ひょんのいちにち

ゆっくりゆっくり
現実をみて
自分の場所を確かめる

やさしくいましょう

映画

2014-11-29 20:32:59 | 日記
『舟を編む』
やっとみれた。

辞書には毎日と言っていいほどお世話になっている。
もっぱら電子辞書だけど、
先日、電子辞書が故障して、
一日も我慢できずに書店に出向いたほど。

結局、
修理代と辞書代で高くついた。

辞書を引く、というのも、
特別な用例だと思う。

辞書を作るというのは、大変な仕事。
辞書は万人が見て納得出来て、
言葉の使い方を説明してくれるものだ。

映画の中で、
人に近づきたいから辞書を引く、
そんな表現があった。

ついこないだも、
言葉の意味を知らずに話をしていたら、
それ違いますよ!って教えてくれた子がいて、
顔を赤くしたまま辞書を引いた。

辞書を引いた理由は、
確かに、この人に近づきたいと思ったから。
もっと話したかった。

いい時にこの映画を観たと思う。

明日、この子に、会いに行くのだ。
新しく作った音楽は、どんなふうに見えるんだろう、
聴こえるんだろう、
どんなふうに、私に届くんだろう。

楽しみにしてる。また明日ね。

ほったらかしのばしょ

2014-11-28 20:20:11 | 日記
ほったらかしてました。

とはいえ、目の前のことに集中していたともいえるかもしれない。

自分のことを考えれば考えるほど、

自分から遠くなる気がしていた。

でも最近、少しでも今の自分に近い言葉を扱うことが大切だと

思うようになった。

それでも、なかなか満足のいく文はできない。

どこか抽象的で、わかりづらい。



大事な人に、何がどのくらいどんなふうに思っているか伝えるには、

言葉も少し、必要だったみたいだ。



とはいえ、先日観た映画

『草原の実験』は

言語はない。映像と音だけで、バシバシ伝わってくる。

言葉がない分、耳を澄まして、よく聞こうとして、

よく見ようとしている、

そんな自分がいた。




もう一つ言えば、

ライブを見に行くようになってから、

これは見ないとわからない何か、がそこにあるんだなと

思うようになったこと。

あまり、普段から気にしてないものが、

聴こえるようになっていると思う。

聴こえるだけじゃない。見えるようになったというか。

おかしいかもしれないけど。

言えるだけのものなら、こんなに繰り返して観にいかない。

どんなふうに、と言おうとすると

そこからどんどん離れてしまう。

それがとても寂しくて、

こうして日記に書きたいと思った。

ここに書けば誰かが見るかもしれないからじゃない。

私が残したいと思ったから書く。



ずっと考えていた。

したいことをしている美しさに嫉妬して

観に行きたいのに、ぎりぎりまで理由着けて観に行かないとか言ってるときもあった。

そんなとき、結局はダッシュして電車乗って彼らを見に行く始末だった。



自分が頑張れないときに何度この人たちの姿に見とれたか。

こんなことをしている場合じゃないとか、

遊んでる場合じゃないとか、

そんなのもうどうでもいいと、帰り道には何度も思った。

そんなことより、

行く直前に感じる、胸を張ってそこに行けないちっぽけな自分が恥ずかしかった。

何かちゃんとしたいと、毎回思っている。



私にとって音楽は、

おまもり

のようなもので、祈りでもある。

こんな私で、そんな神聖な場に行くのが、身の程知らずだと思っていた。

音を出すだけじゃない強くて暖かい優しいものが

そこにはたくさんある。声がある。彼らがいる。





家族の体調不良で、4月から実家の仕事を手伝っている。

半月ずつ、実家と東京で過ごしている。

大学院受験、まだあきらめていません。

そしてつぎの春からはまた、都内で働くことになっている。

こうも、忙しい時間を過ごしているけど、

だれにもまねできない、

というか、誰かは真似したくない類の生活だと思う。

それはやばいね、ってやつだと思う。

だけど何と言われようと、

だれの代わりでもない仕事、したい。

今とこれからを、抱えたい。