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水族館と近代化

 以前『物語大英博物館』を読んで博覧会に関する本を開くことが多くなった。その関連もあって、今回『水族館』(鈴木克美著、ものと人間の文化史113、法政大学出版局刊)を読んだ。この中で、日本の水族館の設立に尽力した飯島魁という人の仕事が紹介されていた。彼は日本最初の近代的水族館とされる和田岬水族館を設計した他、最初の株式会社水族館の浅草公園水族館、わが国最初の恒久建築の水族館である堺水族館の設計指導も行っている。十六歳で東京大学に入学、四年後卒業し、二一歳で東京理科大学准教授に就任している。その翌年(明治十五年、1881年)にドイツのライプツィヒ大学に留学して寄生虫学のカール・G・F・R・ロイカルトに師事している。
 この留学時に森林太郎(森鴎外)と同じ下宿に住んでいたという。森は飯島より一年早く東京大学医学部を卒業し、明治十七年十月にライプツィヒ大学に留学している。飯島は同地を翌十八年四月に去っているので、わずか半年間のみの同居であった。
 森は上着を飯島に借りたり、一緒に水晶宮に行き仮面舞を鑑賞したりしている。飯島は水族館が大好きだったそうで、海外に行った先々で水族館を訪れたということだが、鴎外と連れ立って水族館にも行ったのだろうか。


 日本が最初に万国博覧会に正式に参加したのは、1867年のパリ万博のことだが、この本で初めて知ったのは日本が参加をしたきっかけというのが、フランス政府が日本に昆虫標本の出品を依頼したことだというのだ。明治以前には昆虫を博物画に描くことはあっても、展翅して標本にする文化がなかった。この事業を担当したのが田中芳男という人でのちにパリの自然史博物館をモデルとして、上野に博物館を設立し「博物館の父」と言われる。
 日本の近代化というと富国強兵をまず第一に教えるがわが国の歴史教育だが、西欧の自然観を取り入れることも重要な近代化の一つであったのだ。捕虫網を持って雑木林を夕暮れまで歩き回った昆虫採集は、私を含め多くの子供の思い出だろうがこれも近代化以降に生まれた文化だ。「収集せよ、分類せよ」という命題が近代化の始まりだったのだ。


 様々な人たちが水族館に関わっていることが分かり楽しい本であると同時に、娯楽としての「見世物」を供する水族館という側面、水棲生物を研究する場としての水族館という側面、そして何より魚を見たときに「刺身」の材料として見てしまう我々日本人の水族館観を考察しつつ未来の水族館がどうあるべきかを論じている後半も読み応えがある。

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