「上司が許せない」
「親が許せない」
「いじめたあの人が許せない」
ということで苦しんでいる人もいるだろう。
「許せない」とまではいかなくても、
なんとなく、
過去に自分に対して理不尽なことをした人にわだかまりを持っている人も多いはずである。
そういった人たちがどうしたいかというと
「許せないということを、相手に伝えたい」
「その出来事のせいで不幸になっていると知らせたい」
つまり「自分で引きずっている」のである。
一方、相手はどうかというと、たぶんそんな出来事は忘れている。
当たり前に食事をし、テレビを見ながら笑い、お風呂に入っているのかもしれない。
なかには、思いあまって本人に「許せない」「許せなかった」と伝えている人もいるだろう。
しかし、相手が「ごめん」「悪かった」と謝っても、「本気で分かっているのか」と、まだすっきりしない。
謝ってくれるならまだしも、意外に相手は「そんなことあった?」「するわけないよ」と「覚えていない」ことも多いのだ。
では、こういう時にはどうするのか。
少し離れた所に椅子を置いて、その無人の椅子に許せない相手が座っているところをイメージする。
そして、その椅子に向かって、言いたいことや文句を言いながらオモチャのボールを投げつけるのだ。
投げてみると、ドンドンセリフと感情が出てくる。
その「感情」をいかに自分が隠していたのかに気付くだろう。
それが「本音」である。
「本音」というのは弱い感情なのだ。
助けて、かまって、仲間に入れて、優しくして、置いていかないで、本当は好き…。
言えないから態度で示そうとしたり、意地を張ってみたりするのである。
散々投げつけたら、そこから、「許し」の作業に入る。
ボールをぶつけながら
「今日はこのくらいにしといてやる」
「しかたない、許してやる」
などと口に出すと、「つい、うっかり」許してしまったりするのだ。
しかし、実はこれはすごい勇気なのである。
許せない相手、
自分にひどいことをした人を許すというのは、すごい勇気なのだ。
自分の価値観という法律の中では、極悪人の犯罪者である。
その犯罪者を無罪放免にするくらいの勇気なのだ。
その「勇気」を出すことは、大きな人生の「決断」である。
「自分が幸せになる決断」をしたのだ。
『こだわり』という何かを捨てる決断が必要なのかもしれない。
何かにすねたり、
意地を張ったり、
つまり素直になれずにいると、本来の流れを阻害してしまうことがある。
必要なものが少ししか流れない。
もちろん、それをバネにして勢いをつけることもある。
「怒り」「悔しさ」「反骨」のエネルギーをもとにして成功することも多くある。
しかし、それを長く続けるにはやはりどこかで無理や歪が生まれてくるのだ。
太いホースをイメージし、そしてそのホースを少しねじってみる。
すると、水の流れが悪くなる。
その代わり一部では、ねじったり狭めたりすることで、水の出る勢いが強くなったりして役に立つこともできる。
つまり、心の歪みをとることで、豊かに悠々と流れていくのかもしれない。
意地を張らずに、誰かの助けを求め、
意地を張らずに、誰かの考えを受け止め、
意地を張らずに、そろそろ許してあげる。
意地を張らずに、相手の才能を認め、
意地を張らずに、自分の才能を認める。
意地を張らずに、誰かを信じて任せてみる。
意地を張らずに、誰かを助けてみる。
意地を張らずに、「ありがとう」と伝えてみる。
意地を張らずに、「好き」と伝えてみる。
そんなところから、流れが豊かに変わり始めるのかもしれない。
意地を張らないのには、「勇気」が必要である。
意地を張っていた相手を許す勇気だ。