北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第133回 通州・周倉庵胡同(その四) 南端と名前の由来となった場所

2017-03-21 12:10:26 | 通州・胡同散歩
写真の正面奥、道が二つに分かれています。
まっすぐ進むとこの胡同の西の端、左に行くと南端の出入り口です。



ワンちゃんが向かっているのが南端への道。
今回は、南端の出入り口まで歩き、続いてこの胡同の名前の由来となったといわれる
場所を訪れてみたいと思います。



それでは歩きます。





三輪車がやっと通れる道幅で、しかも直進できないところがいかにも胡同。



胡同を歩いていて、宅急便の人にどう行ったら目的の住所に行き着くかを尋ねられた
ことがありました。何回か歩いたことのある胡同ならば連れて行くという手もあったの
ですが、初めての場所だったので、私に分かるわけもなく、「日本人の私にどうして訊
くかなぁ」と心の中でつぶやき、思わず日本語で「困ったなぁ」と声に出して言ったこ
ともありました。

ちなみに、中国などのオンライン百科系の地図にはこの界隈の胡同はほとんど載ってお
りません。ほんの少し載っている胡同もあるにはあるのですが、その場合でも地名が間
違っていることが多く、当てにできないというのが実情です。断るまでもなく、携帯電
話でちょいちょいっと調べることなど出来ません。

個人的な話しで恐縮ですが、だからこの界隈の胡同を歩くということ、それは「目探り、
手探り、足探り」の連続なのです。しかし、近頃は「目探り、手探り、足探りがまだま
だ足りないなぁ」、つくづくそう感じています。







次の写真の細い道を行くと南端。
横切っているのは「悟仙観」という胡同です。



右側の壁に「福」の字が。



前回、「この国の人は植物の力を信じ、植物の力がわざわいから人間を護ってくれる、
そう信じているかのようです」と書きました。壁の「福」という漢字を見るとこの国
の人たちが「言葉の力」「漢字の力」も信じていると書き添えなくてはなりません。
正月に見られる「春聯」がその具体例です。





左側のお宅の宅門に「春聯」と「門神」。



「門神」。
春聯と同じく年の瀬に門扉に貼る護符。甲冑をつけ、矛を持ち剣を帯び、いかにも
いかめしいいでたちですが、悪鬼が門から侵入するの防いでいるのです。
この宅門に貼られている二人の武人は、唐の太宗にも仕えたという、実在の人物。向かって
左「尉遅恭(うつちきょう・尉遅敬徳とも)」、右は「秦叔宝(しんしゅくほう・秦瓊とも)」。

唐の太宗が夜、悪鬼に悩まされて安眠できなかったとか。そこで勇名を馳せる秦叔宝と尉遅恭
の二臣を門に立たしめたところ効験があったそうです。そこで画工に命じて彼らの像を描かせ、
宮門に懸けるようになり、これが後世に受け継がれたとか。







植物の紋様。吉祥を表していることは言うまでもありません。



蓮の花。やはり吉祥紋様。



壁にもありました。



その対面の壁を辿ると・・・



吉祥紋様ではなく、上からペンキを塗られてしまった(?)プレート!!



「周倉庵胡同」。
この胡同は清代にはすでに形成されていたそうで、その時の名前は「周禅庵胡同」また「周禅林
胡同」と呼ばれていました。その名前からお分かりのように「周禅庵」という(おそらくは禅宗
系の)寺が近くにあったことに由来しています。

時代が下って中華民国期の1913年前後「周倉庵胡同」と改名。それまでの「周禅庵」に『三国志
演義』などでおなじみの“周倉”が祀られたことに因んでいるそうです。(『北京胡同志』北京
出版社を参照)

周倉は「関羽」の側近として有名ですが、「関帝廟」に関羽の子・関平とともに随神としても祀
られています。「周倉庵」にはその名前から周倉一人だけが祀られていたと考えてよい訳ですが、
なぜ周倉だけが、しかも中華民国期に祀られたのかという深い理由については今の私には不明で
す。なお、『三国志演義』に登場する、また「関帝廟」に祀られている関羽と関平は歴史上の実
在の人物、それに対して周倉は架空の武人でした。

