ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

赤穂義士-家原観音寺の由来と義士の墓碑

2016年12月07日 05時29分56秒 | Weblog
          

          

 赤穂四十七義士の墓所がある寺として知られる観音寺は、加東市家原にあります。県道(旧国道175号)と市道社環状線が交わる赤岸交差点のそばです。この「赤岸」という地名は「赤穂義士」が訛ったものと言われています。
 観音寺の寺号は「大悲山観音寺」といいますが、元は「湯谷山観音寺」と称されていました。境内の石碑にも「湯谷山」の寺号が刻まれています。「大悲山」は明治17年に寺が復興再建されたときに改められました。
 観音寺の創立の由来は不明のようですが、本堂再建を記念して発刊された『観音寺と赤穂義士』(昭和61年)によれば、寛文11年(1671)に浅野長賢が赤穂藩浅野氏から加東郡内の11ヶ村(3500石)を分知され、家原村に陣屋を設けた縁によるものと考えられています。そして、観音寺は、陣屋開設以来、家原浅野氏の香華所として尊崇されたようです。
 弘化4年(1847)、住職の明範が義士の150年忌を迎えるのに合わせて観音寺境内に赤穂藩浅野氏四代の藩主と四十七義士の石碑を建立して義士の忠義を顕彰しようと寄附を募りました。この勧進の応じて、元赤穂藩領の村々、北播磨各地の庄屋や領地をもつ武士、医師や民衆などが寄附をしています。赤穂義士の忠義を讃え、追慕する人々の志によって四十七義士の石碑建立が実現したのでした。
 墓所は、中央に浅野内匠頭長矩と赤穂藩主四代の碑、その前に大石良雄、主税父子の碑、これを仰ぐように回りをぐるりと四十七義士の石碑が囲んでいます。
 14日は加東市赤穂義士祭がこの観音寺で行われます。写真は本堂(上)、義士墓所(下)です。
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