「白将軍胡同」。ずいぶん武張った厳めしい名前ですが、今回はこの胡同の名前の
由来についてご紹介したいと思います。その前にまずは胡同歩きから。
写真はこの胡同と中街(胡同)とが交わった所から東側。
門墩(memdun)のある家がありました。
門扉も年季が入っていますが、門墩(memdun)も同様です。
太鼓の部分の彫り飾りは削り取られていましたが、幸い下の「錦鋪」には植物の模様が残っていました。
確かなことは言えないのですが、私には梅の花のように見えました。もしそうだとすると、梅はまだ寒い
冬に花を咲かせる、生命力の強い花で吉祥図。
(「錦鋪」は、台座の上に錦布を掛けたように見える三角の部分の名称。)
上のお宅の前辺りから東側。
少し進むと左側のお宅の入り口からなかなかいい味を出した壁の一部が見えたので
近づいて覗いてみると。
予想だにしなかったワンちゃんとのご対面。
慌てふためく私、「泰然自若」そのもののワンちゃん。
そそくさとワンコ先生の前からひきさがると、右側にやはり門墩のあるお宅。
左右とも太鼓の部分の彫り飾りは「蓮」。吉祥紋様。
「錦鋪」の模様は上は「石榴」。「石榴」にはたくさんの男の子を授かるようにという願いが
込められているそうですが、この「石榴」で思い出すのは、石榴の実を右手に持っている「鬼子
母神」。鬼子母神が石榴を持っているのは、人の子をとって食べてしまう鬼子母神に、お釈迦様
が子を失う悲しみを教えたことに由来しているとか。そんな鬼子母神は、安産と子供を守る神様。
下の写真のものは長寿のシンボル「桃」のように見えました。二個あるというのは、ひょっとし
て夫婦を表しているのかも知れません。もしそうだとすると、夫婦そろっていつまでも仲良く長
寿という、いたってお目出度い図柄です。「桃」と言えば、なにはなくとも「桃太郎」。桃から
産まれた桃太郎だからこそ鬼退治ができたのかもしれません。桃には邪気を払う働きがあり、さ
ればこそ健康で長生きしたいという願いと結びついているのではないでしょうか。
門墩から目を上げると目に飛び込んできた風景。
中国語で「山墙(shanqiang)」と呼ばれる屋根を支える壁ですが、そこに見られる濃淡陰影。
見る者の眼を釘付けにしてしまう幽玄な世界。
さらに進むと、
窓枠に干された運動靴とサンダル。
違う日に訪れた時には、こんな可愛らしい靴も。
その斜め前のお宅の玄関。
二つでワンセットであるはずの門墩ですが、片方だけが残されていました。
「ここまでしなくてもいいんじゃあないかい?」と言いたくなるほど彫り飾りを削りとられながら
も容赦のない過酷な時代を生き延びた門墩。「苛政は虎よりも猛し」。彫り飾りを削りとったのは
儒教なるものを旧い教えとして否定した時代の人々ですが、その時代自体がまさにその時代の為政
者やそれに追随した人々によって否定された儒教の経典の一つに見られる「苛政は虎より猛し」と
いう状況であったことは、実に皮肉なお話でした。
その前にあるのは年季の入った壁、その右側には運動靴やサンダルが気持ちよく干されてあった、
増築されてまだ間もないのではと思しきお宅。そして、これら旧と新とが作りだした角地の隅に
まるで護符か何かのように置かれた、かつて生活の一部であった石臼の一部分。
胡同とは、それを歩く者によっては、決してこれ見よがしではない、磨きたてられたガラス張りの
陳列ケースなどには収まり切らない多くの時の集積した日常、そんな日常と地続きの「順路のない、
まるで起伏に富んだ迷路のようで、しかもどこまで広がっているのか不明な得体の知れない生きた
博物館」であるに違いありません。それゆえに胡同歩きは楽しい。しかし、だからこそ胡同歩きと
は実に油断のならない、困難に満ちた、あまりに無謀な営みなのかもしれません。
隣は路地。死胡同と言うそうですが、日本語では袋小路。
袋小路の前辺りから進行方向。
この辺で気分をちょっと変えて晴れた日に撮った写真をば。
向かって左側に路地がありました。
左側、壁沿いに鳥籠と小鳥。
路地の奥にはヘチマの蔓巻き用棚まであるではありませんか。
