賀茂の徒然草

つれづれなるままに

宗教改革500年記念年

2017-07-13 13:30:01 | 日記

 ルターがヴィッテンベルクの城教会堂扉に95箇条の書面をはりつけた1517年から、ちょうど500年。ドイツ旅行を計画していて、ドイツ各地で500年記念の行事が展開されていることを知り、この機会にそのいくつかを巡ってきた。キリスト教徒でもないので、高校時代の教科書を思い起こす程度の知識状態だったが、よそごととはいえ宗教改革というものの大きさを知ることとなった。各地の展覧会は主にはルターによるドイツ語訳聖書やその関連の文書などが中心であり、流して見る程度しかできなかったが、キリスト教という枠内ではあるものの、真実Wahrheitを押して曲げない一人の孤独な人物がなしとげた大事業を概略、知ることとなり、感銘が深かった。

 もっぱら関心は建築様式の変遷にあり、後期ゴシックの頂点の時代に起こった宗教改革は、ルネサンスと言ってよいのかどうかだった。すでにイタリアではルネサンスという文化革命は盛期に達していたが、アルプスを超えて行くには手間取り、ドイツではなおゴシック様式の伝統が続いていた。しかし、その後期ゴシックの様式は複雑な編物状のリブの文化に移行していた。ルターが関わったというTorgauという小都市の宮城付属礼拝堂があるというので、見に行った。それは、なるほどだった。説明書によると、聖餐のテーブル、説教壇、オルガン、そして集会所としての空間、その4つが必要なだけで、他は省くべきだとするのがルターの考えであり、それが反映されているのだった。そこにはイタリア・ルネサンスからの様式的な影響は認められず、そもそも建築形式として新しいものではなかったが、図像を省き、無駄のない、一種の還元的な建築像がそこにあった。連想したのはアドルフ・ロースの装飾否定であり、オットー・ヴァグナーの必要性論だった。天井には確かにゴシック様式のリブ・ヴォールトがかかっているのだが、隆盛を極めている後期ゴシックの華麗な形式は見られず、構造形式に従いつつ、合理化されたリブ・ヴォールトが目には新鮮だった。私にはアール・ヌーヴォーからモダニズムへの転換を連想させた。

 宗教改革に伴って各地で偶像破壊運動が展開され、キリスト像、マリア像といえどもその犠牲となっていたが、ルターはそのような破壊運動には関わらず、芸術物には寛容だったと言い、ここにもかつてクラナッハの描いた祭壇画が備えられていたらしい。しかし、特に南ドイツで華麗化する後期ゴシックの様式とは確かに一線を画しており、それは初期機能主義と似た心理を連想させた。イタリア・ルネサンスは次第にドイツへも浸透してくるという常識的な構図は考え直さなければならないかもしれない。イタリア・ルネサンスがポジティブな文化活動だとすれば、ここではネガティブなルネサンスが起こっていたようである。つまり、装飾的なもの、過剰なものを削り取り、本質的なものを露出させるという仕方である。これはドイツ語圏での初期モダニズムに相通じる。それはこれ以上に目立った建築様式を生まないため、ほとんど歴史書に取り上げられることはないが、改めて注目し直すべきポイントである。

 中世の建築様式にはほとんど関心がなかったので、見過ごしてきたが、この機会にシュベービッシュ・グミュント、アンナベルク、インゴルシュタットなどで後期ゴシック最盛期のリブの文化を見てきた。その他の都市でもホール式教会堂がこの時代の主たる様式となり、様々のヴァリエーションを生んでいたことに改めて感銘を受けた。説教を中心に据える宗教改革は、いわばこのような後期ゴシックのホール式教会堂に始まっていたのかとも思わせた。そこにドイツ流のルネサンスが再発見できるのかもしれない。この当時のキリスト教の宗教儀式や宗教共同体のあり方を詳細に見る余裕はないので、それ以上を掘り下げようと思わないが、この発見はこれからも気に留めておきたい。

 

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