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2010年1月29日開設
読書
大岡昇平+社会問題・社会保障

【佐藤優】国教は習慣というかたちをとる ~『牙を研げ』~

2017年05月15日 | ●佐藤優
 (1)一見宗教という形態をとらない、生活に埋め込まれている宗教は、いろんな年中行事にあらわれてくる。だから、習慣に近づいてくる。

 (2)国教は、必ず習慣というかたちをとる。
 〈例〉戦前における日本の国家神道は、じつは宗教ではない、とされていた。国家神道は宗教ではなく、日本の臣民の習慣だった。だから、神社には行かないといけなかった。靖国神社や明治神宮の横を通るときは頭を下げないといけなかった。

 (3)戦前、神社で頭を下げるのは異教の神に頭を下げることだというので、カトリック系である暁星中学と上智大学の学生が靖国神社の参拝を拒否したことがあった。すると軍部がかんかんになり、日本のカトリック教会は震え上がって、神社参拝は可能かどうか、バチカンにお伺いを立てた。バチカンからは、民族の習慣だから可能である、という回答がかえってきたけれども、戦前の陸軍はへそを曲げて、暁星中学と上智大学には軍事教練のための教官を送らなかった。そのために、ほかの大学の学生は軍事教練に合格したら兵役免除があるのに、暁星中学と上智大学の学生は兵役免除が認められなかった。
 その後、戦争がはじまると他の大学の免除も段階的に変わっていったが、戦前、上智に入学するということは戦場に連れていかれることを意味したので、非常にリスクが高かった。一回反抗した者を軍は許さなかったのだ。

 (4)今の日本でも国家宗教をつくる動きはある。
 〈例〉靖国神社は神道だからけしからん、だから宗教に中立的な国立追悼施設を設置すべきだ、という人がいる。
 これは、じつは恐ろしい話だ。追悼という行為自体が宗教行為だから、そもそも中立的な施設はあり得ない。しかし、公明党すらそれに好意的だ。ということは、国家神道に抵抗した創価学会の伝統から学んでいるはずの公明党の人たちにしても、国教が習慣というかたちをとることに気づいていないわけだ。日本基督教団にしてもそうだ。

 (5)我々の場合、宗教に関する理解がなかなか難しい。無宗教だといっても、文化庁の統計だと、各宗教団体の申告による信者数の合計は2億人程度になる。
 日本では、生まれたときはお宮参り、七五三で神社に行って、結婚式はキリスト教でやって、お葬式は仏教・・・・というかたちで宗教を変えていくことができる。こういう、さまざまな宗教を受け入れるのを宗教混合(シンクレチズム)という。
 このシンクレチズム的な土壌があると、外国の文物を受け入れるのは、非常に楽だ。八百万(やおろず)の神様がいるときに、キリスト教の神が来れば八百万一番目に入れればいい。ダーウィニズムが来れば八百万二番目に入れればいい。そうやって、ありとあらゆるものを包摂できるのだ。
 しかし、そうすることによって、何が絶対に正しいのか、あるいは私はこの信念によって動くという意識は希薄になって、長いものに巻かれろという感じになってくる。それが日本人の宗教観の特徴だ。

□佐藤優『牙を研げ 会社を生き抜くための教養』(講談社現代新書、2017)の第2章の「⑤国教は習慣というかたちをとる」
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 【参考】
【佐藤優】紅白歌合戦の、カオスからコスモスへ ~『牙を研げ』~
【佐藤優】武士政権成立前後のグローバリゼーションと反グローバリゼーション  ~『牙を研げ』~
【佐藤優】プロテスタンティズムという思考の鋳型  ~『牙を研げ』~
【佐藤優】日本兵は捕虜になるとよくしゃべる理由、米軍の日本研究  ~『牙を研げ』~
【佐藤優】ソ連軍の懲罰部隊が強かった理由、日本軍の「生きて虜囚の辱めを受けず」  ~『牙を研げ』~
【佐藤優】『牙を研げ 会社を生き抜くための教養』 ~各章の小見出し~
【佐藤優】『牙を研げ』 ~まえがき~
【佐藤優】『牙を研げ 会社を生き抜くための教養』 ~目次~

 

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