インターネット上での言論の主たる場が、「2ちゃんねる」のような完全匿名掲示板から、blogへと移行しつつあります。この変化は、多くの人に好意的に受け取られています。
その理由は、「2ちゃんねる」等の完全匿名掲示板が「名無しさん」等の統一ハンドル名を利用することによって発言者がその発言を行う背景事情(党派性)を徹底的に秘匿することを標準とするメディアであったのに対し、blogにおいては、少なくともblog主はその党派性(それどころか実社会で通用している氏名をも)を積極的に明らかにすることを標準とするメディアだからではないでしょうか。匿名であることをよいことに、デマを流したり、他人を誹謗中傷したり、あたかも複数人で議論しているかのように偽装して世論工作を図ったりという完全匿名掲示板の「文化」に嫌気がさした人が、blog文化に光明を見いだしているのではないでしょうか。
blogのコメント機能を利用して、「2ちゃんねる」で行っていたような、党派性を秘匿した誹謗中傷、人格攻撃、揶揄、世論工作などを行う人々が擡頭し始めました。これを嫌い、トラックバッグ機能だけを残して、コメント機能はオフにしてしまうblogも少なからず出始めました。とても残念なことです。
匿名でコメントをつける人々にも言い分はあるようです。そりゃ、匿名でないとできない発言もあるでしょう。とはいえ、blogのコメント欄で組織内部の不正などを内部告発するなんてことは滅多にないですね。大部分の場合、自分がそのような発言をする者であるということが周囲の人に知られると、周囲の人から軽蔑される虞があるという程度のことですね。さらに進んで、自分がそのような発言をした者であると知られると、名誉等を毀損された者から民事責任または刑事責任を追及される虞があるということもあるようです。もちろん、特定の組織における業務の一環として工作活動を行っている場合、そのような工作活動を行っていることが明らかになると、工作活動としての意味が薄れてくるということもあるのでしょう。
私は、匿名による情報発信を規制しない情報通信サービスを法的に禁圧する動きに対しては反対しますが、他方、匿名の陰に隠れてやりたい放題の人々を賞賛する気にはなれないです。ですから、匿名による情報発信を規制しない情報通信サービスを提供する人々に突然重い民事責任や刑事責任を負わせる動きには反対しますが、情報通信サービス業者が技術的、経済的に無理をしないで済む範囲内で、匿名の陰に隠れてやりたい放題の人々の匿名性を引き剥がすことができるような法制度を立法府が整備することは反対しません。むしろ、IPアドレスとタイムスタンプは即座に公開されるようにするとともに、匿名発言者の氏名・住所等に関しては、問題の発言が違法なものではないと反論する機会を設けることを条件に、発信者情報開示請求をより広く認めるような法改正が望まれるのではないかと思っていたりします。
確かに誰の目に「こいつしょうがない」というのは例えば名誉棄損であるとかまで行きます。
しかし、匿名とは言わないまでも固定ハンドルでもない「名無しさん」状態の人の話しというのは、その意見をどこまで信用して良いのか分からない、という議論上は致命的な弱点があると感じます。
ネット上では、例えば blog を持っている=書いている人であれば、他で発言する時でも同じハンドルで書くとかして、発言者としての信用を保証した方が良いでしょう。
真面目に付き合っていると、話のこんきょそのものが無かった、もともと話しに付き合う値打ちも無かった、なんてのに出会うことがあります。ま、からかわれたと思えば良いのでしょうが、ちょっと疲れますね。
本名を名乗ったBlogは商用目的かまたは学術系のものしか出会ったことがありません。HNで自己紹介もナシが多いBlogは従来の日記サイトや個人サイトや匿名のコミュニティとどう違うのでしょうか?
