加賀男児(かがおのこ)の江戸滞在記

石川県人からみた江戸の名残を残した東京と、今時の石川県人の紹介です。

金沢 広坂界隈

2010年08月15日 22時22分01秒 | Weblog
<今回の加賀:金沢広坂界隈>

夏休みを取って帰郷してきました〜。

金沢市内で一番の繁華街である香林坊(こうりんぼう)から兼六園方面に折れる道を広坂通りと言いますが、この辺りは以前は官庁街でした。

街中には珍しいお地蔵様、「香林坊地蔵尊」。香林坊の火除け地蔵として金沢市民に親しまれています。


金沢の老舗百貨店「香林坊大和(だいわ)」横にある像。子供が金沢を眺めて遊んでます。


明治・大正時代の旧制高等学校のうち全国で8つしかなかったナンバースクール、そのうち「第四(だいし)高等学校」が金沢にありました。その校舎は今も現存し、「石川四高記念文化交流館」となっています。




建物は国の重要指定文化財と指定されています。
「石川四高記念文化交流館」は四高を紹介する「石川四高記念館」と石川出身や石川ゆかりの文学者を紹介する「石川近代文学館」からなっています。




金沢は江戸時代には国内5大都市の一つで「天下の書府」と言われていました。金沢で読めない書物はなく、日本中から金沢に学びに来ました。四高の誘致はなんと全額市民の寄付で行われていたそうです。学都・金沢を守ろうとしたんですね。

旧石川県庁跡地に建てられた「石川県政記念しいのき記念館」。多目的ホールらしいですが「迎賓館」っていうから用のない一般庶民は入っちゃいけないのかと思いました・・・。




しいのき記念館の名前の由来となった「堂形(どうがた)のシイノキ」。国指定の天然記念物です。第三代加賀藩主前田利家公の時代から400年間ずっと金沢を見守ってきました。すごい!本当にお疲れ様です。


しいのき記念館の広場では「インターナショナルフェスタ2010」が開かれていました。地元の学生さんと海外留学生の方々が協力してお店なんかを出していました。




そしてしいのき迎賓館を過ぎると、金沢城の石垣が見えてきます。


広阪通りからお堀通りに入って見えてくるのが金沢城と兼六園を結ぶ「石川橋」。僕は母親からこれが「石川門」だと教わったので石川橋が石川門だとずっと思ってました・・・。まあ、凱旋門か何かと混同してたんだろうなあ。


金沢城〜。


この後は、金沢でテレビや映画のロケがあると必ずと言って良いほどロケ地になる長町武家屋敷跡に行きました。そのあたりはまた今度。
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名前の由来 しいのき迎賓館 武家屋敷跡 多目的ホール 指定文化財 旧制高等学校 ナンバースクール 香林坊大和
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