胡同につきものの鳥籠や小鳥や蔓巻き用の棚までそろったこの路地は思わず「THE HUTONG」と
呼びたくなってしまう場所。
そこで、この「THE HUTONG」で「白将軍胡同」という名前の由来をご紹介させていただきます。
この胡同は明の時代にはすでに形成されていたようで、初めは、白浆(醤)糊(baijianghu・のり)
で天井貼りなどをしていた職人さんがこの胡同に住んでいたので「白醤児(baijiangr)胡同」と呼
ばれていたそうです。それが中華民国期の1913年前後に「それでは雅趣に欠ける」という理由で
現在の「白将軍(baijiangjun)胡同」に改名されています。
「白醤児(baijiangr)胡同」と「白将軍(baijiangjun)胡同」はほぼ同じ音で、同音・諧音によ
る名前の変化ですが、実はこの「白将軍」はこの胡同に住んでいたことのある実在の人物でした。
名前は「白鎔 (bairong・1769年~1842年・文字化けの場合に備えて書きますと「rong」は金偏に
「容」)。乾隆五十四年(1789年)翰林院庶常館教習を振り出しに、その後、嘉慶・道光両朝の実録
の編纂に参与、皇帝直講官などを歴任した人物。
白鎔さんは本来文官であったのですが、その経歴の中に「武挙(武科挙)会試」の総裁官の経験が二度
あり、そのため「武官」の官名である「将軍」を称することを自他共に許されていたようです。
なお、彼について「邦有典型、古之君子、公心是石、公名不磨」という評言があるようですが、言行や
名と体との不一致の多かった役人の中で彼は儒教を絵に描いたような人生を貫いた人物であったのでは
ないかと思われます。
「白醤児(baijiangr)胡同」と「白将軍(baijiangjun)胡同」。
一つはいたって庶民的でもう一つは庶民からは遠く離れた誇らしげな名称。
どちらの名前が優れているかどうかはさておいて、そこにはおそらく時代状況や名づけた人たちの心の
あり方が反映されているはずで、同じ胡同でも時代の違いによって名前が変わっているのは興味深い。
では、白浆(醤)糊(baijianghu)で天井貼りなどをしていた職人さんと「白将軍(baijiangjun)」は
この胡同内のどこに住んでいたのか。残念ながら職人さんについては分っていないようですが、将軍に
関しては分っていて、それは次の写真の右のお宅。現在の住所で「15号」。
鳥籠と小鳥、蔓巻き用の棚、そしてこの胡同の由来となった人物が住んでいたという三点セットのこの
路地はまさしく「THE HUTONG」。
写真に写っている鉢植えの並んだお宅の裏の一帯が「白将軍」が住んでいたことのある場所。今後
この白将軍という名前とその名に由来する胡同名を何らかの形で目にする機会が増える可能性があるか
も知れません。もちろんそれはそれで喜ばしく、慶賀すべきことなのですが、もしそのために職人さ
んの職業に基づいた「白醤児(baijiangr)胡同」という名前が白将軍およびその胡同名の陰に隠れて
見えなくなってしまうようなことがあるとすれば、それはあまりに惜しい。
職人さんが実在の人物であったとすれば、その職人さんはどんな人物で、どんな仕事ぶりだったのか。
きわめて魅力に富んだ興味深いテーマですが、それはさておき、おそらくその職人さんに関して何ら
かの際立った特徴があったにちがいなく、だからこそ「白醤児(baijiangr)胡同」という胡同名の由
来にもなったのであって、もしこの職人さんとそれに基づく「白醤児(baijiangr)胡同」という胡同
名を亡失してしまうようなことがあるとすれば、それはこの胡同の経歴の少なからぬ部分の喪失を意味
しているのではないか。「白将軍」を称揚するあまりに白将軍を特化してしまうこと、それはこの胡同
自体の深い奥行きやそこに出来る濃淡陰影の喪失とそれに伴うこの胡同の平板化とを意味しているので
はないかと思います。
「THE HUTONG」を後にさらに進むと、「花瓦頂」の素敵なお宅がありました。
瓦を使って造られた「花瓦頂」。繊細な模様に仕上がっていますが、植物との配合がその繊細さを