一般にある匿名性と2chスタイルの匿名性には大きく違いがあると思いますが、BlogにおいてもSNSにおいても日本では一般にあるネットでの匿名性は変わらず適用されていると感じます。
区別がつかず、ずっと悩んでいます。
匿名性には二つのパターンを考えなくてはいけません。
A. システム運用者が匿名性を許可している場合。
B. システム運用者が匿名性を極力排除したい場合。
(技術的にはもう一つあって、C. P2Pなどで匿名性が担保されてる場合もありますが、今回は省略します)
Bの場合はわりと問題がないのです。blogなどではIdentityの確認を求めていくことも技術的にはそれほど難しくはありません。また現状であっても、管理者が手作業でコメントの承認・削除などをすれば済むことです。
Aでは問題が大きいですね。通信の自由と、公共への情報のPublishでの制約とのせめぎあいですから、簡単に結論はでないのではないでしょうか。とくに従来の出版とは異なり、インターネットではどこまでが私的な通信で、どこまでが公共性のある発言なのかが明白ではありません。非常に難しい問題だと思います。
今回の記事ではAとBの区別を明示されてないように思われましたので、蛇足ながらコメントする次第です。
文字を読む点においては新聞などのメディアに近いと思われますが、映像・音楽を聞いたり感じたり出来る点、また情報を速報で発信できる点、そして画面を通じて接する点などテレビ側に近いとも思います。
ならば、電波法をネットにも広げることは不可能でしょうか?
表現の自由・言論の自由を重視するよりも残虐的・猥褻的・政治的などを禁じた電波法をネットにも広げることにより、事件に繋がる自殺、薬、爆弾等を扱ったHP・使い方次第で違法の恐れがあるファイル交換を扱ったHP・誰にでも容易に見れる18禁HP・自己主張の一方で行われる中傷・誹謗HPを制限する事ができるのではないでしょうか
法律に詳しい人の突っ込みは負けますので、辞めてください(白旗・笑)
例えば近い将来的には、国内の全てのサイトをAからEなどのブロックに分け、プロバイダーに入ると同時にA−Eのどのサイトまでを表示できるかをするなどを決めるようなネット管理を国が行うと思います。
まだネット社会の迷走・暴走をどこの国も止めることはできずに、どこの国でもそれを利用する集団・それに振り回される集団がいます。
そして、少なからずどこの国でも悪用されます。
この氾濫を止めるのには行政で1度負を一掃し、そして本当のネット時代(ネット社会)が始まると思います。
あまりの極論なので、関心が無い人はスルーしてくださいね
いいことと悪いこと両方に使えます。
2ちゃんの無責任な発言ぶりは抵抗を感じますがしかしこれが人間の本性だということですね。インターネットはいまだに裏の世界という認識が強いです。なぜなら誰がコンピュータを操作してるかわからないから。非常に匿名性の高い世界です。もし現実に個人情報を提示してインターネットを操作するような法律ができたら誰もインターネットは使わなくなります。どこかの国みたいに届け出制になったらもう日本のインターネット世界はなくなるでしょう。それだけいまだに日本は隣組の制度に成り立っているということです。
インターネットは総合メディアだと思います。それも特定の人だけが使える媒体ではなく誰でも情報を発信し読める究極のマスメディアだと思います。ですから自己責任が必要だということです。
昔、ネットNEWSという媒体でこんな事がありました。法律に関する議論で「法律学者である事を明示している人」と「匿名の人」が論じ合っていたのですが、明らかに前者の方が法律的に間違った意見を提示していたのです。で、周りの反応はどうかと言うとやはり日本人の悲しさか、前者を支持する意見が多かったのです。多分後者が匿名ではなく例えば魚屋のオッサンである事を公表していたとしても同じ事になったでしょう。
匿名掲示板の利用者が背負わなければ行けない十字架の一つに「その発言の価値は発言の内容によってのみもたらされる」というものがあります。そこでは発言者の党派性は何の価値ももたらす事ができないのです。この事が発言の公平性を保障する「場合もある」というこに留意していただければ幸いです。
勿論、たとえ匿名でも私のBlogには大して価値のある記述はありませんけど。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。