『北京胡同志』によると「周倉庵」の建物の一部が残っているそうです。ただし、この本は2007
年に出版されていますので、10年後の現在どうなっているのかは分かりません。場所はこの胡同
南端からすぐのところ、住所は「悟仙観9号」(旧住所名「南倉街」)。



春聯が貼られています。



やはり「言葉の力」「漢字の力」への信頼が感じられる玄関。



中に入ります。



入ると蔓巻き用の棚。いかにも胡同らしいお出迎えです。
夏に訪れたらさぞかし心地よかったのでは。



通路が二手に分かれています。
まず、まっすぐ進んでみたいと思います。



残っているという建物に気をつけて歩かなければなりません。
しかし、素人の私に分かるかどうか、まったく自信がありません。
見逃してしまう可能性はたっぷり。



瓢箪と唐辛子。これは造花ですが、縁起物なので掛けていらっしゃるのです。





こちらは本物。





あまりに静かなので気がつかなかったのですが、右手にハト小屋がありました。



ハト小屋の対面に通路。



日本で見かけるものよりも小振りで、燃焼時間の短い煉炭。
「優質煤」という、燃焼時に発生する一酸化炭素などの有害物質の少ない練炭です。





行き止まりなので元のところに戻ります。
それにしても残っているという建物の姿が見当たりません。
ただ単に素人の私が見過ごしているだけなのか・・・。

ところで、それはそれとして雑院化した敷地内を拝見して、もちろん私見にすぎないのです
が、改めて感じたことがありました。その感じたことをうまく表現できないもどかしさもあ
るのですが、あえて言葉にすれば次のようになるかもしれません。
雑院化した敷地内には、全てがという訳ではないのですが、あり合わせのものを寄せ集めて
作ったという趣きが溢れています。私にはそこにある種の繊細さや強靭(つよ)さが融けあっ
たような、いまだ形を成していないプリミティブな何かが感じられてしかたがないのです。


さて、個人的な感想などはさておいて、次の写真の右に行くと今までご紹介した通路。
今度は左に行ってみます。





左手に見える建物の柱や屋根の軒に注目してみました。
ひょっとして残っているといわれる建物の一棟なのでは。



もちろん改築や改造などなされているのでしょうが、この建物には今までご紹介した建物とは違い、
すでに7,80年以上は経っているのでは、と思われる風格や貫禄が感じられました。

もちろん、現在は居住している方がいらっしゃいます。



白いドアに紅い春聯が鮮やか。
酉年なので鶏だってドアの真ん中に貼られています。
ちなみに、魚が描かれていますが、魚は中国語で「yu(ユィ)」で「余裕」の「余」と同音。
他にも吉祥模様が盛りだくさん。



対面のお宅です。



ドアに、どーんと大きな「福」の字。
そしてやはり魚の絵、他にも吉祥模様。



そして、窓辺には鉢植え。



上のお宅の角を曲がると、奥に「これぞ!!」と思われる年季の入った建物が。



独りよがり、思い込みでないことを祈るばかりなのですが、これも今も残るといわれる建物の
一棟に違いありません。





ご覧のように扉も閉じられ、現在は無住のまま放置されていますが、建物にはやはり風格や貫
禄がありました。



上の出入り口の前、左側に通路がありました。



今度は右手に小道。



奥のお宅のドアの上には「愛在新春」と書かれた横批。



ここまで歩いてみて、確かにそれらが「周倉庵」の今に残るといわれる建物かどうか断言は
出来ないのですが、不備な点は多かったものの、とりあえずそれらしき二棟の古い建物を見
つけることができ、お蔭さまで自分では十分納得の出来る胡同歩きができました。そして、
何といっても、忘れがたいのは、「愛在新春」という漢字四字に出会えたこと。

これは大切だぞ、という物事があります。しかし、そういう物事にかぎって、いざ口に出して
みると、その瞬間にその物事の持つ重みがまるで蒸気のようにあっという間に消えてしまうも
ののようです。だから私は「愛在新春」という漢字四字を心の中に思い描きながら、周倉庵の
建物の一部が残るといわれる悟仙観9号をあとにしました。




 
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