北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第120回 通州・南三条胡同 坂のある路地を歩く

2016-12-07 11:50:01 | 通州・胡同散歩
南三条胡同。





人を包み込むようなほどよい道幅、その謎めいた静けさ。惹かれますよね。



歩いて行くと屋根越しから不意に顔を出す柿の木。





ウエストのくびれた蓋柿。この柿、凍柿子にして食べると美味い。
冬の寒い夜中、外に出しっ放しにして、がっちんがっちんに凍らせましょう。それを
水につけたり、外で陽に当てたりして、じっくりと解凍。決して慌てちゃいけません。
すると、とろーんとした柿菓子の出来上がり。どうぞお召し上がりを。

日本では10月26日は『柿の日』。
正岡子規が「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句を詠んだのが1895年10月26日であったことに
因んでいるそうです。

北京の柿で想い出すのは、小説家・劇作家の老舎。
52歳の老舎が1950年の4月から1966年8月に68歳で亡くなるまでの16年間住んだ三合院“丹柿小院”。
1951年老舎はその中庭に柿を2本植えています。小動物や草花の好きだった老舎。胡同っ子の面目躍
如!! “丹柿小院”は、草花で溢れていたそうです。

「柿」は中国語で「shi」。これは「事」「世」と同音。「事事如意、世々平安」。何事も思い通りに、
代々平安無事でありますように。老舎もそんな思いを込めて柿の木を植えたのでしょうか。

“丹柿小院”は、灯市口西大街豊富胡同19号。老舎が亡くなる1966年以前、北西角が老舎の書斎でした。










アール・ヌーボー風の飾りのあるドアがありました。



正岡子規が短歌や俳句を詠んでいた19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花する
アール・ヌーボー。小動物や草花をこよなく愛した老舎が生まれたのはやはり19世紀末の1899年。
その老舎の父が北京に侵入してきた八ヵ国連合軍との戦闘で戦死したのは1900年。正岡子規が亡く
なるのはその二年後でした。子規の忌日が“糸瓜忌”というのはご存知の通り。
柿からドアの植物模様へ。いっけん無関係に見える子規、老舎、そしてアール・ヌーボーの三者が
植物を介して幅狭い胡同で不意に出遭い、交錯してしまった瞬間でした。

目を移すと、アール・ヌーボー後の時代を髣髴とさせるシンプルでモダン、それでいて懐かしいデザ
インの軒灯シェード。



そんなシェードの軒灯はドアの植物模様のような、そして風車(かざぐるま)のような温かみのある灯り
を胡同に投げかけるのでしょうか。






生活感あるシーンを通り過ぎます。





干された洗濯物。突然雨が降り出したら、どうするの?
通りがかりやご近所さんが声をかける。これが胡同の作法なのだ。
以前、フォトグラファーのZさんとくねくね曲がりくねった胡同歩きをご一緒した時のこと。
突然雨粒がぽつぽつと落ちてきた。
「雨が降ってきたよー」
Zさんが住民に聞こえるような声を出した。Zさんは身を持って胡同を教えてくれる北京っ子、
胡同っ子なのです。






昔は広い敷地だったことを推測させる長く続く塀。









突き当りを右に曲がると坂。
今までは西から東方向へ歩いていたのですが、ここから北から南方向へ。





上りであれ下りであれ、坂道はロマン。





道端に置かれた陰陽一対の甕。





甕は、かつてごくありふれた生活の一部でした。そんな甕が路上に置かれていると、ここは胡同
なのに日本庭園に迷い込んだような、日本間にしつらえられた床の間を目の前にしているような
気がしてしまうから不思議です。



甕の正面は、やはり坂道。



この坂道の風景にも変化がありました。三年前。





突き当たりまでが南三条胡同。左へ曲がる坂をさらに下っていくと、昔、城壁のあった頃の
通州城南端・東順城街。



歩く度につい振り返ってみたくなってしまう坂道。



いたって月並みですが、私はこの坂道を見返り坂と呼んでいます。



南三条は、繰り返し繰り返し歩いても歩き終えることが寂しくなってしまう滋味あふれる胡同。
北京旧城内にも坂のある路地がございましたら、コメント欄までご一報を。よろしくお願い致します。



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