fpop氏等は、人権擁護法案が原案通り可決成立することによって、部落解放同盟が悪意を持つか、あるいは暴走する恐れが増ので賛成できない」との複数のコメント投稿者による懸念が杞憂であるかどうか、杞憂であるとしたらその根拠を尋ねており、この質問を「核心を突いている設問」とすることに他のコメント投稿者から特段の反対もなかったので、次の通りお答えすることとします。
まず、この法案が部落解放同盟により悪用される可能性について考えてみましょう。
人権擁護法案が原案通り成立した場合、人権委員(長)、事務局の職員、人権擁護委員、人権調整委員が担い手として現れることになります。
このうち、人権擁護委員および人権調整委員については、「
職務上の義務違反その他人権調整委員たるに適しない非行があると認められるとき。」は人権委員会がこれを解嘱・解任できるものとされています(第31条第1項第2号、第49条第1項第2号)。事務局の職員については、「
事務局の職員のうちには、弁護士となる資格を有する者を加えなければならない」(第15条第2項)とありますのみです。この点に関しては、平成14年11月7日付けの参議院法務委員会において吉戒修一法務省人権擁護局長は、「
人権侵害事件の調査に当たる事務局の職員につきましては、これはこれまでの実績あるいはノウハウの蓄積等の観点から、法務局、地方法務局の職員をその主たる供給源とせざるを得ませんけれども、これらの職員も、委員御案内のとおり、矯正・入管部門の業務に携わった者ではございませんで、その影響を受けるおそれはございません。」としており、その解任等は国家公務員法の定めるところに従うことになります。
したがって、人権委員会さえ「暴走」しなければ、人権擁護法案は悪用を避けることができるということができます。
人権委員会の意思決定過程ですが、人権委員会の「
会議は、委員長が招集する」ものとされ、「
委員長及び二人以上の委員の出席がなければ、会議を開き、議決をすることができ」ず、「
人権委員会の議事は、出席者の過半数でこれを決し、可否同数のときは、委員長の決するところによる」とされています(第14条)。したがって、人権委員の1人が「暴走」したとしても、人権委員会としては「人権擁護法」を悪用・濫用することができないようになっています。
また、人権委員については、「
人権委員会により、……職務上の義務違反その他委員長若しくは委員たるに適しない非行があると認められたとき」には、「
内閣総理大臣は、……その委員長又は委員を罷免しなければならない」と規定されています(第12条、第13条)。したがって、「人権擁護法」を悪用した委員が罷免されないためには、人権委員会においてその委員について、「
職務上の義務違反その他委員長若しくは委員たるに適しない非行がある」との認定を行わせないようにする必要があります。
「
職務上の義務違反その他委員長若しくは委員たるに適しない非行がある」との認定は、
人権委員長が招集する会議において、委員長および2人以上の委員が出席した場合に、当該委員を除く全員の一致があった場合に、これを行うことができます(第14条第4項)。
すなわち、人権委員長(1名)、常勤人権委員(1名)、非常勤人権委員(3名)のうち、当該悪用に賛同する人が2名いた場合にはその委員は罷免されない可能性が高いが、1名にとどまる場合は罷免される可能性が高いということができます。
では、部落解放同盟ないしその支持者から2名が、「
人格が高潔で人権に関して高い識見を有する者であって、法律又は社会に関する学識経験のあるもの」として、両議院の同意を得て、内閣総理大臣から任命される現実的な可能性があるのかということが問題となります。
部落解放同盟については、一応まっとうな団体であると一般には考えられており、与野党各党(共産党を除く。)ともある程度の交流がある団体ですから、部落解放同盟出身者を1人が人権委員に任命する可能性が全くないとはいえないでしょう(ただし、「法律又は社会に関する学識経験のあるもの」という要件があるので、当該団体内部でずっと活動されてきた方が選任されるのは難しいのではないかという気はしますが。)。ただ、全体で5人しかいない人権委員のうち2名を部落解放同盟出身者から選任する現実的な可能性があるとは考えられません。
したがって、人権擁護法案が成立したとしても、これを部落解放同盟が悪用することは難しい(悪用しようとしたとしても、法が予定した枠組み内でこれを制御することが可能である)といえます。
また、部落解放同盟がこれまで行ってきた「確認・糾弾」との関係で言えば、法務省人権擁護局総務課長による平成元年8月4日付け「『確認・糾弾』についての法務省見解」における「確認・糾弾」の問題点を克服するプロトコルを人権擁護法案は用意しているものということができます。
まず、人権擁護法案が用意している差別解消プロトコル(調停、仲裁、勧告)はいずれも、「数の威力を背景に」したものではなく、また、対象者に「異議を述べ、事実の存否、内容を争う」余地を与えるものであり、対象者の人権へも十分に配慮したものとなっています。
また、調停・仲裁はもちろん、勧告を行うにあたっても、聴聞手続きを用意した上で、「被害者集団」以外の者たちが少なくとも過半数を占める人権委員会が、公正・中立に、「不当な差別的言動」があったか否かを判断することになります。差別があったか否かを被害者集団が判断する従前の「確認・糾弾」方式と比べた場合、「何が差別かということの判断を始め、主観的な立場から、恣意的な判断がなされる可能性」は格段に低くなっているということができます。