いっそう引き立てているようでした。この「花瓦頂」があるために辺りの雰囲気まで柔らかくなっ
ているように感じてしまいます。
この胡同ももう少しで終点。
やはり玄関の上に飾りのあるお宅。八つの花模様が並んでいます。
胡同を歩く人の気持ちを和ませてくれる、ちょっとした工夫。
左側に物置が見えますが、その物置の屋根に子供用の運動靴が干してありました。
やはり左側。一列に門墩が並んでいます。
もちろんこれらの門墩は本来の役割を果たしていないのですが、このお宅の壁沿いが駐車場になって
いて、一列になった門墩はどうやらクルマ止めとして使われているようです。いかにも今時の胡同に
おける門墩使用法。
駐車場の前は路地。
まだ幼いヘチマがビニールシートで守られていました。
ヘチマ(糸瓜)。
中国語で「丝瓜(sigua)」。
英語では「dishcloth gourd」。「dishcloth」は布きん。「gourd」は瓢箪、ヘチマなど
ウリ科の植物やその実。合わせて「ヘチマ布きん」。
子供のころ、入浴グッズとして「ヘチマタワシ」は付き物でした。
大奥の女性たちも愛用していたという「ヘチマ水」。
咳止め、むくみ解消、利尿効果があり、食用ともなるヘチマ。
ヘチマはことわるまでもなく蔓性の植物ですが、人々に緑陰を提供する優れもの。
その蔓はどこまでも延び続け、たくさんの実をつけるので、万事発展・子孫繁栄
のシンボルとなっています。
後日、ビニールシートで守られたヘチマがどうなっているか知りたくて行ってみました。
胡同植物園になっていました。
そこで今回の記事の〆といたしまして「白将軍胡同」ならびに「蔡老胡同」に繰り広げられる
胡同植物園・お目出度いヘチマワールドをご覧いただきます。
まずは前回ご紹介した「オシロイバナ」のお宅から。
こんなになってました。
次は今回ご紹介した「THE HUTONG」。
続いては「第99回通州・蔡老胡同(その二)ヘチマ棚のある風景」でご紹介した「ヘチマ棚」を含む
蔡老胡同で見かけたヘチマワールド。
写っている女性は偶然通りかかったご近所さん。
そこへ姿を現したのは、この胡同植物園・ヘチマワールドを造ってしまった造園主さん。
立ち話に花が咲き始めているスキに写真を撮る私。
どこか「ひょうきん」で飄々としていて、しかも風格のあるヘチマの実。
ちなみに上と次のヘチマの実の写真は造園主さんの指示によって撮ったもの。
お宅の壁沿いには他の植物。
この植物園の造園主さんとご近所さんがメモ帳に書いてくださったのですが、中国語で
「五彩椒(wucaijiao)」。
日本語で「五色唐辛子」。唐辛子とはいうものの、この実は辛くありません。
英語で「Rainbow Pepper・Five-Color Pepper」。
初めは緑色で、赤・黄色・紫色などに変化する実。
日本語、中国語、英語とも、その名づけ方が視覚・嗅覚・味覚に基づいている点で共通しています。
前回ご紹介した「オシロイバナ」の名づけ方とは違った意味で興味深い。
ヘチマ棚のすぐ先の路地。
先にご紹介した胡同植物園の造園主さんが私の片腕をとるようにして盛んに「こっちの見て御覧なさい
よ」と私に薦めてくれたのですが、同じヘチマでも、ここで拝見したヘチマは時期がやや過ぎていたか
なと思われる時でしたが、その花の色が鮮やか。その上、レンガの色と花と葉の色の取り合わせが実に
綺麗でした。
写っているのは、ヘチマに関していろいろ教えてくださったこのヘチマを育てたご主人さん。
花も実もあるヘチマワールド、そして気さくな造園主さんやご近所さんたち。ここもまさしく
「THE HUTONG」。ヘチマの実のように再びぶらりと訪れてみたい。
しばらく進んだ所のお宅のファザード。
玄関脇には大きなヘチマの実がぶら下がっていました。
玄関横の壁沿い。
まるでヘチマの葉で創ったアート。
胡同は日々アートが制作されるアトリエ。
よく見ると、ここにも「五彩椒」がありました。
さらに進み、やはりファザード。
ヘチマが電線に巻きついていました。
蔓性という特性をいかんなく発揮した、強さとしなやかさをあわせ持ったヘチマたち!?
