Romarin フランスの草の根となって

住み始めた時は腹がたち、住み慣れると離れがたいフランスにすみ、45年の年月がたちました。日々のことなど綴ります。

ベルリオーズ その3

2005年08月29日 | 音楽
ハリエット・スミッソンに心を奪われたベルリオーズは
彼女の注目を引くために、パリ音楽院で彼の最初の自作演奏を開きました。
この年のコンクールではカンタータ「Hermini」で二位を得ます。

30年の始めごろから、ハリエットに対する期待と絶望の交錯の中で
「幻想交響曲」を書き始めます。
この曲の「芸術家の生活のエピソード Episode de la vie d'un artiste」
という副題は明らかに自己の感情体験を自伝的に取り扱ったことを示して
います。

33年10月、ベルリオーズは両親の反対をおしきってハリエットと結婚します。
家計を維持するために本格的に新聞に評論を書き始めます。
このジャーナリストの仕事は彼は嫌っていましたが、結局一番長続き
しました。

34年に「イタリアのハロルド」を初演しましたが、このときの聴衆に、
ヴィクトール・ユゴー、リスト、ショパン、ヒラー、アレクサンドル・デュマ
などの姿が見えました。

しかし、40年ころにはパリの劇場は彼を完全に閉め出しました。
妻ハリエットとの仲も険悪になり、別居生活をするようになります。

42年から国外での演奏会を行います。
ブリュッセル、ドイツ各地での演奏会は成功を収め、ライプチヒでは
メンデルスゾーン、シューマンが、ドレスデンではワーグナーが
彼の演奏会に協力しました。

43年に輝かしい成果を挙げて、パリに帰着した彼は、再び自信を得て活動を始め、
翌44年には「ローマの謝肉祭」などの初演を始め、ドイツ、イタリア音楽旅行記
および、「近代楽器法と管弦楽法」の出版を行っています。

彼はリストと並々ならぬ友情関係を持っていましたが、お互いに
相似た傾向を持っていると認め合っていたワーグナーと不仲になるにつれ、
その友情にも影をさし始めます。(続く)



ベルリオーズ その2

2005年08月27日 | 音楽
ベルリオーズについて触れたので、わたしの頭を整理させるために
ベルリオーズの生涯について書いてみます。

この写真は前回投稿記事に書きました、
ラ・コート・サン・タンドレにある、ベルリオーズの生家です。

1803年12月11日、ラ・コート・サン・アンドレにて誕生
1869年3月8日、 パリにて死す。

ベルリオーズの父は評判のよい医者でした。
エクトール(ベルリオーズの名前)は、音楽の学習を
父のフルートとギターで独習します。
学校には行かず、18になるまで父の教えを受け、
18歳のときに大学入学資格試験に合格し、
医学を学ぶためにパリへ行きます。

パリでは、勉強よりも、オペラに熱中。
特にグルックの音楽に感激し、作曲をパリ音楽院の教授ル・シュールに
ならいます。彼の音楽は、ル・シュールに強い影響を受けています。

ローマ賞のコンクールではねられた彼は、両親の強硬な
反対に会いますが、パリ音楽院にはいります。
送金を絶たれた彼は、コーラスボーイもつとめました。
27年のローマ賞コンクールでは予選は通過したものの
演奏不可能とされました。
絶望と病に倒れた彼に、ようやく父の仕送りが再会されます。

ここで、エクトールにとって生涯で一番の劇的な事件が
起こります。
シェークスピア劇で「ロメオとジュリエット」の
ジュリエットを演じた、イギリスの劇団の女優、
ハリエット・スミッソンに心を奪われたのです。
有名な女優に対する、無名の青年の実りのない、絶望的な恋は
彼には創作力への刺激となって働き、3年後の「幻想交響曲」を
生み出す原動力となりました。(続く)

ベルリオーズ

2005年08月26日 | 音楽
8月終わりはラ・シェーズ・デューと,ラ・コート・サン・タンドレの
フェスティヴァルに行きます。

ラ・コート・サン・タンドレはベルリーオーズが生まれた町。
毎年この時期にベルリオーズ・フェスティヴァルを行っています。

ベルリオーズ・フェスティヴァルはリヨンで始まりまりましたが、
諸事情が重なって取りやめになった所を、ラ・コート・サン・タンドレ
で新たにやり始めることになり、今ではすっかり軌道に乗り、
重要なフェスティヴァルのひとつとなっています。

今年のわたしたちのオーケストラのプログラムは

●ベルリオーズ:夏の夜
●ベルリオーズ:幻想交響曲

夏の夜は歌の曲で6曲から成り立っています。
一曲一曲すばらしい宝石のような作品です。
地味といっていい曲ですが本当に真珠のきらめきを感じさせます。

幻想交響曲はすべて繰り返しをして演奏しています。

昨日はラ・シェーズ・デューでの演奏会。
21時にコンサートが始まり、終わったのが23時30分。
それからバスに乗って、着いたのが朝2時半でした。
きょうはラ・コート・サン・タンドレです。
またバス移動ですが、少しは近いので昨日ほどは遅くならないでしょう。

はりねずみ

2005年08月22日 | 生活
フランスでははりねずみが子供たちに人気です。
ところが、とても気の毒な動物なのです。
彼らほど、車社会に適応できない動物もいないのではないでしょうか?

道路上に気の毒にも轢かれている姿をよく目にします。

家のテラスに、はりねずみがいました。
近づくと、体を丸めて動かなくなります。ずーっと丸まったまま。
最初は死んでいるのかと思うほど長く動かずにいました。
ちょっとはなれて、用事を済まして戻ってみたら、
もういませんでした。

そんなことを、車が近づいてもしますから、当然轢かれてしまいますよね。

この写真は、テラスにいた彼を庭の隅に見つけたときのもの。
かわいい顔をしていますが、丸まっているので見えません。
鼻がちょっと見えるかな?

こんな歌があります。フランスの子供への歌手で、
ジャン・ルネという人の作った歌です。
わたしの親しい友人でもあります。

♪ハリネズミさん、気をつけて。
♪道路は危ないよ。
♪真ん中で止まっていないで。

♪僕は君が庭にいるのが好き。
♪ここでは君の鼻の先を見られるよ。

♪ハリネズミさん、気をつけて。
♪みんな急いでいるんだよ。
♪君は止まっている時間はないんだ。

♪僕は君が庭にいるのが好き。
♪僕に君の針の数を数えさせてね。

♪ハリネズミさん、気をつけて。
♪タイヤの下をくぐるんじゃないよ。
♪危ないタイヤだから。

♪僕は君が庭にいるのが好き。
♪丸まってね。ねんねの時間だよ。
♪まん丸だね!
♪じゃあまた。

暑かった日本

2005年08月21日 | 生活
日本から戻ってまいりました。
昨年に比べると、暑さはましな気がしましたが、
やはり暑かった!
湿度が高いからでしょうか。

どうしても冷房に頼りますね。
これだと堂々巡りになってしまうのですが、
体が冷房の方に行ってしまいます。
冷房すると熱が外に行く、外気は熱くなる、
涼しさを求めてまた冷房を求める・・・・・

今年はこちらはまた異常酷暑になる、といわれていましたが、
そうでもなかったようです。

今朝など気温15度。寒いくらいです。

日曜の朝市に行きましたが、しとしととした雨の中、
ちょっと震え気味。
まだヴァカンスが終わっていないので人も少なかったです。
もっとも時差ぼけで朝一番の8時にいったせいかもしれません。

今日はヴァカンス帰りの人で道路は混むそうです。
また日常生活が始まります。