永勝巷。
“不通行”と書かれている。
日本の場合だったら、「通り抜けられません」と言ったところだろう。
胡同を歩いたり、胡同について調べたりしていると、昔の北京には
寺廟など宗教施設の多かったことに気付く。
ここ、永勝巷もその一本だ。
場所は小喇叭胡同と同じく永安路沿い。二本東側にある。
胡同関係の本によると、今は昔、ここには道教宮観があったという。
名称は“斗姥宮(とろうきゅう/ドウラオゴン)”。
“斗姥”は別名「斗母(ドウムー)」で、北斗七星の母親のことだ。
建てられたのは康熙四十三年(1704年)。
そこで地名を“斗姥宮(とろうきゅう/ドウラオゴン)”といったと
光緒《順天府志》にはあるという。
その後「西斗母宮」と改名され、1965年に現在の「永勝巷」となった。
斗姥宮が建てられてから、かれこれ300年以上の歳月が流れているわけだ。
現在は一部改築、一部改修中だ。
この先は目下工事中のようだ。
いったんは日を改めて出直そうかと思ったが、可能な範囲で記録として
写真を撮っておくことにした。
突き当たりの8号院を東に曲がると、案の定改修工事中だった。
外壁にタイルを一枚一枚丁寧に貼ったあとの確認作業中。
そこで、わたしもちゃっかりとしゃがみ込み、しばし作業を見学する。
作業員さんは作業員さんで、
「どうです、うまいもんでしょ、ちゃんと写真に撮っておいてくださいね」
と思ったかどうかは定かではないが、カメラを向けると、作業の結果がよく
見えるような体勢をとってくれた。おおらかな作業員さんだ。
写真を撮ってから、よっこらしょと声に出して立ち上がり、思い出したように、
もう少し奥へ行ってみた。
この胡同は短い。突き当りを北へ行くと、あっという間に北端だ。
写真奥に玄関が見える。そこがこの胡同の最北端。
この日は、残念ながらこれ以上は先へ進めない。
引き返すと、8号院の玄関周りを先ほどの作業員さんが計測中だった。
「仕事はキッチリやらせてもらいますよ」、スケールをかまえる背中が
そう語っているように見えた。
タイル貼りは、まだまだつづく。
ちなみに、タイルの長さを測らせてもらったら、24センチ、6センチ、
厚さ1センチ2ミリだった。
日を改めて再び訪れることにして、次の胡同へと向かう。
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“不通行”と書かれている。
日本の場合だったら、「通り抜けられません」と言ったところだろう。
胡同を歩いたり、胡同について調べたりしていると、昔の北京には
寺廟など宗教施設の多かったことに気付く。
ここ、永勝巷もその一本だ。
場所は小喇叭胡同と同じく永安路沿い。二本東側にある。
胡同関係の本によると、今は昔、ここには道教宮観があったという。
名称は“斗姥宮(とろうきゅう/ドウラオゴン)”。
“斗姥”は別名「斗母(ドウムー)」で、北斗七星の母親のことだ。
建てられたのは康熙四十三年(1704年)。
そこで地名を“斗姥宮(とろうきゅう/ドウラオゴン)”といったと
光緒《順天府志》にはあるという。
その後「西斗母宮」と改名され、1965年に現在の「永勝巷」となった。
斗姥宮が建てられてから、かれこれ300年以上の歳月が流れているわけだ。
現在は一部改築、一部改修中だ。
この先は目下工事中のようだ。
いったんは日を改めて出直そうかと思ったが、可能な範囲で記録として
写真を撮っておくことにした。
突き当たりの8号院を東に曲がると、案の定改修工事中だった。
外壁にタイルを一枚一枚丁寧に貼ったあとの確認作業中。
そこで、わたしもちゃっかりとしゃがみ込み、しばし作業を見学する。
作業員さんは作業員さんで、
「どうです、うまいもんでしょ、ちゃんと写真に撮っておいてくださいね」
と思ったかどうかは定かではないが、カメラを向けると、作業の結果がよく
見えるような体勢をとってくれた。おおらかな作業員さんだ。
写真を撮ってから、よっこらしょと声に出して立ち上がり、思い出したように、
もう少し奥へ行ってみた。
この胡同は短い。突き当りを北へ行くと、あっという間に北端だ。
写真奥に玄関が見える。そこがこの胡同の最北端。
この日は、残念ながらこれ以上は先へ進めない。
引き返すと、8号院の玄関周りを先ほどの作業員さんが計測中だった。
「仕事はキッチリやらせてもらいますよ」、スケールをかまえる背中が
そう語っているように見えた。
タイル貼りは、まだまだつづく。
ちなみに、タイルの長さを測らせてもらったら、24センチ、6センチ、
厚さ1センチ2ミリだった。
日を改めて再び訪れることにして、次の胡同へと向かう。
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