ヘチマの蔓は、中国語で「丝瓜藤(siguateng)」。この「藤」は植物の蔓のこと。日本で「藤」と
いうのは中国語で「紫藤(ziteng)」。ヘチマの蔓の中国語は棚に下がった藤の花を連想させる綺麗
な名前です。
「ヘチマの花」は、季語としては夏、「ヘチマ」で秋。
通州の胡同もこれから秋を迎えようとしています。
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由来についてご紹介したいと思います。その前にまずは胡同歩きから。
写真はこの胡同と中街(胡同)とが交わった所から東側。
門墩(memdun)のある家がありました。
門扉も年季が入っていますが、門墩(memdun)も同様です。
太鼓の部分の彫り飾りは削り取られていましたが、幸い下の「錦鋪」には植物の模様が残っていました。
確かなことは言えないのですが、私には梅の花のように見えました。もしそうだとすると、梅はまだ寒い
冬に花を咲かせる、生命力の強い花で吉祥図。
(「錦鋪」は、台座の上に錦布を掛けたように見える三角の部分の名称。)
上のお宅の前辺りから東側。
少し進むと左側のお宅の入り口からなかなかいい味を出した壁の一部が見えたので
近づいて覗いてみると。
予想だにしなかったワンちゃんとのご対面。
慌てふためく私、「泰然自若」そのもののワンちゃん。
そそくさとワンコ先生の前からひきさがると、右側にやはり門墩のあるお宅。
左右とも太鼓の部分の彫り飾りは「蓮」。吉祥紋様。
「錦鋪」の模様は上は「石榴」。「石榴」にはたくさんの男の子を授かるようにという願いが
込められているそうですが、この「石榴」で思い出すのは、石榴の実を右手に持っている「鬼子
母神」。鬼子母神が石榴を持っているのは、人の子をとって食べてしまう鬼子母神に、お釈迦様
が子を失う悲しみを教えたことに由来しているとか。そんな鬼子母神は、安産と子供を守る神様。
下の写真のものは長寿のシンボル「桃」のように見えました。二個あるというのは、ひょっとし
て夫婦を表しているのかも知れません。もしそうだとすると、夫婦そろっていつまでも仲良く長
寿という、いたってお目出度い図柄です。「桃」と言えば、なにはなくとも「桃太郎」。桃から
産まれた桃太郎だからこそ鬼退治ができたのかもしれません。桃には邪気を払う働きがあり、さ
ればこそ健康で長生きしたいという願いと結びついているのではないでしょうか。
門墩から目を上げると目に飛び込んできた風景。
中国語で「山墙(shanqiang)」と呼ばれる屋根を支える壁ですが、そこに見られる濃淡陰影。
見る者の眼を釘付けにしてしまう幽玄な世界。
さらに進むと、
窓枠に干された運動靴とサンダル。
違う日に訪れた時には、こんな可愛らしい靴も。
その斜め前のお宅の玄関。
二つでワンセットであるはずの門墩ですが、片方だけが残されていました。
「ここまでしなくてもいいんじゃあないかい?」と言いたくなるほど彫り飾りを削りとられながら
も容赦のない過酷な時代を生き延びた門墩。「苛政は虎よりも猛し」。彫り飾りを削りとったのは
儒教なるものを旧い教えとして否定した時代の人々ですが、その時代自体がまさにその時代の為政
者やそれに追随した人々によって否定された儒教の経典の一つに見られる「苛政は虎より猛し」と
いう状況であったことは、実に皮肉なお話でした。
その前にあるのは年季の入った壁、その右側には運動靴やサンダルが気持ちよく干されてあった、
増築されてまだ間もないのではと思しきお宅。そして、これら旧と新とが作りだした角地の隅に
まるで護符か何かのように置かれた、かつて生活の一部であった石臼の一部分。
胡同とは、それを歩く者によっては、決してこれ見よがしではない、磨きたてられたガラス張りの
陳列ケースなどには収まり切らない多くの時の集積した日常、そんな日常と地続きの「順路のない、
まるで起伏に富んだ迷路のようで、しかもどこまで広がっているのか不明な得体の知れない生きた
博物館」であるに違いありません。それゆえに胡同歩きは楽しい。しかし、だからこそ胡同歩きと
は実に油断のならない、困難に満ちた、あまりに無謀な営みなのかもしれません。
隣は路地。死胡同と言うそうですが、日本語では袋小路。
袋小路の前辺りから進行方向。
この辺で気分をちょっと変えて晴れた日に撮った写真をば。
向かって左側に路地がありました。
左側、壁沿いに鳥籠と小鳥。
