お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

四国旅行1日目

2024年04月25日 | 仏教






 塩屋別院の後、香川県仲多度郡まんのう町の浄土宗西念寺さまへ。
 1207年後鳥羽上皇により念仏停止が下される。直接の原因は上皇が熊野詣の間に院の女房たちが念仏法会に参加し、そのまま出家して尼僧になってしまったことに激怒したため。
 法然上人は土佐に配流される予定だったが、法然門下の九条兼実の配慮により、兼実の領地・讃岐への配流とされた。
 ほどなく流罪を許されたので、讃岐への配流は10ヶ月ほどだったが、その拠点となったのが浄土宗西念寺さまです。
 ご住職から丁寧なお話をいただきました。
 西念寺さま参詣後、同じく法然上人ゆかりの寺院・現在は真宗興正派の円浄寺さまへ。
 

 円浄寺さまでは、貴重な宝物も見せていただきました。
 法然上人ゆかりの寺院を参拝して、徳島県祖谷(いや)渓谷へ。
 小型バスながら、スリル満点の狭いカーブの連続。
 よくまあ、こんな所に建設を・・・と驚く渓谷の上に建つホテルに宿泊。
 露天風呂は傾斜30度?のケーブルカーで降りてゆきます。
 夕食はご当地の山の恵み、川の恵みを美味しくいただき、楽しい会話と共に至福のひとときを過ごさせていただきました。
 

 緑の美しい祖谷渓谷 写真↑
 

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本願寺派塩屋別院

2024年04月25日 | 仏教
 

 某寺さまのグループに老夫婦加えていただき、岡山から瀬戸大橋を渡り、四国に来ています。
 

 先ずは、うどん県・香川県にて、珍しいうどん(海老とナスの天ぷらとたっぷりの薬味の入ったうどんにつゆをかける)をいただきました。
 昼食後、丸亀市の浄土真宗本願寺派四州教区(四国4県)の教務所(寺務所)でもある塩屋別院にお参り。写真↑ 
 輪番さん(一般企業で言えば四国支店長さんのような方)や職員さんから、塩屋別院の歴史など伺いました。
 塩屋別院は
 1615年播州赤穂の教法寺と門徒30戸が塩造りのため、讃岐に渡られたのが寺院としての始まり。
 香川の中心は高松だけれど、高松は同じ真宗だが、興正寺派の土地柄(藩主が興正寺さまと親戚)で、本願寺派は許可されなかったので、藩の違う丸亀に
本願寺派の拠点が置かれたこと。
 真言宗の弘法大師のお誕生地だが、真宗寺院のほうが多いこと
 第一次世界大戦時、塩屋別院はドイツ人捕虜収容所(境内の行動は自由)として使われ、そこで楽隊が結成され、日本初のベートーベン第九演奏が行われた
等など、興味深いお話をお聞かせいただきました。
 

 写真↑は、内陣天井の美しい天女図
 大門の彫刻も珍しいものでした。写真
 





 有り難いご縁を賜りました。



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無自覚な差別心

2024年04月17日 | 仏教


 本堂に掲示している標語です。
 自分では
「私は差別心なんて無い!」
と、思っていても
全く無自覚に差別し、他者を傷つけることがあると、
よくよく自覚しなくてはいけないと自省しております。

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2024年4月の言葉 その3

2024年04月09日 | 仏教


 ほのぼのカレンダー今月の言葉です。
 天気も自分の都合で良い、悪いを言いますが、全て自然の恵みですね。
 
 
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4月8日 花まつり その2

2024年04月08日 | 仏教
 

  きょうは午前中、仏教婦人会役員会でした。
 花まつり当日でもあり、一緒に「重誓偈」をお勤め。
 そのあと、昨年度の行事報告、会計報告の確認と、今年度の行事予定、再来年の巡番報恩講についてお話し合いいただきました。
 婦人会役員さん、ありがとうございました。
 
 午後は勉強会へ。お仲間の願正寺さまのご門徒Hさん
から、
毎年4月8日は、佐賀仏教会(宗派をこえた旧佐賀市中心部の寺院の会)の「花まつり・灌仏会」が、
願正寺さまを会所に開かれていて、午前中お参りなさっていたことをお聞きしました。
 願正寺若坊守さんの「花まつり」のイラスト  写真↑ を私もHさんから有り難く頂戴しました。
 イラスト裏には、花まつりの詳細な解説があります。
 日本での「花まつり」は日本書紀に606年(推古天皇の時)奈良 元興寺で催されたとあるそうです。
 有名な「天上天下唯我独尊」。
 お釈迦さまが生まれてすぐに七歩歩いて仰ったという言葉ですが、
これは、お釈迦さまご自身が自分が偉いと仰っているのではなく、
1人ひとり誰もが、代わりのない尊い存在であり、「だからこそお互いを尊重し、慈しみ合うことの大切さを私たちに教えてくださっている」と、解説くださっています。
 
