保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

新春企画 君は角倉了以・素庵親子を知っているか?第一話

2012-01-07 02:39:44 | 角倉プロジェクト・世界遺産事業
角倉了以・・・安土桃山時代から江戸時代初期にかけて京都を拠点に
活躍した豪商にして私達、保津川下りの創設者・初代社長ともいえる存在。

その志の高さとスケールの大きさでは当時の豪商の中でも、際立つ存在である。

近世初期から活発化した朱印船貿易で活躍する一方、徳川家康の命を受け、
いくつかの河川を切り開いた最先端土木技術を有する技術者の一面も持つ実業家だ。

注目したいのは、そのどちらも「船」という乗り物がキーワードになっているところ。

ここが了以のビジネスセンスをみる時に見逃せないところで、
当時​、台頭してきた他の豪商たちとは大きく異なる点だといえる。

了以の本姓は吉田といい、近江出身の医術者の家系に生まれている​。
吉田家は医術で室町幕府のお抱え専属医である一方、土倉(金融​業も兼業しており、
京の嵯峨を中心に活躍していた。
了以の父・​宗桂も医師で、明(中国)に留学経験を持つ最先端の医療知識を持っていた。

了以は18歳の時に家督を継いでいるが、医術の道には進まず実業の道を選び、
50歳の時に朱印船貿易に着手した。
この発想は父か​ら海外の情報を聞いていたことが大きな起因になったといわれている。

角倉の朱印船貿易の先は、安南国(ベトナム)が中心で
北部のトンキンを渡航先にしており、航海には片道約一ヶ月以上は
かかったといわれている。

航海中に難破したり、海賊船に襲撃されたりする危険もはらんだリスクの大きい事業であったが、
一回の渡航に成功した時の利益は10億円単​位ともいわれ、危険性はあっても
誠に魅力のあるビジネスだったことは間違いない。

時は十六世紀半ば、当時の強国スペインやポルトガル、スペインにオランダなど
世界中が大航海時代を迎えていた頃。その大航海時代の潮流に乗り、
東南アジアという海外に打って出た日本で初めての大貿易商人といっていいだろう。

その冒険心溢れる商魂で、通算航海数17回という
当時では最多の航海に挑んだ稀代の起業家であった。

そんな了以が、息子・素庵と一緒に、次に目を付けたのが保津川だったのある。

(つづ​く)

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2 コメント

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この企画をとても興味深く読ませていただいています。 (すみ)
2012-01-08 09:57:35
角倉了以は 教科書には出ていたけれど 詳しくは知らない人なのです。

嵐山に行くたびに、大悲閣にいってみたいなと思いながら、ちょっと距離があり寂しそうなところなので 行けていません。

昨秋 亀山公園にはじめていって、了以の像を見ました。当時としては破格の実業家だったのですね。この人こそ、大河ドラマになりそうですね。

保津川の歴史を 知っていくと、了以、山陰線をひいた田中さん、嵯峨野観光鉄道の話、遊船組合の話、ほんとにいろいろなドラマがあるようで、実に面白いです。

舟の待合室に、もっとこれらの歴史がわかるような 展示とかビデオとか簡単な資料館的なものが 作ってあったらいいなと、いつも思っています。

その歴史を少し知るだけで、川くだりの楽しみが、何倍にも増えますね。

つづきを 楽しみにしてます。
ありがとうございます。 (はっちん)
2012-01-09 00:49:05
すみさんへ。
アドバイスありがとうございます。私も前々から保津川下りの乗船場に資料館的な空間があればいいなと思っておりました。一度、400周年の時に船頭手作りのパネル展示場を設けましたが、新社屋移転により撤去されたままです。保津川下りや角倉了以の歴史的価値をもう少し、大切にしていきたいと思っています。
これからもお気づきの点があれば、ドンドンお知らせくだされば嬉しいです。

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