平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

同窓会に参加して思うこと

2012-08-30 03:45:27 | Weblog
今月の11日の郷里での同窓会参加については既に触れたが、約半世紀すぎた同級生は各人それぞれ人生の荒波を超えた素敵な顔をしていた。高校卒業以来一度もあっていない者もいたが私は結構記憶力もいいほうだし、同窓会の前に誰が参加するという事前の準備もしていたので殆どの同級生がすぐに分かった。参加同級生のうち私を含め3人の自衛官OBがいた。3/50人だから比率とすると相当高いと感じた。東日本大震災などの影響で自衛隊の活躍などの話も出たが、中でも気になったのが海猿《海上保安庁》と混同していることだった。そういえば殆ど服装は一緒だし、海難救助となると真っ白な船体の海上保安庁の船が目立つし、ネズミ色の護衛艦は映り映えはしない。混同されてもどうでもいいことだが、それほど直接個人個人に自衛隊も海保もあまり影響がないので混同するのだろう。個人的には混同して欲しくないなあ。やはり戦後のGHQのにわか作りの押し付け憲法と日本の立ち直りをさせないための徹底的な非武装平和教育のせいなのだろう。この年になって反省することは、臭いものには蓋をする、嫌なことや難しいことは避けて通る、願望すれば物事がそのとおりに成就する(戦争放棄すれば戦争は起こらないダロウ)ようなおかしな半世紀だったような気がするのだ。竹島・魚釣島などの話もこの国の対応はあまりにも国際的非常識なのだが、それを強調すると右翼思想として煙たがられる。そのうちに大々的には来襲しないものの、竹島も韓国のホテルや、軍施設、岸壁も完成し海上交通機関も充実し、実行上ではなく完全支配されるだろう。そうなってマスコミは韓国国旗がはためく竹島を報道せざるを得なくなり世界的にも韓国領竹島になるだろうし、一方尖閣も今の様子では丸腰、無防備状態の諸島の現実と何をやっても責めない、ふがいない日本の出方を見透かし突然数隻の漁船などでの魚釣島への上陸や海軍艦艇などの動員での実行支配に向けての具体的な動きが始まるだろう。 その時無為無策、平和主義者の日本はどうするのだろうか? 中国のやり放題を傍観し、《毅然たる態度で遺憾の意を表明する》しかないのか・・・・そんな政治家、政府は日本の毒でしかない。【今回写真なし】

不覚(胃検診)

2012-08-27 08:43:52 | Weblog
今朝もいつものように早起きで5時に起床した。朝食がいつも8時頃なので、8時過ぎたので家内に「まだかよ~」とうるさく催促した。家内は重い腰をあげ私の朝食を準備してくれた。待ちに待った朝食をパクパクと二口いただいた時に電話がかかってきた。「ご主人さん、今朝は胃カメラの日ですが・・・・」と。私はあっご飯を口に入れたまますっかり忘れていたことに気付いた。クリニックの先生には平身低頭お詫びお詫びだった。もう10数年前から誕生日の前後に胃カメラ、大腸検診を定期的にやっていたが、こんな不覚をとったことはなかった。まだ若いと自分では思っているが日常生活でも物忘れが多いことが最近目立つ。着実に年をとっているからだろう、若いのにはまだまだ負けないという精神面はあるが、神経面は確実に衰えている。気をつけなくっちゃ、他の人にも迷惑をかけることになる。反省しきりである。【写真なし】 

総理所信表明(尖閣・竹島・北方四島関連)

2012-08-24 20:07:09 | Weblog
今夕、野田総理は先日韓国大統領宛の《親書》を送ったものの、一蹴にされまたまた極めて遺憾、厳重に対処、不退転の決意、法と正義に則り・・・と言葉ばかりを並べた「弁論大会」もどきの所信表明の演説を行った。韓国との交渉は日本がドツボにハマるように螺旋階段を下りるように険悪な状態に進んでいる。韓国の主張、実効支配は40年以上も続いているのだから、《我が国固有の領土》と言っても始まらない。韓国側としては戦前、戦中の日本に対する恩讐、怨念がフツフツとしてはいるのだろうが、当時の韓国の状況では日本が植民地支配しないとしても、所詮中国、あるいはロシアにより植民地化されていた。経済も朝鮮人の生活も最低の時代だったし、人口も逓減(次第に減る)状態だったのだ。日本植民地政策が功を奏しいっきに人口なども増え、施設、交通網なども充実したのだが、支配されているという精神的苦痛と屈辱は日本の敗戦の日以降爆発した。韓国の日本語を話せる後期高齢者のかなりの人々が日本統治時代を懐かしく回想されているようだが、国策としてそのような報道は一切しない。そのような高齢者の方々が次第に亡くなられ、歴史認識を理解しない若い世代が主流となると今より一層日韓関係は難しくなるのではないかと危惧する。あれほどの侮辱、屈辱的な土下座外交をしているのに不謹慎と言われるかもしれないが、私個人の外交は双方が固有の領土と主張するだけでは解決にはならず、悪化の一途をたどるだけであり、万一軍事衝突にも発展しかねない。そこで竹島及び付近海域を緩衝海域などと設定し、両国が共有できないかと思うのだ。甘い考えかもしれないが、厳しい選択をし、海保や海自の隊員、あるいは軍事介入での双方のメンツだけを通す、無意味な紛争、その結果の被害など考えるとそのような選択も選ぶべきだと思う。どうして《けんか》したくなるのだろうか。 ふと10数年前、私が海上自衛隊幹部学校で勤務していた頃、当時の副校長S将補が韓国を忌み嫌っていた。韓国留学生もいたし、韓国の武官も時々来校していた。私は副校長が生理的に韓国を忌み嫌っており、そこまで嫌わなくても・・・と思ったが、卑怯、卑屈、不正義等々・・・。当時私は竹島という島名は知っていたくらいだが、今このような日韓関係になれば、副校長の韓国嫌いの意味がよく理解できる。それにしても韓国ドラマに打ち興じているファンはどんな心境なのだろうか。【読売新聞24日付編集手帳から---返歌の《わずかの中に誤字が2字あり》が面白い】

