語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>高レベル放射性廃液400立方メートル in 東海村

2012年02月18日 | 震災・原発事故
 3・11、東海第二原発は津波の襲来を受け、危機一髪だった。地震直後に自動停止したが、東電からの送電は停止。非常用発電機は3台あったが、うち1台(北側に配置)は冷却用の海水ポンプが水没して使用不可能になった。2台(南側)は使えたが、津波を防ぐための側壁は、なんと2日前に完成したばかりだった。
 村上達也・東海村長がこの話を聞いたのは、大震災から約2週間後だ。

 南側に完成した新しい側壁は、高さ約6m。古い側壁は4.9m。襲ってきた津波は、5.3mだった。北側の側壁は、配管部分がまだ開いていた上に、古くて低い側壁の部分が残っていた。
 この側壁工事には、紆余曲折があった。
 政府の地震調査研究推進本部が地震と津波の危険性を警告したにも拘わらず、内閣府の中央防災会議は無視。日本原子力発電が新しい側壁の工事にとりかかったのは、政府とは別に調査していた茨城県が想定した津波の高さに従ったからだ。

 村上村長が、完全に政府を信用しなくなったのは、事故後3ヵ月へた昨年6月18日だ。海江田万里・経産相が原発の安全宣言を発し、運転再開のゴーサインを出した時だ。
 「これはだめな国だと思った。解決への道筋さえできていないという時に原発を再開すると言う。こんなばかな国に原発を置かれてはたまったものではない。国に完全に不信感を抱きました」

 完全な不信感のはるか前に、不信感の芽生えがあり、不信感の増幅があった。1997年3月11日の東海村の動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現・日本原子力研究開発機構(JAEA))の再処理施設内の火災事故があり、その再開申し入れを受けることになっていた日の前日(1999年9月30日)に発生したJCOの臨界事故があった。JCO事故で表面化したずさんな核燃料官吏体制に、原子力への不信感が増幅された。

 いま村上村長が懸念することが、一つある。
 東海村にあるJAEA核燃料サイクル工学研究所の再処理施設にたまった高レベル放射性廃液だ。約400立米ある。六ヶ所村の再処理工場にたまった廃液約240立米に比べて、格段に多い。
 廃液が海に漏れた場合、北半球の海域に及ぼす影響は甚大だ。人類の生存に関わるのではないか、と言われている。

 村上村長は、以下のように語る。
 再処理施設は、原発と違って、どこをどう押さえたら安全か、はっきりしない。安全確保が不十分だ。
 再処理施設どころか原発54基をこんな地震列島に集中立地させたこの国の政府は、原理原則がなく、自分の頭で考えて方向転換できない。戦前、日中戦争の泥沼に入っていった時と同じだ。
 今、原発を止めたらエネルギーの確保はどうするか、という議論の立て方をしている。それは違う。原発政策は福島から出発しなければならないはずだ。地域社会のあり方も、避難している市町村を考えねばならない。明確な救済策を出さない政府には、不信感しかない。

 以上、佐藤章(編集部)「東海村村長の「脱原発」」(「AERA」2012年2月20日号)に拠る。
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2 コメント

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あまり知られていない放射性廃液 (一般市民)
2012-07-15 17:27:31
高濃度放射性廃液のことが
あまり知られていません
電源喪失したらここもアウトでしょう。
東海村がやられたら首都圏3000万人
移住させれるかもしれませんね。
風紋 (あまり知られていない放射性廃液 )
2012-07-16 12:47:09
 今でさえ、首都圏も福島第一原発事故の被害をこうむっています。
 さらに東海村となると、首都圏は、そして、ひいては東日本はアウトですね。
  

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