路地の奥にはヘチマの蔓巻き用棚まであるではありませんか。
胡同につきものの鳥籠や小鳥や蔓巻き用の棚までそろったこの路地は思わず「THE HUTONG」と
呼びたくなってしまう場所。
そこで、この「THE HUTONG」で「白将軍胡同」という名前の由来をご紹介させていただきます。
この胡同は明の時代にはすでに形成されていたようで、初めは、白浆(醤)糊(baijianghu・のり)
で天井貼りなどをしていた職人さんがこの胡同に住んでいたので「白醤児(baijiangr)胡同」と呼
ばれていたそうです。それが中華民国期の1913年前後に「それでは雅趣に欠ける」という理由で
現在の「白将軍(baijiangjun)胡同」に改名されています。
「白醤児(baijiangr)胡同」と「白将軍(baijiangjun)胡同」はほぼ同じ音で、同音・諧音によ
る名前の変化ですが、実はこの「白将軍」はこの胡同に住んでいたことのある実在の人物でした。
名前は「白鎔 (bairong・1769年~1842年・文字化けの場合に備えて書きますと「rong」は金偏に
「容」)。乾隆五十四年(1789年)翰林院庶常館教習を振り出しに、その後、嘉慶・道光両朝の実録
の編纂に参与、皇帝直講官などを歴任した人物。
白鎔さんは本来文官であったのですが、その経歴の中に「武挙(武科挙)会試」の総裁官の経験が二度
あり、そのため「武官」の官名である「将軍」を称することを自他共に許されていたようです。
なお、彼について「邦有典型、古之君子、公心是石、公名不磨」という評言があるようですが、言行や
名と体との不一致の多かった役人の中で彼は儒教を絵に描いたような人生を貫いた人物であったのでは
ないかと思われます。
「白醤児(baijiangr)胡同」と「白将軍(baijiangjun)胡同」。
一つはいたって庶民的でもう一つは庶民からは遠く離れた誇らしげな名称。
どちらの名前が優れているかどうかはさておいて、そこにはおそらく時代状況や名づけた人たちの心の
あり方が反映されているはずで、同じ胡同でも時代の違いによって名前が変わっているのは興味深い。
では、白浆(醤)糊(baijianghu)で天井貼りなどをしていた職人さんと「白将軍(baijiangjun)」は
この胡同内のどこに住んでいたのか。残念ながら職人さんについては分っていないようですが、将軍に
関しては分っていて、それは次の写真の右のお宅。現在の住所で「15号」。
鳥籠と小鳥、蔓巻き用の棚、そしてこの胡同の由来となった人物が住んでいたという三点セットのこの
路地はまさしく「THE HUTONG」。
写真に写っている鉢植えの並んだお宅の裏の一帯が「白将軍」が住んでいたことのある場所。今後
この白将軍という名前とその名に由来する胡同名を何らかの形で目にする機会が増える可能性があるか
も知れません。もちろんそれはそれで喜ばしく、慶賀すべきことなのですが、もしそのために職人さ
んの職業に基づいた「白醤児(baijiangr)胡同」という名前が白将軍およびその胡同名の陰に隠れて
見えなくなってしまうようなことがあるとすれば、それはあまりに惜しい。
職人さんが実在の人物であったとすれば、その職人さんはどんな人物で、どんな仕事ぶりだったのか。
きわめて魅力に富んだ興味深いテーマですが、それはさておき、おそらくその職人さんに関して何ら
かの際立った特徴があったにちがいなく、だからこそ「白醤児(baijiangr)胡同」という胡同名の由
来にもなったのであって、もしこの職人さんとそれに基づく「白醤児(baijiangr)胡同」という胡同
名を亡失してしまうようなことがあるとすれば、それはこの胡同の経歴の少なからぬ部分の喪失を意味
しているのではないか。「白将軍」を称揚するあまりに白将軍を特化してしまうこと、それはこの胡同
自体の深い奥行きやそこに出来る濃淡陰影の喪失とそれに伴うこの胡同の平板化とを意味しているので
はないかと思います。
「THE HUTONG」を後にさらに進むと、「花瓦頂」の素敵なお宅がありました。
瓦を使って造られた「花瓦頂」。繊細な模様に仕上がっていますが、植物との配合がその繊細さを
いっそう引き立てているようでした。この「花瓦頂」があるために辺りの雰囲気まで柔らかくなっ
ているように感じてしまいます。
この胡同ももう少しで終点。