靖国神社参拝

2012-08-21 03:42:54 | Weblog
昨日、少し早めに自宅を出て九段の《靖国神社》に参拝した。毎年終戦記念日にお参りしているのだが、今年は帰省の関係で昨日となった。平日とあって比較的空いていたが、相変わらず残暑は容赦なく照りつける。ふと周りを見ると、おそらく英霊の御兄弟か未亡人だろうか、歌の文句どおり腰を真ん丸くし、杖を突いて介護されゆっくりゆっくり時間をかけ参詣されている超ご高齢のお婆さんがおられた。今年で最後だろう、来年は来れるかなあなどと息子さんであろう付き添いの男性と話しておられた。戦後67年も過ぎると御遺族の高齢化が進み、戦争の悲惨さや戦陣に散った英霊に対する尊崇のこころなどは徐々に薄れていくことだろう。若者に《英霊》と聞くと「イギリス人の幽霊?」なんてとんでもない時代が来たものだ。現在の平和が真の平和であって欲しいし、いつまでも続いて欲しいこと、更にこのよい時代のための犠牲になられた多くの御霊の安らかな御冥福を祈りつつ靖国神社を後にした。

平和主義者の日本人

2012-08-20 19:07:16 | Weblog
写真【msnニュースから拝借】はオリンピックのメダリストの銀座での凱旋パレードの様子である。あまりにも歳を取りすぎたのか、それとも人生の大部分を国防に捧げたせいなのか、素直な気持でメダリスト祝福すべきだろうが、どうもその気になれない。いかにも竹島や尖閣での韓国、中国或いは国内の右翼的行動者などには事が事だけに目をそむけ、平和なスポーツの祭典(国際大運動会?)に目を向ければ平和な方向に傾くだろう。「あんな小さな島くらいに目くじら立てなくてもいいジャン」と考えるのは国民の大部分なのだろう。戦後67年間、国民として危機に瀕することがなかったための後遺症だろう。竹島への韓国大統領の上陸にしても韓国としては当然自国の領土だからという考えだから、海保の巡視船や海自の艦艇航空機などが近づくと砲撃するだろう。そこが実行支配されている大きな弱点だ。尖閣《魚釣島》は実効支配は日本が行っており、政府も固有の領土と断言しているのだから、日本人の上陸を禁止する《上陸申請を許可しない》というのは、どう考えてもおかしな話である。現在のようないい加減な外交を繰り返しているとどちらの島も、本当に実力部隊により強襲する可能性は十分あると考える。なぜなら、日本はどんなに違法、違反行為をとっても何も反撃、反抗しないことが分かっているのだから・・・。ふと、真剣に国防の最前線に立つ自衛官、海上の保安警備に当たる海上保安官が《馬鹿らしくなって辞めていく》ことがないよう留意しなければならないと思う。オリンピックパレードで楽しんでいる間に、隣国は着々と次の手を打っているのだ。私が考えすぎだろうか?

竹島・尖閣問題

2012-08-17 11:50:32 | Weblog
《やはりそう出るか》というのが本音である。中国にせよ韓国にせよ国内の世論を安定させるには、国民感情の矛先を国外に向けるのが常套手段なのだ。その論理があろうとあるまいと、である。日本の政府がどんなに《不快感》を示しても、総理が、外務大臣が《遺憾に思う》としても、そんなのお構いなしなのだ。それがまさに外交なのだろう。日本のように方針変更や閣僚がコロコロと変わること自体が極めて異常なのであり、隣国からの交渉などまるで赤子の手をひねるようなものだ。総理が「法律に基づき、毅然たる態度をとる。厳正に対処する????」と言っても、実行を伴わない発言など風呂の中で臭いのない屁をひるようなものだ。今の与党、野党いずれも毅然たる態度はとれても、なめられないような毅然たる対応が全くとれていない。中国、韓国側がもっと過激に出て、海軍などでの行動に出ても、法律に基づき毅然たる態度で一体何をどのように対処するのだろう。本当に情けない日本になってしまった。