 ちなみにお釈迦さまが、生まれながらに七歩歩んだというのは迷いの世界「六道輪廻」を超えられていることを表すとお聞きしています。
 
 
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2024年4月の言葉 その2

2024年04月05日 | 仏教


 5日間の組内の巡番報恩講も2日に修了しました。
 期間中には会所寺院にて、帰敬式(ききょうしき・仏弟子となり法名を拝受する儀式)があり、組内ご門徒さん20名ほどが受式されたそうです。当寺からは1名受けられました。おめでとうございます。← 帰敬式で法名頂くのは死ぬ準備ではありませんので、おめでたいことです!
 さて、写真↑は、山陰教区妙好人カレンダー今月の言葉です。
 自我意識が高すぎて、他人の言葉に左右されたり、傷つくのが怖い私がいます。
 縁によって心コロコロの私がいます。
 他人も私も、それぞれ違う価値観、感受性を持つのに、常識は1つだと思い込む私がいます。
 しかし、聖徳太子が仰るように
私の感受性がいつも正しいわけでは無い。
 他者がいつも間違っているわけではない。
 共に、自分の思いに執着する者同士。
 仏さまの智慧の光に照らされたら、私の偽りの正義心や思い込みの煩悩・濁りに気づかされる。
 私の濁り・偽り を自覚させられるってことは、もう、阿弥陀如来の救いの真っ只中。
このお言葉により、味わせていただいております。
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2024年4月の言葉

2024年04月01日 | 仏教



 真宗教団連合の法語カレンダー、今月の言葉です。
 佐賀教区内 巡番報恩講の真っ盛り。
 「報恩講」とは、報恩の集い・親鸞聖人のご法事です。
 御命日(旧暦11月28日、新暦1月16日頃)にお勤めされるのが「御正忌報恩講(ごしょうきほうおんこう)」

 「巡番報恩講」とは、
浄土真宗本願寺派佐賀教区内に17組(そ・近辺寺院のグループ)ありますが、
毎年、各寺の「御正忌報恩講」とは別に、各組で、春、もしくは秋に当番会所寺院を巡って(ぐるぐる巡番に会所をつとめて)勤修される「報恩講」です。
 真宗は何の修行もありませんが、聞法(仏法を聞く)を大切にします。
 他人事でなく、また、死んでからの話でなく、今、生きている私のための聞法です。
 自分のお寺でなくても、どこへお参りしても大歓迎されます。
 巡番報恩講の聞法は、とても楽しくて、有り難いです。
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信心って

2024年03月25日 | 仏教


 桃の花も開花。
 


 陽光桜は満開。



 チューリップも咲き始め。

 昨日の「さが桜マラソン」には8300人のランナーが参加されたとのこと。ランナーはもちろん、雨の中のボランティア、沿道の応援の方々、お疲れさまでした。

 さて、仏教の信心は、
 私が不幸と感じることが我が身に起こらないよう、仏さまに守ってもらうため、あるいは、不幸と感じることが、我が身に起こった時に、その不幸と思うものを取り除いてもらうため一生懸命祈るのは、仏教の信心ではない。
 人生は、思い通りに、ならない。
 これは事実。
 我が身(自分中心の物の見方・感受)を知らされ、本当のことに気づかされたら、順風満帆でもエラそうにならず、反対に思いがけない悲痛に遭遇しても、自暴自棄にならない。← 私は根性なしだから、泣きますが・・・
 私の傲慢も、弱さも、お悟りの仏さまに気づかされます。
そして、こんな私も仏さまの慈悲に包まれて、安心して生き抜くのが「信心」と拝受しております。
 



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六連島のお軽さん

2024年03月22日 | 仏教
 妙好人(仏教を大変慶ばれた篤信の方々)のお一人、山口県の六連島(むつれじま)のお軽(かる)さん(1801-1857)の歌です。
 
 聞いてみなんせ まことの道を 無理な教えじゃないわいな
 
 まことを聞くのが おまえはいやか 何が望みであるぞいな

 おのが分別さっぱりやめて
 弥陀(阿弥陀)の思案にまかしゃんせ

 重荷背負うて 山坂すれど
 御恩おもえば 苦にならず

 鯉は瀬に住む 小鳥は森に
 わたしゃ六字(南無阿弥陀仏)の うちに住む

 
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2024年3月の言葉 その3

2024年03月10日 | 仏教
 

 山陰教区妙好人カレンダーの今月の言葉です。
 仏教で「迷う」という言葉は人生におけるチョイス・選択を迷っているという意味ではなく、仏の覚り・智慧がない(自分の思いに執着する)ため、悩み苦しみがより多い生き方をしている状態を言います。
 「私」と自覚する私は、生まれながらに我が身が1番。我が身がかわいい。
 仏さまの本願(こんな私をも覚らせたい、仏にしたいとの慈悲の仏願)に気づかせていただき、
仏さまを悲しませないように生きようと心がけても、
元が元だけに、自己中心の思いは離れがたい。
「わかっちゃいるけどやめられない」
 まさに、臨終の時まで、煩悩の只中に生きている私がいます。
 だから、そんなことはわかっておられる阿弥陀如来が私のために、本願を立てられた。
 一生「迷い」を離れられない私は、もう、阿弥陀さまにお任せするのみです。
 南無阿弥陀仏
 
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