やはり玄関の上に飾りのあるお宅。八つの花模様が並んでいます。
胡同を歩く人の気持ちを和ませてくれる、ちょっとした工夫。
左側に物置が見えますが、その物置の屋根に子供用の運動靴が干してありました。
やはり左側。一列に門墩が並んでいます。
もちろんこれらの門墩は本来の役割を果たしていないのですが、このお宅の壁沿いが駐車場になって
いて、一列になった門墩はどうやらクルマ止めとして使われているようです。いかにも今時の胡同に
おける門墩使用法。
駐車場の前は路地。
まだ幼いヘチマがビニールシートで守られていました。
ヘチマ(糸瓜)。
中国語で「丝瓜(sigua)」。
英語では「dishcloth gourd」。「dishcloth」は布きん。「gourd」は瓢箪、ヘチマなど
ウリ科の植物やその実。合わせて「ヘチマ布きん」。
子供のころ、入浴グッズとして「ヘチマタワシ」は付き物でした。
大奥の女性たちも愛用していたという「ヘチマ水」。
咳止め、むくみ解消、利尿効果があり、食用ともなるヘチマ。
ヘチマはことわるまでもなく蔓性の植物ですが、人々に緑陰を提供する優れもの。
その蔓はどこまでも延び続け、たくさんの実をつけるので、万事発展・子孫繁栄
のシンボルとなっています。
後日、ビニールシートで守られたヘチマがどうなっているか知りたくて行ってみました。
胡同植物園になっていました。
そこで今回の記事の〆といたしまして「白将軍胡同」ならびに「蔡老胡同」に繰り広げられる
胡同植物園・お目出度いヘチマワールドをご覧いただきます。
まずは前回ご紹介した「オシロイバナ」のお宅から。
こんなになってました。
次は今回ご紹介した「THE HUTONG」。
続いては「第99回通州・蔡老胡同(その二)ヘチマ棚のある風景」でご紹介した「ヘチマ棚」を含む
蔡老胡同で見かけたヘチマワールド。
写っている女性は偶然通りかかったご近所さん。
そこへ姿を現したのは、この胡同植物園・ヘチマワールドを造ってしまった造園主さん。
立ち話に花が咲き始めているスキに写真を撮る私。
どこか「ひょうきん」で飄々としていて、しかも風格のあるヘチマの実。
ちなみに上と次のヘチマの実の写真は造園主さんの指示によって撮ったもの。
お宅の壁沿いには他の植物。
この植物園の造園主さんとご近所さんがメモ帳に書いてくださったのですが、中国語で
「五彩椒(wucaijiao)」。
日本語で「五色唐辛子」。唐辛子とはいうものの、この実は辛くありません。
英語で「Rainbow Pepper・Five-Color Pepper」。
初めは緑色で、赤・黄色・紫色などに変化する実。
日本語、中国語、英語とも、その名づけ方が視覚・嗅覚・味覚に基づいている点で共通しています。
前回ご紹介した「オシロイバナ」の名づけ方とは違った意味で興味深い。
ヘチマ棚のすぐ先の路地。
先にご紹介した胡同植物園の造園主さんが私の片腕をとるようにして盛んに「こっちの見て御覧なさい
よ」と私に薦めてくれたのですが、同じヘチマでも、ここで拝見したヘチマは時期がやや過ぎていたか
なと思われる時でしたが、その花の色が鮮やか。その上、レンガの色と花と葉の色の取り合わせが実に
綺麗でした。
写っているのは、ヘチマに関していろいろ教えてくださったこのヘチマを育てたご主人さん。
花も実もあるヘチマワールド、そして気さくな造園主さんやご近所さんたち。ここもまさしく
「THE HUTONG」。ヘチマの実のように再びぶらりと訪れてみたい。
しばらく進んだ所のお宅のファザード。
玄関脇には大きなヘチマの実がぶら下がっていました。
玄関横の壁沿い。
まるでヘチマの葉で創ったアート。
胡同は日々アートが制作されるアトリエ。
よく見ると、ここにも「五彩椒」がありました。
さらに進み、やはりファザード。
ヘチマが電線に巻きついていました。
蔓性という特性をいかんなく発揮した、強さとしなやかさをあわせ持ったヘチマたち!?
ヘチマの蔓は、中国語で「丝瓜藤(siguateng)」。この「藤」は植物の蔓のこと。日本で「藤」と
いうのは中国語で「紫藤(ziteng)」。ヘチマの蔓の中国語は棚に下がった藤の花を連想させる綺麗
な名前です。
「ヘチマの花」は、季語としては夏、「ヘチマ」で秋。
通州の胡同もこれから秋を迎えようとしています。
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