なだ いなだは、1964年、国立としては日本初のアルコーリズム専門治療施設(国立久里浜病院東六病棟)の責任者となった。
当時、治療法はおろか、アルコーリズムとは何かが、医療従事者にもよくわかっていなかった。看護職員や家族に説明しなければならない。患者に、自分がどんな病気にかかっているかを自覚させなければならない。
よいテキストがない。
ないから、自分で書こう。
こうしてできた啓蒙書、実用書が本書である。
1966年に初版が出て以来、医師にも患者にも33年間にわたって読みつがれてきた。
文庫化にあたって、統計をはじめ、随所に手が加えられている。文庫化からさらに10年たったが、いまではネットでも必要な資料をもとめることができる。
いや、資料はおおすぎるくらい多い。さればこそ、本書からアルコーリズムに対処する基本的な考え方をたしかめたい。
アルコーリズムは、いかにして生じるか。
ごく図式的にいえば、一日に清酒に換算して3合から4合を毎日飲みつづけ、10年間たつと、平均的な人間は手指のふるえや幻視など(振戦譫妄)をおここすようになる。
身体に病的、慢性的な変化が生じるのである。
アルコーリズムは、いつ生じるか。
コップに水を一滴づつたらしていくと、いつかは縁をあふれ出る。あふれだしたら、顕在患者となる。
その一滴前、十滴前がすでにアルコーリックである。
一人の顕在患者の背後に、十倍の潜在患者がいる。
アルコーリズムは、社会の文化・伝統・習慣の中で生きている人間の病気である。
たとえば、フランスでは、昼夜をわかたず、食事ごとにぶどう酒を飲む。国民一人あたりの年間飲酒量は、他の国に比べてダントツに多い。肝硬変による死亡率が高い。他方、酩酊を恥ずべき行為とみる社会の空気がある。
ひるがえって、日本では、腹をわった話をかわす時に、酒の力を借りることがおおい。
無礼講の社会的慣習もある。
時たまの飲酒で酩酊して反社会的行為におよんでも、酒のなせるわざと寛大に許される。
他方、勤務中に酒気を帯びるのは厳禁である。
そして、2002年(平成14年)には、道路交通法改正により、酒気帯び運転の基準が厳格になり、違反の罰則はきびしくなった。酒酔い運転も厳罰化された。
朝酒・昼酒は、酒なしではいられなくなったことを意味する、とされる。
わが国では、朝酒ほどうまい酒はない、と旅先でいっぱいやったりする習慣がある。
施設や法律は、それぞれの国の事情に応じたものでなければならない。
アルコーリズムには、心の病気と身体の病気というふたつが含まれる。
アルコーリックが毎日飲み続けるのは、飲まずにはいられないからである。アルコールにとらわれているのだ。この心の病気(嗜癖)に、身体的なとらわれが加わり、離脱症状(酒が体から減りつつあるときに生じる症状)をともなう身体的な病気としての中毒に進んでいく。肝硬変・食道癌・膵臓炎などの内科的疾患も出てくる。
アルコーリズムは、国民の身体的健康を損なう点で重要だが、社会的影響のほうが大きい。
無断欠勤、傷害・暴行や器物破損、交通事故、借金は、家庭を崩壊させるし、社会的地位を喪失させ、経済的な破滅につながる。
中川昭一前財務大臣のG7における失態は、国民の記憶にあたらしい。
アルコーリズムの治療は、糖尿病の治療に似ている。
糖尿病患者は一生食事療法を守らねばならない。
同様に、アルコーリックは一生断酒をつづけなくてはならない。
断酒は、日常の治療行為なのだ。日常の治療行為を守っているかぎり、社会生活を送ることができる。
入院は、通過点にすぎない。
病院の外でのケア、ソーシャルワーカーの活動が重要になる。
だが、日本では、ソーシャルワーカーの仕事に対する理解がじゅうぶんではなく、その地位が確立されていない。実績を積みつつあるが、まだまだ評価は低い。
なお、病院の外での治療には、断酒グループが大きな役割をはたしている。
日本人のアルコール消費量がかつてのヨーロッパの人なみになった今、アルコーリズムの社会的影響、対策の必要性はますます高まっている。
治療法、治療にあたっての経験的知恵、公衆衛生との関わり、対策とその財源の案まで、アルコーリズム対策の原点を本書で確認することができる。
□なだ いなだ『アルコーリズム −社会的人間の病気−』(朝日文庫、1999)
