感じています。