また、勧告の内容は、「当該行為をやめるべきこと又は当該行為若しくはこれと同様の行為を将来行わないことその他被害の救済又は予防に必要な措置を執るべきこと」に限定されており、「反省文や決意表明書の提出、研修の実施、同和問題企業連絡会等への加入、賛助金等の支払い等々確認・糾弾行為を終結させるための謝罪行為が恣意的に求められ」る可能性はなく、また、万が一そのような勧告がなされたとしても、これに応じる必要はありません(強制力はありません。)。
また、「人権侵害」の定義が不明確であるとの点ですが、法律等の条文を起草する際にそこで用いられる言葉全てに定義規定を設けようとすると非常に条文が煩雑になりますし、定義規定に用いられている言葉についてさらに定義規定を置かなければならないということになると際限がなくなりますので、社会的におよそのコンセンサスが得られている用語を社会的にコンセンサスが得られている状態で用いるような場合にはことさら定義規定を設けないのは非常にありふれたパターンです。そして、「人権」ないし「基本的人権」という用語は、戦後約60年間使われてきて、およそのコンセンサスも得られているのであり、特に定義規定をおこなければその範囲が全く不明確となりいくらでも恣意的に解釈できるというものではないといえます(現行の「人権擁護委員法」や「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」だって、「人権」や「人権侵犯」という用語について特段の定義規定を置いていませんが、だからといって恣意的に拡大解釈をされているわけではありません。)。この点については、平成14年11月7日付けの参議院法務委員会における浜四津敏子議員の
人権擁護法案における人権とは何かということにつきましては、この第二条一項の定義の中にも、「「人権侵害」とは、不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為をいう。」とだけ規定されておりまして、差別、虐待が例示として示されておりますけれども、人権の定義そのものはなされておりません。
世界人権宣言、また日本国憲法にも具体的な基本的人権についての規定がいろいろありますけれども、その規定のほかにも、例えば環境権あるいは人格権といった新しい人権なども議論されてきているところでございます。また、刑務所や拘置所などや、あるいは入管施設などにおける公権力による人権侵害からいじめや家庭内暴力、差別、虐待など民間における人権侵害まで多様にわたっております。本法案において救済の対象となる人権というものをどのようなものととらえているのか、法務省にお伺いいたします。
との質問に対し、吉戒修一氏が、
人権とは一般に、人はその固有の尊厳に基づき当然に有する権利、言い換えますと各人に生まれながらに備わる権利を言い、これ実定法的に申し上げますと、憲法により保障された権利、自由というものがその中核になるというふうに考えております。
確かに、今、委員御指摘のとおり、人権は歴史的、沿革的には国家を始めとする公権力からの不当な侵害を抑制する原理として発展してきたものでございますので、基本的人権を保障する憲法の規定の多くも直接的には公権力との関係を規律するものと解されているところは御案内のとおりでございます。しかし、今日におきましては、公権力による人権侵害のみならず、差別、虐待に見られますように、私人間における人権侵害の問題も極めて深刻な社会問題となっておりまして、私人による人権侵害の被害者の人権を擁護することも重要な国の課題であると、こういうふうな認識から、本法案では私人間におきます人権侵害についても救済の対象にいたしたところでございます。
と答弁しているところが参考になります。
また、「人権擁護委員に、人権委員と同様の「在任中、政党その他の政治的団体の役員となり、又は積極的に政治運動をしてはならない」「職務上知ることができた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も、同様とする」という規定がない」との点ですが、
現行の人権擁護委員法には「人権擁護委員には、国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)は、適用されない。」との規定がありますが(第5条)、人権擁護法案上の人権擁護委員についてはこれに相当する規定がありません。したがって、人権擁護法案上の人権擁護委員については、特に積極的な政治活動を容認する旨の規定等がない以上、国家公務員法第102条の政治活動の禁止
1 職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。
2 職員は、公選による公職の候補者となることができない。
3 職員は、政党その他の政治的団体の役員、政治的顧問、その他これらと同様な役割をもつ構成員となることができない。
という規定や、同法第100条の秘密を守る義務に関する規定
職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする
の適用があるものと思われます。
また、第28条により、人権擁護委員が「当該行為に関する説示、人権尊重の理念に関する啓発その他の指導をすること」(第41条)などの、「人権侵害に関する調査及び人権侵害による被害の救済又は予防を図るための活動を行う」と定められているとの点ですが、
「人権侵害に関する調査及び人権侵害による被害の救済又は予防を図るための活動」は「第39条及び第41条の定めるところにより」、すなわち、人権委員会が、「人権侵害による被害の救済又は予防を図るため必要があると認め」、人権擁護委員に調査活動や被害の救済・予防を図るための措置を講じさせることができるのであって、人権擁護委員が独断でこれらの行為を行うことはできません。そして、人権委員会における意思決定が、出席委員の多数決でなされることはすでに述べたとおりです。