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当時、治療法はおろか、アルコーリズムとは何かが、医療従事者にもよくわかっていなかった。看護職員や家族に説明しなければならない。患者に、自分がどんな病気にかかっているかを自覚させなければならない。
よいテキストがない。
ないから、自分で書こう。
こうしてできた啓蒙書、実用書が本書である。
1966年に初版が出て以来、医師にも患者にも33年間にわたって読みつがれてきた。
文庫化にあたって、統計をはじめ、随所に手が加えられている。文庫化からさらに10年たったが、いまではネットでも必要な資料をもとめることができる。
いや、資料はおおすぎるくらい多い。さればこそ、本書からアルコーリズムに対処する基本的な考え方をたしかめたい。
アルコーリズムは、いかにして生じるか。
ごく図式的にいえば、一日に清酒に換算して3合から4合を毎日飲みつづけ、10年間たつと、平均的な人間は手指のふるえや幻視など(振戦譫妄)をおここすようになる。
身体に病的、慢性的な変化が生じるのである。
アルコーリズムは、いつ生じるか。
コップに水を一滴づつたらしていくと、いつかは縁をあふれ出る。あふれだしたら、顕在患者となる。
その一滴前、十滴前がすでにアルコーリックである。
一人の顕在患者の背後に、十倍の潜在患者がいる。
アルコーリズムは、社会の文化・伝統・習慣の中で生きている人間の病気である。
たとえば、フランスでは、昼夜をわかたず、食事ごとにぶどう酒を飲む。国民一人あたりの年間飲酒量は、他の国に比べてダントツに多い。肝硬変による死亡率が高い。他方、酩酊を恥ずべき行為とみる社会の空気がある。
ひるがえって、日本では、腹をわった話をかわす時に、酒の力を借りることがおおい。
無礼講の社会的慣習もある。
時たまの飲酒で酩酊して反社会的行為におよんでも、酒のなせるわざと寛大に許される。
他方、勤務中に酒気を帯びるのは厳禁である。
そして、2002年(平成14年)には、道路交通法改正により、酒気帯び運転の基準が厳格になり、違反の罰則はきびしくなった。酒酔い運転も厳罰化された。
朝酒・昼酒は、酒なしではいられなくなったことを意味する、とされる。
わが国では、朝酒ほどうまい酒はない、と旅先でいっぱいやったりする習慣がある。
施設や法律は、それぞれの国の事情に応じたものでなければならない。
アルコーリズムには、心の病気と身体の病気というふたつが含まれる。
アルコーリックが毎日飲み続けるのは、飲まずにはいられないからである。アルコールにとらわれているのだ。この心の病気(嗜癖)に、身体的なとらわれが加わり、離脱症状(酒が体から減りつつあるときに生じる症状)をともなう身体的な病気としての中毒に進んでいく。肝硬変・食道癌・膵臓炎などの内科的疾患も出てくる。
アルコーリズムは、国民の身体的健康を損なう点で重要だが、社会的影響のほうが大きい。
無断欠勤、傷害・暴行や器物破損、交通事故、借金は、家庭を崩壊させるし、社会的地位を喪失させ、経済的な破滅につながる。
中川昭一前財務大臣のG7における失態は、国民の記憶にあたらしい。
アルコーリズムの治療は、糖尿病の治療に似ている。
糖尿病患者は一生食事療法を守らねばならない。
同様に、アルコーリックは一生断酒をつづけなくてはならない。
断酒は、日常の治療行為なのだ。日常の治療行為を守っているかぎり、社会生活を送ることができる。
入院は、通過点にすぎない。
病院の外でのケア、ソーシャルワーカーの活動が重要になる。
だが、日本では、ソーシャルワーカーの仕事に対する理解がじゅうぶんではなく、その地位が確立されていない。実績を積みつつあるが、まだまだ評価は低い。
なお、病院の外での治療には、断酒グループが大きな役割をはたしている。
日本人のアルコール消費量がかつてのヨーロッパの人なみになった今、アルコーリズムの社会的影響、対策の必要性はますます高まっている。
治療法、治療にあたっての経験的知恵、公衆衛生との関わり、対策とその財源の案まで、アルコーリズム対策の原点を本書で確認することができる。
□なだ いなだ『アルコーリズム −社会的人間の病気−』(朝日文庫、1999)
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