縄文人のページ

何を書くかわからない

◆太平洋戦争 ニューギニア

2018-01-19 19:17:54 | 歴史

◆太平洋戦争 ニューギニア
◆リ号研究作戦 - FC2
http://daitoasensoshi.web.fc2.com/NewGinia/PM/rigo.html
リ号研究作戦. 昭和17年5月18日第17軍戦闘序列下令. 昭和17年6月5日フィジーサモア攻略作戦の2カ月延期を決定。 昭和17年6月14日南海支隊、第17軍参謀参謀総長よりリ号研究作戦を指示される。 ミッドウェイ海戦で空母部隊が壊滅し、航空機、搭乗員等のやりくりがつかなくなった結果、大本営はフィジー、サモア、ニューカレドニア攻略作戦の2カ月延期することを決定した。 5月7日、8日の珊瑚海海戦の戦略的敗北により、すでにポートモレスビーに対する海上よりの進攻は不可能となったにもかかわらず、 ...

 
◆ポートモレスビー作戦 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポートモレスビー作戦
日本陸軍は東部ニューギニアのオーエンスタンレー山脈(最高峰4,000メートル)を越え、直線距離にして220キロを陸路で侵攻するポートモレスビー攻略作戦「レ号作戦(別名、スタンレー作戦)」を実施するため、新設された第17軍に南海支隊(支隊長:堀井富太郎陸軍少将)を編入、第17軍に対して作戦名をリ号研究と称した偵察を命じた。南海支隊は第55師団の一部の歩兵第144連隊(高知)と山砲兵第55連隊第1大隊などで編成されていたが、FS作戦に投入される予定であった歩兵第41連隊(福山)とマレー作戦に投入 ...


 
◆赤船 戦艦「土佐」の復活 - ポートモレスビー攻略戦(6) - 小説家になろう
http://ncode.syosetu.com/n9615cr/39/
ポートモレスビー攻略にあたり、絶対に陥さなければならないのが、ニューギニアの南端、ミルン湾奥に位置するラビである。 陸軍「リ号」作戦で、スタンレー山脈を踏破する打痛作戦(痛い作戦とも言う)「ニューギニア鉄路」の構築は急ピッチで進んではいるものの、大量の兵員と兵士を一気に輸送するのは、陸路ではなく、海路によるところが大きい。 問題はこの海路の途中にラビがあることだ。ポートモレスビー攻略部隊が、オーストラリア本土からの攻撃を避けようとすると、自然、ニューギニア島に接近することになる。


 
◆ポートモレスビー作戦
旧日本軍の根拠地ラバウルへの攻撃拠点となる航空基地の占領などを目指した。軍内部でも補給困難を懸念する声があったが、辻政信大本営参謀の独断で南海支隊が派遣された。ココダ道での豪州軍の死者数約600人。日本側被害の詳細は不明だが、主力の歩兵第144連隊(高知)は内地出発時3500人。戦死その他の「損耗」3264人とされる。


 
◆「リ号」
大本営はリ号研究の結果を待って作戦の可否を決定することにしていた。 またポートモスレビー攻略を行うレ号作戦やリ号作戦を開始しようとしていた。 七月一日、十七軍司令官は「リ号」研究の命令を発した。


 
◆リ号研究においてオーレンスタンレー山脈を夏服で踏破したというのは本当でしょうか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1484256299
2012/03/26
Q.リ号研究を命じられた南海支隊は四国の第55師団から分派された部隊です。

その構成は第55歩兵団司令部(4単位師団では旅団司令部に相当。)、歩兵第144聯隊(高知)、山砲兵第55聯隊第1大隊、第1野戦病院で、歩兵団長、堀井富太郎少将(戦死後、中将に特進)が支隊長兼務。グアム島攻略、ラバウル攻略の主力として活躍していました。

リ号研究から攻勢作戦へ拡大された時点で、第5師団(広島)の歩兵第41聯隊(福山)、独立工兵第15聯隊等の増強を受けていました。

いずれの部隊も南方での諸作戦に従事していた為、夏服装備だったのは本当です。

歩兵旅団級の司令部ですから、当然無線機は装備しています。電池式のものですが、欧米のものほどコンパクトではなかったようです。
南海支隊の場合は不明ですが、補給が途絶して、電池切れで通信手段を失った部隊も存在します。
ちなみに当時の日本の軍(軍団)司令部用無線機は、出力は大きいもののかなり大型で、発電機を必要としていました。

ただし上級司令部である第17軍は、当時ガダルカナルの戦いが始まって、本格攻勢を断念しつつあったので、オーエンスタンレーの稜線付近で防御態勢を取れと命令しており、それ以上の進出は、食糧が尽きつつある南海支隊が生き延びる為、途中の拠点を占領してオーストラリア軍の食糧を奪おうと考えた堀井少将による現場の判断です。
オーストラリア側が焦土戦術を取って、食糧を全く残さなかった為、堀井少将は涙を飲んで後退命令を出しました。

なお、リ号研究(偵察)を攻勢命令にすり替えた辻政信ですが、すり替えを行ったのはフィリピンのダバオでです。(この時、第17軍司令部はラバウルへの進出途上で、ダバオにいました)

この後、辻はラバウルを経由してガダルカナルへも進出しています。

 
◆陸海軍作戦名紹介
kitabatake.world.coocan.jp/rikukaigun25.html
ア号作戦 1, 陸海軍, 昭和18・2, 北太平洋(アリューシャン・千島)方面における防備態勢完成作戦。
ア号作戦 2, 陸軍, 昭和19・3, マリアナ方面における陸軍作戦。
あ号作戦
 ... イ号演習, 関東軍, 昭和19・3, 1号作戦のための満州からの兵力転用。
い号作戦, 海軍, 昭和18・4, 母艦機及び基地航空兵力の大部分でソロモン・ニューギニア方面の 敵艦艇及び航空兵力を攻撃した作戦。
 ..... リ号作戦, 陸軍, 昭和17・6, 陸路からのポートモレスビー攻略作戦。
龍作戦, 陸軍, 昭和18, インドカルカッタへの航空進攻作戦。
ル号作戦, 陸海, 昭和17・11, 軍中央協定による南太平洋ルイジアード諸島攻略作戦。



コメントを投稿