Humoreske(小噺ひとつ)

ここでおひとつ、小噺をひとつ。
フモレスケはユーモアからきたことば。

960

2010-01-17 | 音楽♪命!
最近の我が家のCDプレーヤーからは、
Michael Jacksonが流れたかと思えば、
絢香だって流れるし、
ジェイク・シマブクロが流れていたかと思えば
ベートーヴェンのシンフォニーが流れたりもする。
ミリー・ヴァーノンが流れる日もあれば、
フランク・シナトラが流れる日もある。。。

雑食で聴いている時ってのは、意外と心を
音楽が素通りしているもんで、
スピーカーから広く音楽が流れていると、私は
広がる分、音楽に集中しないかも。

だから、、、
寒い夜、星空の下で、ipodから聴く音楽が、
意識を完全に音楽に集中させているので、
びっくりするほどに感動してしまったりしみてしまったりする。

最近、、、

ああ、今の心情に一番近いかもしれないなあと思うのは、

シューベルトのピアノソナタのD.960だったりする。
渋すぎるといわれるとそうなんだけど、
激しすぎず、乱れることもない、

規則正しいパルスの中にも、風は吹いていて、
泉のように湧く感情もあって、大事だと思うものも分っている、
切なさもある、そういうような、言葉にすると
どうしても陳腐になるような気持ちを、オイルでつつみこむ
かのようにしみわたるのが、この曲だったりする。

たとえば、ブラームスだったりすると、傷に塩を塗るような感じで
ちょっとしみたり、ベートーヴェンだと、何か
テーマが壮大すぎて、いきなり「人生」に飛んでしまうし、
ショパンやラフマニノフほど、ため息がもれるような
ドラマティックな生活は送ってはいないし、
かといって、シューマンほど、ファンタジーと思惑を
頻繁に繰り返している状態でもない。

そういう意味で、、、ハートサイズにぴったりな
気がするのが、シューベルトの音楽だったりする。

どうも、私にはそう思えることが多いのは
おこがましいけど、シューベルトの音楽に多いみたい。
でも、決して全部の曲を好きってわけではないんだけど
カルテットの一部とか、ピアノ曲の一部に、
ああ、自分がぴったり収まる箱があったなあと思えるような
心地よさを覚えることが多いかも。

逆を言えば、リンクしすぎて、ぶっとんでしまったことも
「死と乙女」を弾いててありました。。。

こんなことを書きならべると、変な奴だなあと
自分で思えるようになったということは、少しは大人になったのかも。

自分でもよくわからないのよね。

自分が音楽を感じる心ってのは、、、
17才くらいのときに、一気に荒れ地に花がさくようにして
ぶわっと沸き起こって以来、間欠泉の如く噴出してみたり、
こんこんと湧いて滝のようになってみたり、

いつからこうなってしまったのかが、不明。(笑)


それが、実は他の人も持っていて、自分が今まで
気づかずにいたことで、今さら気づいてひたすら勝手に
感動しているだけなのか、、、
冷静になれないことは、このお仕事には足枷のようにも
思って悩んだこともあったけど、、、
年々ひどくなっていっている気もするし。。。

感動のメカニズムが人と同じなのか、ちょっといびつなのか。
よくわからなかったりします。

でも一つ言えるのは、何一つ特別なことではなくて、
空気の匂いや、
真昼間の透き通るような水色の空や、夕暮れ時の
言葉に表すこともできないような自分の目に映る色や、
夜空に青や赤の星がまたたくことや、
小川に水がながれて、そこに立ち上るひんやりとした
空気があって、草のしめったような匂いがするのとおんなじように、

音楽が流れているような気がする。。。

ああ、

月があんなにも丸い!こんなにきれいな月は
次にいつみられるかもわからない、特別な気がする。

ああ、

太陽があんなに真っ赤に燃えて!
隣にいる人の目にも同じ赤が燃えているのか、
それとももっと違う色なのか、、、

同じ音楽を聴いて、、、
感じ取ることが、、、

日によっても違うし、
飽きもすれば新鮮に思うこともあるし、

相変わらずそういう意味では、
自分のしくみを
わかっちゃいないかもしれないな。。。



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