日曜の7時代下り電車はすいていた。
待ち合わせの駅で友の顔を見れば、この間会ったのに妙に懐かしく安堵感がある。
電車の中でのおしゃべりは楽しく、あっという間に目的地の駅に、
空気の冷たさとと、雲一つない青空がまぶしい
歩き始めのゆるやかさとは違い、わき道にそれてからの歩きは砂利道と段差のある登りでイキ、絶え絶えだが
ときどき、なだらかな道は枯れ草が覆っていて滑りやすいが、サクサク、ザクザクの音は耳に心地よく
歩きながら見る木漏れ日はやさしく、ユックリ、ユックリとささやいているようだ。
それでも何とか登りきり、お腹がすいてる、せいもあってか一気に大平山お休み処まで、来たような気がする。
昼食の蕎麦はおいしく、ソバの味がわからぬ私でも、うーん旨いと思った。
それより美味しかったのはお茶、ゴメンナサイ
お腹が満足したところで、周りが見えてきた。もみじが色鮮やか、人が多い、景色がきれい
私の生き方もこんなもんかもしれない、登っている時は何も考えず、ただひたすらに地べたを見
周りを見る余裕もなく、ただなんとなく生きてきたのかも
とっくの昔から下り坂を歩いているのに、行きつく所に私の彩はあるのか
木々の紅葉みたいに散り際が一瞬でも色があればと考えることができたことは、とても有意義であり
それより登る時のハアハアと、木漏れ日のあたたかさ、蕎麦の美味しさを友と共有できたことが、
人生の一つの彩かもしれない、この時をくれた友にカンシャ、カンシャ