島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

唐比のくり舟

2014-12-11 11:29:22 | 歴史・史跡
森山町内にある「諌早市の文化財」で、唯一残った「唐比のくり舟」。
所蔵している「唐比温泉センター」が閉館で、見学する方法を失っていました。
後日、諌早市役所へ電話をして確認してみました。
すると、「施設の横から入って見学して良いですよ」との答えが。
・・・建物の中じゃなかったんだ。(完全に私の勘違いでした。)
そこで数日後に再び唐比温泉センターを訪れました。

センターの入口横に階段がついています。
この階段を登れば良いとのことでした。

登るとすぐ目の前に水槽があります。
この水槽の中に『くり舟』が保存されています。

おそらく大変もろくなっているので、空気中に出せないのでしょう。
水の浮力によって現状を維持しているのでしょう。
近くに解説板もありますが、日に焼けて下半分が真っ白になって読めません。
「昭和49年(1974年)1月、唐比西名塔ノ本の水田の排水工事で出土したものです。
 一本の巨木を刳り貫いて作ったもので、横断面は丸みの付いた『U』の字形をしています。
 このくり舟に密接した出土品はなく、製作・使用の年代を推定することは困難です。
 その昔、この辺りは沼沢であり、この地帯がまだ稲作水田として使用されなかった頃、内陸部の湖沼などで運搬用として用いられたものであろうと推定されます。
 『水晶観音縁起』によれば、「平安時代の朱雀天皇の頃・天暦十年(956年)、この地の領主 渡辺四郎五郎渡の姫虎御前が、館の隅にあった楠の木を伐って作らせたくり舟で乳母と舟遊びをしていた。
 すると、突然舟がくるくると回り始めて沈んでしまい、乳母は助かったが姫と舟は見つからなかった。
 それから五百年後、西日本一帯が大干ばつとなり、万物が枯れ果てた。
 時の後柏原天皇の夢枕に水晶の観音様が現れ、唐比の池に祈願すれば必ず降雨があると告げた。
 天皇は諌早の領主に池の竜神に祈願するよう命じると、大雨が降り、田畑の作物も生き返った。
 その時、池の底から一隻のくり舟が浮かび上がり、中には光り輝く水晶観音が座っていた。
 観音は補陀(ほだ)という地に祀られた。」(諌早市の文化財と解説板より)
ということなのですが、前回訪れたように水晶観音が祀られたお寺さんは廃業されています。(2014年11月3日「唐比水晶観音」記事参照)
これで森山町の文化財はコンプリートです。
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1 コメント

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新展開 (カーキ)
2016-02-21 13:10:56
2016年2月20日の長崎新聞P14に「唐比のくり舟」についての記事が掲載してありました。
市からの依頼で研究所が調べた所、くり舟の材質はクスノキで、年代は772~894年の奈良時代後半から平安時代前半に製造された事が分かったそうです。
言い伝えとの合致が確認され、市では約2年半かけて処理を施し、空気中でも展示できるようにするとのこと。
温泉センターの再開には触れていませんでした。

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