山口帰省

2012-08-17 11:21:45 | Weblog
9日の夜から家内、子供2人と久しぶりに家族全員で山口の実家に帰省した。今回の目的は高校の同窓会と母の病院施設見舞である。行きは息子も少し運転を手伝ったが大部分は往復とも私一人だった。10日のお昼に下関に到着し、市内の唐戸市場で好みの握り寿司をとってお昼とする。何といってもネタが新鮮で安い。その後母を見舞いに行く。昨年までの母と違って戸外で生活をしていないせいか色も白く、体も小さく、軽くなっていた。もう90近いのだから仕方あるまい。夕方実家に着き、翌11日は近くの一の俣温泉で同窓会、30人が集まる。最初はどうしても思い出せない者も数名いたが、時間が経つにつれ懐かしい話に花が咲く。お開き後に我があばら家にてO、S、M君とMさんが集まり二次回をする。宴会では時間制限もあり十分なお話ができなかったのが残念だった。12日朝、前日に撮影した写真などを整理し幹事に届ける。12日の夕方には妹たち夫婦が我が家に集まり、庭先でバーベキューを楽しむ。13日は息子を宇部空港まで送り、その足で中学校の同級生宅に数名が集まっているというのでお邪魔する。夜は妹たちが朝まで徹夜近くトランプを楽しんでいた。14日は長門市で田舎暮らしを楽しんでいる海自の同期生N君の新居を訪ねる。奥さんは都合悪く不在だったが、懐かしい再会に花が咲く。帰りは手作りパンや野菜など貰って帰る。帰る途中、おばさん達にご挨拶と191号線に3月にできたという《道の駅》に行く。実家の周辺の田んぼは耕作田と休耕田が散在し、私の田んぼは誰も耕作しないので雑草が生い茂っており、悲哀を感じる。14日と15日は実家の周辺の草刈りを妹や義弟とし、少しばかり気が晴れた。16日は思いもよらぬ、広島の甥や姪の集団が我が家に来る。日頃は無人状態のあばら家が全員で何人になったのだろうか数え切れない。子供のころはどこの家もみんな子供たちの元気な歓声に溢れかえっていた。17日からはまた実家もひっそりと無人家屋になってしまう。早く田舎に戻り残りの人生を悔いなく過ごしたいものだ。私たち(途中帰横の息子を除く)は15日2400実家を後にし、渋滞にも巻き込まれず
翌16日1500過ぎに無事横浜に戻った。今回の走行距離は約2,600kmだった。【写真は豊北高校3年4組同窓会】

本当に強い《なでしこJapan》

2012-08-07 03:52:07 | Weblog
ロンドンオリンピックも半ばを過ぎ、日本人の各種目での活躍が感動を呼んでいる。昨年の女子サッカーのワールドカップでの《なでしこJapan》達は、たまたままぐれで優勝したのではないか、それなのにあまりにも報道が持ち上げすぎると、個人的にはあまり好感を持っていなかったが、オリンピックでの活躍は先ほどの試合でフランスを2:1で破り、決勝まで勝ち進んできた。これは決して《まぐれ》ではなく、監督を中心に彼女達の練習、戦略、戦術全てが功を奏した結果であろう。体格的、体力的に決して恵まれていない日本人が巨体の外国人相手に牛和丸のような身のこなしで勝利に向かって最後まで懸命にプレイする姿勢は昨今の低迷し、諦観気味の日本社会への一服の清涼剤となるであろう。銀メダルは確実であるが、満足することなくこの調子で決勝で勝ち金メダルを獲得して欲しいものだ。【写真はmsnニュースから拝借】

PCの故障、修理提出中

2012-08-04 07:25:47 | Weblog
先月末に突然PCが作動しなくなり、触れば触るほど深みに陥り、不安を感じたので早速修理に出した。約1週間くらいかかるとのことで間もなく修理完了の連絡が来るだろう。高度情報化社会の不可欠なツールではあるが、PCの無い期間、それはそれなりに時間を過ごす事が出来た。PCを持つと、プロバイダ料金、ウイルス対策代或いはプリンターの印刷用のインク、用紙代等々、塵も積もれば山となる。これからの年金暮らしをしていくからには、いかにすればその辺りの経費が少なくて済むかを良く考える必要がある。私はインターネットの知人友人に毎月始めに《生きている証し》として挨拶メールを出している。今回も出そうと思ってはいたのだが、PCの入院中であり出来なかった。何人かの方から、毎月の挨拶が無いと心配いただくが、元気に66歳を迎え《健康状態異常なし》なのである。【今回画像なし】