また、「第44条により、行政機関の職員や学校関係者が差別的言動を理由に特別調査および処分の対象となりうること。その処分を正当な理由なく受け入れなければ、第88条により罰金に処されること」との点ですが、まず、人権擁護法案第88条は処分を受け入れなかったときに罰金刑に処する旨の規定ではありません。さらにいえば、第44条は、差別的言動に関しては行政機関の職員や学校関係者について何らの特別扱いをしていません。そして、行政機関の職員や学校関係者による差別的言動について特別調査や処分の対象から除外する正当な理由はないのであり、これらの者による差別的言動を特別調査および処分の対象に含めることについて、特別の意味を見いだすことはできません。
。
また、「第45条により、「国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者としての立場において人種等を理由としてする不当な差別的取扱い」が「特別人権侵害」と定められており、行政機関の職員や学校関係者が差別的取り扱いを理由に第60条の勧告および公表の対象となりうること」とありますが、「人種等を理由としてする不当な差別的取扱い」に関しては「国又は地方公共団体の職員その他法令により公務に従事する者」を特別扱いする規定は置かれていません。そして、行政機関の職員による人種等を理由とした不当な差別的取扱いを特別調査や処分の対象から除外する正当な理由はないのであり、これらの者による差別的取扱いを特別調査および処分の対象に含めることについて、特別の意味を見いだすことはできません。
以上の理由から、仮に部落解放同盟関係者が1名程度人権委員に任命されたとしても人権擁護委員に多数の関係者が送り込まれる可能性は低いといえます。また、部落解放同盟関係者が一旦人権委員に任命されたとしても、その者が権限を濫用し法律の規定に反した処分を繰り返した場合には、罷免される可能性が十分にあるといえます。また、人権委員は、「人格が高潔で人権に関して高い識見を有する者であって、
法律又は社会に関する学識経験のあるもののうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する」者ですから、部落問題の専門家ではなくとも、それが第3条各項各号において定める人権侵害にあたるかどうかを判断することは十分に可能であり、したがって、部落問題に関してであれ、不当に解同寄りの解釈に基づいて処理され続ける可能性は低いと考えられます。そして、「人権」という用語は長い歴史的な積み重ねの中でおよその社会的なコンセンサスが得られている言葉なので、恣意的に運用される可能性は低いということができます(人権委員会は所詮「勧告およびその公表」までしかできないので、恣意的な運用に対する批判を封殺できません。)。また、人権擁護委員については国家公務員法の適用があるため、守秘義務や政治運動の禁止義務が課せられているということができ、それゆえ、職務で得た情報を漏らすことは処罰を覚悟しなければできないということになります。また、行政機関の職員や学校関係者が「差別的言動」や「差別的取扱い」をしたのであれば、特別調査や処分、勧告および公表の対象となる可能性がありますが、これは法の目的に合致することであるといえます。そして、それらの処分等は人権委員会において、出席委員の過半数の賛成が得られないとなしえないことであり、部落解放同盟関係者が1名程度人権委員に任命された程度では「暴走」することはできず、委員長を含めても5人しか任命されない人権委員に部落解放同盟関係者が複数任命される可能性は実際にはほぼ皆無であるといえます。
なお、fpop氏が考察の傍証として掲げている「確認・糾弾への介入」問題については、今回の人権擁護法案は、「確認・糾弾」によらない実効的な差別解消プロトコルを公的に用意し「確認・糾弾」を行わなくとも済むようにしているのみで、「確認・糾弾」についてはこれに公的機関が介入できるようにするという規定も、逆に介入できないようにするという規定も元々置いていないのですから、この点が争点からはずれるのは当然といえます。
また、「現行法においても、人権擁護委員会が証拠不十分かつ平等という視点からすれば差別解消とは言えない勧告を行っていること」としてfpop氏は、http://kenheiwa.blog.ocn.ne.jp/active/1.pdfを例示しますが、この書面でいうところの「人権擁護委員会」とは新潟弁護士会内部の委員会としての人権擁護委員会であり、国法上の人権擁護委員とは全く関係のないものです(現行の人権擁護委員法も、人権擁護法案も、「人権擁護委員会」という組織を予定していません。)。
【追記】
人権擁護法案における勧告内容の公表が「制裁的公表」にあたるのかという質問については、あたるのだろうと思います。
もっとも、制裁的公表については、直接の根拠法規が存在しない場合であってもそのことを理由にこれを直ちに違法とすることはできないとするのが多数説であり、まして、人権擁護法案における「公表」は直接の根拠法規があるわけですから、「制裁的公表」としての性質を帯びるが故に違法だということにはなりません。
また、人権擁護法案における勧告およびその内容に関して、これに従う義務がないことの確認や公表の差止めを求める訴訟を提起することが可能な場合もあるという見解については過去のエントリーで紹介したところです。